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閑話 オルブルとアルウィン

 それから、更に四年が経過していた。


 木製の扉がギィと音を立てて開き、光の中から小さな影が現れる。


「こんにちは!」


 透き通るような元気な声に、オルブルは振り返った。

 そこには、まだ幼い子供が立っていた。


「…………!?」


 一瞬だけ、時が止まる。

 幼子の顔立ちは、まるでアレクシオスを彷彿とさせた。強い意志を感じさせる眉に、少しだけ尖った鼻を持つ美形の顔。

 そして───彼はエメラルドグリーンの瞳を有していた。


 ───ペトラと同じ瞳だ……


 そう気付いた瞬間、胸に鋭い痛みが走る。

 あの瞳は、かつて自分が恋い焦がれた女性のもの。

 その女性が選んだのは、自分ではなくこの幼子の父親なのだと、また痛感させられる。


「君の名前は?」


 問う声が微かに震えたのを自覚しながら、オルブルはなんとか平静を装った。


「オレはアルウィンだ!」


 無邪気な表情が、オルブルを余計に苦しめた。


「悪い。息子が……駆け出してしまった」


 そう言いながら扉を開けてくるアレクシオス。

 義足で歩いているとは思えないほど安定した立ち振る舞いに、オルブルの視線は釘付けになっていた。


「単刀直入に言う。俺の息子のアルウィンに、剣を教えてくれ」


 彼の声は穏やかだった。


「……俺が?」


 オルブルの問いに、静かに頷いたアレクシオス。


「お前以外に剣を教えられる者はいない。それに……子供にお前の剣を教えて貰いたくてこの村に戻ってきたのもあるからな」


「お前だって……ヴィーゼル流の奥義習得者だろう」


 お前が教えればいいのに、そう言おうとする前にアレクシオスは言葉を発する。


「オルブル……俺の憧れの剣士は変わらずお前だ。お前が最高の剣士だと思ってる。

 だからこそお前に頼みたいんだ」


 アルウィンの無邪気な笑顔と、アレクシオスの真剣な表情。

 その二つの視線を受けながら、オルブルは言葉を失った。


 ───俺に……教えられるのか?


 心の中で自問する。


 ───ペトラとアレクの息子に剣を教えること。それは過去の傷を抉るような行為ではなかろうか。


 しかし、アルウィンの小さな手がオルブルの袖を掴む姿を見て、彼は微かに微笑んだ。


「わかった。まずは基本から叩き込んでやる」


 その声はどこか震えていたが、少年の瞳はそれに気付くことなく、嬉しそうに輝いていた。















 ………………

 …………

 ……









 アルウィンは、同時期に入ったオトゥリアに引っ張られる形ではあったが、めきめきと実力をつけていった。


 アルウィンが剣を握る手つきが、日を追うごとに確りとしていく。

 それに伴い、オルブルのペトラに対する気持ちにも変化が見られた。


「師範、見てよ!

 オレ……今日こそはオトゥリアみたいに、絶対に受け止めてみせますから!」


 アルウィンは満面の笑みで構えを見せる。

 その瞳にはオルブルへの純粋な憧れと、オトゥリアに負けたくないという強い意志が宿っていた。


 ───この子らにとっては……俺も親のようなものなんだよな。


「……今度こそ、ウチも師範のを受け止めて見せるから」


 アルウィンと同じ目をする、紫髪の少女。


 胸の奥に、温かな感情が芽生え始める。それはペトラへの未練に拠るものではなく、弟子たちが持つ輝きに向けられたものだった。


 師として、そして家族のように感じる深い愛情。

 芽生えた感情の本質は、それだった。


 ペトラへの未練が完全に消えたわけではない。

 しかし、彼らの存在がオルブルに新たな生きる意味を与えていた。

 彼はもはや、過去に囚われる男ではない。

 未来を託す師としての自分を受け入れていたのである。




 けれども少し経って、ペトラとアレクシオスは火事に呑まれた。


 駆けつけたときには、全てが遅かった。


 咽び泣くアルウィンと、その肩に優しく手をかけるゴブリン族のラルフ。

 その奥では、燃え盛る炎が夜空を赤く染め、崩れ落ちる家屋の中からは絶え間なく火花が舞い上がっていた。


「アレク……」


 オルブルはその場に立ち尽くし、目の前で繰り広げられる悲劇に拳を握り締め、奥歯が軋むほど噛みしめる。

 足を切断したのにも関わらず、あれほど自分を信じてくれた男を守ることができなかった。

 幾度も剣を交えた幼馴染にして相棒、親友、ライバル。

 その最期を目の当たりにしながら、何もできなかった自分が許せなかった。


「ペトラ……」


 その名前を呟いた瞬間、胸の奥が張り裂けるようだった。

 嘗て彼女に抱いた想いは消え去ることはない。

 だが、彼女が選んだのはアレクシオスだった。

 それでも、オルブルは彼女の幸せを願うことを誓った。

 守りたかった。彼女と、彼女の家族を。


 しかし、今、目の前でその全てが燃え尽きていく。


「あぁ……クソったれ」


 掠れた声が喉から漏れる。黒煙が激しく家の中から吐き出されるなかで、彼は自分の犯した失態の全てを悟っていた。


 近隣住民のバケツリレーによって、火は段々と勢いを弱めていく。

 けれど、最後まで残っていた家の柱が、溶けたバターのように崩れ落ちてアルウィンの頭上に迫ったのだ。


 ───このままでは、アルウィンが……ペトラやアレクと同じ目に遭ってしまう……


 オルブルは、無我夢中で縮地を発動させた。

 それと同時に、腰に差した剣を勢いよく右上へ振り抜いていた。


 ───感情がいっぱいいっぱいで、魔力も空になっているアルウィンはこの柱を避けられないだろう。


 彼は、一心不乱でアルウィンを守るように前に立った。

 斬撃は真二つに柱を割く。


 と同時に、微かな嗚咽に似た息遣いがアルウィンの口から洩れた。


「アルウィン。お前が死んだら、二度とオトゥリアに会えなくなるだろう?

 それでもいいのか?あいつはきっと泣くぞ」


 言えることは、それだけだった。


「…………師範」


 彼は、アルウィンに背を向ける。


 ───特級魔法を扱えるペトラが、何故あんな炎に焼かれてしまったのだろうか。

 彼女ならば、火など上手くコントロール出来たに違いない。

 なのに、何故。

 なぜあの二人は、アルウィンを遺して去ったのだろうか。


 彼女がアレクシオスの氷で出来た義足の維持を常にしていたせいで攻撃魔法に割ける魔力のリソースが減っていたこと。

 それを、オルブルは知らない。


 ───けれども、二人の遺児を育てるのは師範である俺だ。


 オルブルは覚悟を決めるように、大きく息を吸い込んでいた。

 目を閉じると、アレクシオス、ペトラ、ロベルトの三人が浮かんでくる。

 自然と涙が溢れて来て、彼は「ううっ」と小さく震えた。


 ───アレク、ペトラ。傍観者に過ぎなかった俺に……意味を与えてくれてありがとうな。

 ロベルト。最後に交した言葉も覚えていないが、達者でいるだろうか。

 この涙は傍に居たはずのお前らを失った哀しみなのだろうか。それとも……


 彼は、立ち止まって考えるのをやめる。

 今出来ることは、死者を悔やむことではない。

 生きているアルウィンに、道を示してやることじゃないのだろうかと思い至ったためだ。


「アルウィン。

 貴様の剣を振る目的は何だったのか、もう一度問いたい」


 ───俺は、アルウィンを自分の手で育てるんだ。


 オルブルは彼を一人前に育てるという使命感を常に感じていた。

 それが、今目の前にある惨事によって、より一層強まったのだ。


 ───アルウィンには……昔の俺のような悲しい思いをさせてはならない。俺が、あいつの望みを果たせるように手助けをしなければならないんだ。


 覚悟がその身に宿ると同時に、溢れ出る涙。


 ───炎に照らされた俺の頬を、アルウィンに見られていないといいのだが。


  彼は黙ったまま、道場へと足を向けた。


 アレクシオスとペトラの家を包み込んだ炎は、未だ燃え盛っていた。

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