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閑話 オルブルの後悔

 ザクッと鳴った音と共に、鈍い抵抗が腕を通じて伝わった。

 それが何であるかをオルブルが理解した時、全身が凍りつく。

 血の池の上に倒れ込んだ幼馴染アレクシオスの目に浮かぶ驚愕と痛み。その光景が焼き付いて離れなかった。


 そしてその光景は、アレクシオスも同様だった。


 剣の先に、べっとりと付いた幼馴染の血。

 我に返った二人は、やってしまった───と蒼白になって、荒い息をしていた。


 アレクシオスは痛みに顔を歪めながらも、オルブルを睨みつける。


「……これが、俺たちの終わりなのか?」


 力のないアレクシオスの声は哀しみに満ちていた。


 オルブルは剣を落とし、言葉を失っていた。

 彼の肩からも血が溢れ出し、痛みと後悔が交錯する。

 目の前で倒れ込む幼馴染の姿が、彼の胸に重くのしかかっていた。


「こんな結末……誰も望んでいなかった……」


 彼の声は掠れ、落ちた剣を拾うことなくただただ立ち尽くすことしかできない。

 その場に吹き抜ける風が、二人の間に静寂を運んだ。


 アレクシオスの剣はオルブルの左肩を心臓に届く程の深さまで斬っていた。

 一方でオルブルのものは───アレクシオスの右足を切断していた。


 オルブルの傷は、回復薬ポーションさえあれば自然治癒が可能だ。

 けれども、切断されたアレクシオスの足は特上回復薬エクストラポーションでしか治せない。


「アレク……俺は……」


 オルブルの声は掠れていたが、アレクシオスはそれを遮った。


「言い訳なんか聞きたくない!」


 アレクシオスが痛みに耐えながら叫ぶ。


「お前は、いつもそうだ……自分の本心を……見せてくれないじゃないか!」


 その言葉は、オルブルの心に鋭く突き刺さった。

 彼は肩の傷を押さえながら、一歩だけ後退する。


 確かに、アレクシオスの言う通りだった。古龍を討伐し、目的を果たした今、残るのは未練じみた恋慕だけである。

 彼は自分の中の空虚さを呪った。


「……俺は、ここにいる資格なんてないのかもしれないな」


 オルブルはそう呟くと、震える手で剣を拾い上げて背を向けた。


「俺は……何をすればよかったんだろうか?」


 オルブルの自問に答えるように、風が彼の髪を揺らした。


 遠くからは足音が聞こえてくる。

 ペトラやロベルトが戦いの音を聞き、駆けつけてきたのだろう。


 彼の胸の奥では何かが叫んでいた。

 止まれ、振り返れと。


 しかし、彼はその声を無視した。今ここにいれば、仲間たちが駆けつけてきたときに、どう顔を合わせればいいのか解らない。

 ペトラの悲痛な表情と、自信に向ける蔑み、そしてアレクシオスに向けるであろう愛。

 それらを想像するだけで、足がすくみそうだった。


 居ても立っても居られなくなったオルブルは、逃げるように駆け出した。

 彼が地を蹴る度に、傷口からは血が溢れ出してくる。


 けれども、彼はひた走った。止まらなかった。

 自分の罪を背負い、二度と彼らの前に現れないと誓いながら、闇の中へと消えていく。




「アレク……!!」


 オルブルと入れ替わるように、ペトラが血相を変えて現れた。

 彼女はアレクシオスの元へ駆け寄り、彼の足を見て絶句する。


 彼女は、状況について聞かなかった。

 涙でぐしょぐしよの手が、アレクシオスの頭を支える。

 そしてもう片手で彼の傷口に手を伸ばすと、氷属性の魔力を展開させていくのだった。


「ペトラ……お前……見てたのかよ」


 掠れるアレクシオスの声。

 けれども彼女は答えなかった。

 氷の結晶が彼の傷口付近に舞い、彼女の手元で形を成していく。


「つ……冷たっ!」


 冷気に包み込まれたアレクシオスは、思わず声をあげる。


「待ってて。これで……少しはマシになるはずだから!」


 ペトラは必死だった。

 彼女は何度も何度も氷属性の魔力を放出し、だんだんと義足の形を作り上げていくのだった。

 それは彼女の魔法で強化され、普通の義足以上の強度と柔軟性を持つものだった。


「これで、少しは……」


 ペトラは息を切らしながら言う。

 アレクシオスは足を動かしてみた。


「……動く。ペトラ、お前は凄ぇよ……」


 今までとほぼ変わらない感覚で動くし、歩ける。

 彼の目には感謝の光が宿っていた。


 けれども、ペトラは「残念だけど……」と言葉を洩らす。


「だけど……この義足って、私が魔力を解いちゃうと溶けて壊れてしまうの。だから私は、魔力制御を四六時中しなきゃいけなくなった……

 義手の維持にリソースを割かれちゃうから、攻撃魔法は中級程度しか扱える余裕が無くなるの」


「そんな……俺のせいで」


 彼女の告白に、アレクシオスは衝撃を隠せなかった。

 この義足のために、彼女は使えていたはずの特級魔法と大魔法を封印せざるを得なくなったのだ。


「そんなことない。私は……アレクシオスをずっと支えたいって思ってたから」


 その言葉に、アレクシオスの心臓は歓喜に震える。


「なら俺は……そんなお前を守れるようにならないとな」


 互いに頷き合い、抱き合ったアレクシオスとペトラ。

 オルブルが見たくなかった現実が、その場にはあった。













 ………………

 …………

 ……














 それから五年後のことである。


 木漏れ日が差し込む静かな道場。

 オルブルはシュネル流剣聖の称号を手に入れ、稽古中の弟子たちに指導をしていた。

 彼の動きは洗練されていて無駄がない。

 かつての冒険者時代の面影を残しながらも、心境の変化のせいでどこか穏やかさが漂っている。


 そんなオルブルのもとに訪問者があった。


「ッ……!?」


 扉を開けて招き入れようと扉に触れると、顔も見ないうちから「久しぶりだな」と声がかかる。

 途端、彼の表情は引き攣った。

 何度も聞いた声。

 それが、聞こえた気がしたのだ。


 ───アイツは……この村が嫌で冒険者になったんじゃないか。いる訳がないだろう。

 この声は、たまたま似ていただけだ。


 そう考えて、ええいままよと扉を開ける。


 けれども、そこにはアレクシオスの姿があった。

 彼は二本足で立ち、真っ直ぐにオルブルを見詰めている。


「アレクシオス……ユスティニア!?」


 心の中では激しく狼狽えていた。

 けれとも、そんな彼の背中を門下生たちが興味深そうに見ているため、オルブルは一瞬戸惑いを見せたが、すぐに平静を装った。


「師範!この人だれですか!?」


 あどけない表情の幼子がアレクシオスを指差していた。


「この人はアレクシオスだ。俺の古い友人なんだ。

 俺たちは話をしたいから……パムフィル。お前はルクサンドラたちと素振りに行ってこい」


 七歳になったばかりのパムフィルを行かせるが、アレクシオスの登場に動揺し、声は僅かに震えていた。


 そんなオルブルの姿をじっと見詰めるアレクシオス。

 その顔には、嘗ての激情家としての表情はない。

 五年が経ったためなのか、妙に落ち着いていて理知的に見える。


「帰郷の報告をしに来た。それと、ペトラが……」


 アレクシオスは少し恥ずかしそうに言葉を続けた。


「妊娠したんだ。もうすぐ産まれる」


 オルブルは息を呑んだ。目は驚きで見開かれていた。


「そうか……おめでとう」


 彼の視界はぼやけていた。俯いて、目を合わせることは出来なかった。


「ありがとうな。

 それと……五年前のことを謝りに来た」


 アレクシオスは道場の床に膝をつき、頭を下げた。


「お前を追い詰めたのは俺だ。俺はお前を理解しようとしなかった。

 ペトラにもお前にも、辛い思いをさせた」


 オルブルはその言葉を静かに聞いていた。

 彼の表情は険しかった。それはアレクシオスに対する蔑みではない。

 弱い自分自身への憤りである。


 ───謝るべきなのは自分の方なのだ、身勝手な恋慕でアレクシオスの右足を奪い、パーティーを引き裂いたのだ。


 そう心の中で叫ぶものの、口からは出てくれない。


「俺こそ……すまなかった」


 言えたのは、これだけだった。


 二人の間に長い沈黙が流れた。

 しかし、その沈黙は、過去のわだかまりを解きほぐす時間としては丁度良かった。

 アレクシオスは笑みを浮かべて立ち上がる。


「これでまた仲間に戻れるな」


「……あぁ」


 オルブルも微笑みを返したが、胸の奥に燻る感情を振り払うことはできなかった。


 アレクシオスが去った後、オルブルはふとペトラの笑顔を思い出す。

 嘗ての自分にとって、彼女はただの仲間以上の存在だった。

 だが、彼女が選んだのはアレクシオスだ。


「俺はまだ……割り切れていないんだな」


 どっと疲れが出て、彼は道場の床に座り込み、手にした木刀を見つめる。

 彼の心には、一生癒えそうにない後悔と恋慕が渦巻いていた。

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