私はロイエンタール伯爵家の馬車で、アンの村の近くまで送ってもらった。村の中にまで馬車で入ると目立つので、入口の手前の雑木林の近くで馬車を止め、護衛と共に歩く。
「ここまででだいじょうぶよ、ありがとう。誰もそれらしき人はいないみたいね。」
「そのようですね。」
万が一にも義母の手の者が近くに潜んでいないかと、私と御者の格好をした護衛とであたりを警戒したけれど、それらしき人物はいなかったので一安心だ。
まだ私がこの村に住居を構えていることまでは知られていないのかも知れない。だけど油断も出来ない。村にいる時は安全が脅かされる危険があるから、村の中での護衛をレオンハルトさまにお願いしなくちゃいけない。
無事に引き受けてくださるといいけれど。村の中に住んでいない人間を引き入れると目立ってしまうもの。ロイエンタール伯爵家の人間を入れるくらいなら、ロイエンタール伯爵家で暮らしたほうが不自然さはないわ。
私は1度家に戻って窓を開け、空気を入れ替えた。しばらく締め切っていたけれど、カビたりはしていないみたいね。
それからレオンハルトさまの家を尋ねた。今日も出かける用事がなかったのか、レオンハルトさまは家にいらして、まだ寝ていらしたのか、眠そうな顔で家から出て来た。
「お嬢ちゃんか。どうしたんだい?」
「レオンハルトさまにお願いしたいことと、以前お願いした護衛の代金の精算に参りました。上がらせていただいても?」
「ああ。お茶を入れる。少し待ってくれ。」
そう言って私を家にあげてくれた。以前私が掃除した時から、特に廊下は汚れていないみたいね。……まあ、しばらく雨が振っていないからだけかも知れないけれど。
「……とても美味しいです。」
「そうか、それはよかった。」
相変わらずとても美味しいお茶を淹れてくださる方ね。その微笑みも既に懐かしいわ。
「これ、以前護衛をしていただいた時の代金です。お確かめいただけますか?」
「わかった、確認しよう。」
魔塔から魔法の使用権利料が振り込まれていたのを、ここに来る前に銀行でおろしてあったのだ。布袋に入れられたお金を、レオンハルトさまが布袋から出して数えている。
「──確かに。それで、俺に頼みたいこととはなんだ?」
「今日からひと月、私をこの村限定で護衛していただきたいのです。」
「……この村限定で?何か危険を感じる出来事でもあったのか?そんなヤバい奴は住んじゃいない筈だが。……まあ、あんたはキレイだからな。良からぬ考えを抱く奴がいてもおかしくはないが。……それとも何か?あの絵の具工房の坊っちゃんが何かしてきたのか?」
「絵の具工房の坊っちゃん?──アルベルトのことですか?いえ?彼には特に何もされてはいませんが。」
……確かに、俺のものになって、とは言われたから、アルベルトが何もしてきていないのかと言うと、そういうわけではないのかも知れないけれど。それで無理やりなにをしてこようというわけでもなかったから、私に害をなす存在でないことは間違いないわよね。
「……そうか。俺のことをずいぶんな目で睨んできていたからな。てっきり……と思ったんだが。なにもされていないならそれでいい。まあ俺の杞憂だったんだろう。」
アルベルトがレオンハルトさまを睨んだ?それはまたずいぶんと強気な態度に出たものね……。戦ったら決して勝てない騎士さま、とアルベルトは呼んでいた筈だけれど。
「それなら、いったい何から守って欲しいんだ?敵の素性がもしもわかるのなら、情報は得ておきたいんだが。」
「はい、実は……。」
私は義母に狙われていること、ひと月の間ロイエンタール伯爵家で守ってもらえることになったけれど、絵を描く仕事があるのでこの村に来なくてはならないこと、村にロイエンタール伯爵家の人間は入れられない為、村に滞在している間守って欲しいこと、ひと月たてば魔塔の防御魔法が完成し、安全になることなどをレオンハルトさまに話した。
「……なるほど。その魔法が完成すれば、どこにいても安全に暮らせるということだな?だがそれまでは護衛の必要があると。」
「はい。魔塔で守られながら暮らすか、ロイエンタール伯爵家で暮らすかの2択で、私はロイエンタール伯爵家で暮らすことを選びました。この村での仕事がありますし……。」
「──俺の家に来るんじゃ駄目なのか?」
「え?」
「第3の選択肢だよ。なぜそれは考えてみなかったんだ?1番簡単だろう?」
「私が……レオンハルトさまの家に?」
「そうすれば、お嬢ちゃんは帰りたくもないロイエンタール伯爵家にいなくても済む。四六時中護衛も出来る。一石二鳥だろ?」
「さすがにそれは……。昼間も守っていただいて、寝ている時まで、レオンハルトさまお1人に護衛させるわけには参りませんわ。休む暇がないじゃないですか。」
「まあ、それは確かにな。」
だから2択しかなかったのだ。魔塔は許可証のない人間は誰も入ってこられない。ロイエンタール伯爵家には私設騎士団があって、夜間も警備の人間がいる。
それを誰か1人で済ませられるのなら、私だってお金を払って人を雇って済ませるだろう。それがレオンハルトさまである必要がないもの。でも人間は眠るものだ。
例え仮眠をとるにしたって、四六時中緊張した状態でいなくちゃならないんじゃ、少しも休まらない。一晩とかならそれでもいいかも知れないけれど、ひと月は現実的じゃないわ。そんなお願いは誰にも出来ない。
それに魔法の使用権利料で、ある程度まとまったお金は入ったけれど、見知らぬ相手がどこまで忠誠を誓ってくれるかがわからないから。結局は魔塔か、ロイエンタール伯爵家が1番安全なのだ。
レオンハルトさまにお願いするのは、あくまでも村の中に住んでいる人だから、一緒にいるところを少しくらい見られても、護衛しているとは思われないで済むからだもの。
「わかった。この村に来るまでは、ロイエンタール伯爵家で護衛してもらえる、だからこの村の中だけの守りを、俺に頼みたいということだな。いいだろう。引き受けよう。」
「本当ですか!?ありがとうございます。」
レオンハルトさまに引き受けていただけなかったら、最悪ロイエンタール伯爵家の従者を偽装させて、この村に仮住まいさせるとかしなくちゃいけないかと思っていたから、本当にありがたいわ。
「襲われるとして、敵が何人くるかわからんが、魔物相手よりは知れている。護衛の代金は以前のものから危険手当を抜いた金額で構わんよ。」
「……それでよろしいのですか?それだとあまりお金が発生しませんが……。」
「仕事にかこつけて、お嬢ちゃんと毎日一緒にいられるってこったろう?俺としちゃ金を払いたいくらいの気持ちなんだがね。」
「ご、御冗談を……。」
「おや、そう思うかい?俺はわりかし本気なんだがな。本気になってもいいかって聞いたのに、本気にしてなかったってことかな?」
「そ、それは……。」
正直、フェルディナンドさまとのことがあったから、妙に気まずい気持ちになるわ。別に忘れていたわけではないけれど……。
私とレオンハルトさまとでは、本気の種類が違うと言われたことを思い出す。レオンハルトさまの本気を本気で受け止めていなかったと言われれば、恐らくそうだと今は思う。
「……そんなに困った顔をするなよ。いじめたくなってくるだろ。」
とレオンハルトさまがニヤリとする。
これも本気なのか。それともレオンハルトさまの本気をまともに受け止められていなかった子どもな私をからかっているのか。……それとも本当にそういう性癖の方なのか。それがよくわからないのがレオンハルトさまという方よね、と私は思う。
困って何も言えなくなっている私に、
「とりあえず、護衛の件は了承した。お嬢ちゃんがこの村にいる間、安全に過ごせるように、俺がしっかりと守ってやるよ。」
と言って下さったので安心した。
「だが誰もいない時ならいざ知らず、絵を描く為に工房長一家が来る際に、俺はどこで過ごしていたらいいんだ?家の中で隠れてじっと待ってるってのも、おかしな話だろう?」
「そうですね……。目の前で護衛をしていただくとなると、工房長ご一家にも、事情を話さなくてはならなくなりますし、そうすると絵を描く仕事自体、遠慮されてしまうんじゃないかと思うんですよね……。」
「まあ、そうだろうな。お嬢ちゃんがこの村にそもそも来なければ、ロイエンタール伯爵家で安全にひと月守られるわけだ。」
「ええ。」
「それをわざわざ絵を描く為に村に来て、その為に俺の護衛が必要で。それを知ったら、絵の依頼がなくなればお嬢ちゃんが安全だと思うのが普通だろうな。」
「そうですね……。そもそも絵を描く場所にいらしていただくとなると、なぜレオンハルトさまがいるのかと問いただされそうですから、知られないようにする為には、絵を描いている間、工房長たちの視界に入る場所にいていただくわけにもいきませんし……。」
「そうだろうな。俺が近くで直接護衛をするとなると、お嬢ちゃんが絵を描ける環境ではなくなりそうだ。」
「そうですよね……。」
「本当に工房長たちに黙ったまま、俺に護衛をさせる気か?俺が家にいると知れたら俺とお嬢ちゃんの仲を疑われるんじゃないか?」
「……そうなりますね……。ですが他に方法が思いつきませんし……。」
確かに男性がずっと家にいるとなると、出入り自体も見られないほうがいいわね。
「だが狭い村だ。噂が広がるのは早い。例えばそれがきっかけで、お嬢ちゃんがここにいると敵に知られたら、俺がお嬢ちゃんの護衛をする意味もなくなる。」
「そうなんですよね……。」
「だが、ひと月もの間絵が描けないと、お嬢ちゃんは困るんだろう?」
「はい……。とても困ります……。」
「なら、俺は外で護衛するしかねえな。」
とレオンハルトさまがあっさりおっしゃった。確かにそうなのだけれど……でもそれでは申し訳ないわ……。外はまだ肌寒いのだし。
「あんまり乗り気じゃないって顔だな。」
「外はさすがに申し訳なくて……。」
私は正直にそう言った。
「俺が護衛につくのは、ひと月の間だけ。ひと月外で仕事をするなんざ、騎士団の現役時代はよくあったことだ。そんなに気にすることでもないと、俺は思うがな。」
「そういうものでしょうか……。」
「……まあ1ヶ月も経てば、その魔法とやらが完成する。そうすれば、俺はお役御免だ。それまではただの護衛だと割り切って、お嬢ちゃんは立派に絵を仕上げればいいさ。」
私がうーんと考えていると、それを見かねてレオンハルトさまが提案して下さった。
「そうだな。ここはひとつ、俺と取り引きでもしないか?俺の提案に乗ってくれるなら、俺は外の護衛を気にしない。──どうだ?」
「取り引き……ですか?」
「ああ。俺はこれからひと月の間、毎日、お嬢ちゃんが家で絵を描いている間は、外で護衛のしごとをする。そしてその見返りに、お嬢ちゃんからご褒美を貰うってのはどうだ?そのほうが張り合いがあるだろ?まあ別に金品が欲しいってんじゃないがな……。」
「どんな見返りが欲しいのですか?」
「──俺にも絵を描いて欲しい。」
「絵を……ですか?」
「ああ。それも俺の肖像画だ。どうだ?」
「レオンハルトさまを……ですか?それは別に構いませんが……。なぜ、私に絵を?」
「ああ。俺は騎士団にいた頃は、よくモデルになってくれと頼まれたもんだがな。その俺が、今度は自分からが絵を頼む側になるとはな。それなら嬢ちゃんと一緒にいる時間も作れるし、家にいてもおかしくはない。」
レオンハルトさまがモデル?確かにレオンハルトさまほどの美貌なら、描いてみたい絵師は多いでしょうね。よく頼まれたというのも納得だわ。私もちょっと楽しみだもの。
「それは……構いませんけれど、本当にそんなことでよろしいのですか?」
「ああ。それで構わない。どんなことでも、お嬢ちゃんと一緒にいられるのならな。」
とレオンハルトさまがおっしゃるので、私はお言葉に甘えることにした。ほんの少し、絵を描いて欲しい理由が引っかかるけれど。
「……わかりました。ひと月もの間、たびたび外で護衛をしてくださるのに、ただ外で待たせてしまうだけというのも心苦しいですものね。ではそのようにお願いします。」
「ああ。そうしてくれ。とりあえず、ひと月は俺が外で護衛する。それからのことに関しては、お嬢ちゃんが決めるんだ。俺の家で描くのでも、お嬢ちゃんの家で描くのでも、どちらでも構わない。俺はそれに従うよ。」
「わかりました。ありがとうございます。」
私が頭を下げると、レオンハルトさまはようやく嫣然と微笑んだ。やはりこの笑顔には弱いわ……私は思った。
「護衛は今日からでいいんだな?」
「はい、出来るのであれば、よろしくお願いいたします。」
「では早速、家に戻って護衛の準備をしないとな。なんと言ってもひと月は長い。自宅から近いとはいえ、敵がわからない状態での護衛は、そう楽じゃないだろうからな。」
とレオンハルトさまが立ち上がったので、私も慌てて立ち上がる。
「それじゃあ、これからひと月の間よろしくな。お嬢ちゃん。俺が戻るまでの間、万が一のことがないよう、気をつけるんだぞ。」
「こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします。お心遣い感謝します。レオンハルトさま。はい、くれぐれも気を付けます。」
私はレオンハルトさまに外での護衛をお願いする代わりに、絵を描いて差し上げる約束をして、正式に護衛の契約を交わした。
レオンハルトさまが家を出て行くのを見送って、私はとりあえず安心した。まさか工房長ご一家に私が狙われていると話すわけにもいかなかったし、どうしたものかと思っていたところだもの。でもこれでひと安心だわ。
レオンハルトさまがいったん自宅に戻られて、私は1人になって考える。
──本当にこれで良かったのだろうか?
この身を危険にさらしてまで絵を描く仕事いこだわってしまったけれど。ロイエンタール伯爵家で1日中大人しくしているか、私設騎士団に護衛してもらいつつ外出する程度にとどめるかのほうが良かったかも知れない。
いいえ、安全面だけを考えるのなら、それは確実にそのほうがいいわ。だけどこの先この村に住むにあたって、任された仕事を放棄するのはよくないと思うの。
……そして、住み始めてからひと月も経たずに家をあけるのもよくないことよ。まだ村人全員に挨拶出来たわけではないけど、私に何かあったのだと察されてしまうわ。
義母がこの先捕まったとしても、命を狙われたことのある人に、近くに住んでいて欲しいかと言われると、決してそうではないでしょうから。何事もなかったかのように、普段通りの生活をおくれるのが1番の理想だわ。
万が一、義母や義母の手の者が、この村に来て暴れでもしたら、それも意味のないことになってしまうけれど……。
でも、だからと言って、他にいい方法も思い浮かばないし……。とりあえずは、ひと月の間、安全に絵を描ける環境にいられることを喜ぼうと思った。
そしてこの選択が正しかったかどうかも、ひと月後にわかるのだもの。イザークも探してくれているのだし。きっとだいじょうぶ。今はそう信じていようと思うのだった。
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