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第6話 来る戦いに備えて

 彼がフェトーラに会えたのは、ベルサリウス領へ出発する直前だった。

 ゴブリンのルーベン族が野営地に設置していた家を畳み、冰黒狼ダイアウルフを連れてアルウィンの元へとやって来たとき、少々気まずそうな表情を見せたフェトーラが駆けてきたのである。


「アルウィン。昨夜は一緒に居られなかったわね」


 アルウィンの乗る馬の下で、フェトーラは残念そうに言った。


「そうだな。お前に確かめておきたいことがあったんだけど……移動中で聞くことにするよ」


 彼は、昨夜考えたことを彼女に相談したかったため、フェトーラに「オレの後ろに乗れるか?」と聞く。


 彼女は唐突に聞かれて、雪のような白い頬を耳まで朱に染めたのだが───蚊の鳴くような声で、「のっのの……」とだけ発し、しばらく後に強い口調で「乗ってあげてもいいわよ!」と答えた。


「何だよ、今の間は」


 そうアルウィンがツッコむものの、彼女は「五月蝿いわねっ!とっとと聞きたいことを言いなさいよ!」と語気を強めて返す。


「はいはい。取り敢えず乗れよ」


 差し出されたアルウィンの筋肉質な手を、フェトーラの細い腕がぎゅっと掴んでいた。

 彼女の顔は、アルウィンに触れられた途端に輝く。

 そのまま彼女は彼の後ろに引き上げて貰ったのだが、口角はしっかりと幸せそうな内面を露見させていた。


「フェトーラ。ダイザール迷宮からソフィアポリスの街まで魔力の道を作ることは出来るのか!?」


 けれども。

 彼女の表情に気が付かないアルウィンが本題を口にする。

 昨日思ったことを、アルウィンはオトゥリアに問うたのだ。


 ───まぁ……アルウィンはオトゥリアにゾッコンなんだし気が付かないわよね。


 するとフェトーラは、はぁと溜息を着いた後に淡々と事実を述べるのだった。


「恐らく無理ね。国の首都よ?そんな事をされたら、他国に簡単に首都を落とされてしまうじゃない。

 恐らく、街の地下に干渉阻害効果のある巨大な魔法陣が設置されているはずよ」


「そうなのか……オレの考えは安易だったな。

 いや、待てよ?少し離れた場所になら魔力の道を通せるんじゃないか?」


「王都近郊なら阻害効果の外になるから、そこにまでなら道を通せるわ。

 でも……あたしと同じように魔力探知を扱える人物が皇太子陣営にいたらバレてしまうし……ダイザール迷宮についても知られてしまうわね。

 上手く偽装するためにかなり深い場所に魔力を通すことも出来るだろうけど……そうすると、夏までは間に合わない気がするわ」


「それはマズいな。

 やっぱ、正面でぶつかってヒュパティウス公爵の軍を倒して王都に雪崩込むしか方法は無いのかな……」


 アルウィンの表情は、彼の心に渦巻く理想が険しさを極めている事実を如実に顕していた。









 翌日からは、彼は大忙しだった。

 ユスティニアの血を引く正当な王位後継者として王都で現皇太子を破るために力を貸してくれと、周辺の貴族や、70年ほど前にユスティニアの陣営だったという貴族家に向けて、厚い蝋でしっかりと封をした書簡を飛ばしていったのである。


 夏になる戦いに備え、貴族との関係を構築したり、ヴァルク王国についての知識を指南役のロマネスから学んだりと、行うことは多岐に亘った。


 フェトーラは、常にアルウィンに着いて来てくれた。

 積極的にヴァルク王国について学び、いかにも自分はアルウィンの側近の吸血族ヴァンパイアであると言いたげな表情で傍に居た。


「アグヴィフィトレスはあたしとアルウィンが何時でも迷宮に戻れるように、ベルサリウス侯爵領に魔力の道を構築している最中よ。

 あんただって……早くオトゥリアに会いたいんでしょう?」


 フェトーラの深紅の瞳には、どこか切なさを孕む光が浮かんでいた。

 遠くを見るようにぼんやりと焦点が定まらず、微かに下がった口元がその寂しさを物語っている。


 ───出発してからは未だ、アイツに会えてないんだよな。


 フェトーラが自信に向けている感情に気が付かずに、アルウィンはオトゥリアのことだけを考えていた。


「オトゥリアには会いたいけど……アグヴィフィトレスには会いたくないんだよな」


 アルウィンはアグヴィフィトレスに対して、未だに恐怖に似た嫌悪の気持ちを抱いていた。

 アルウィンに敗北したことで、悪魔の特性として自分の傘下に下ることとなった強力な存在。


 重力を扱うその悪魔に、受肉体としての適合できる素質があるとアルウィンは命と肉体を狙われた。

 結局、エヴィゲゥルド王国第1王子リューゲルフトの愛人である暗殺者クレメルの肉体も適性があったのか、それを受肉体にしたようだが───やはり、会いたいとは到底思えない相手であった。


「まぁ、そこはアグヴィフィトレスも理解していると思うわよ。

 あいつは今、道の構築と夢魔サキュバスのクレイタの受肉体探しに翻弄してるから」


「部下のためにわざわざ受肉体探しをしてるんだな」


「えぇ。どうやら、冒険者の中に丁度いい格闘技を習得している女性闘士がいるらしいわ。

 その人が死ぬことを今か今かと待っている状態ね」


「なんだよ。ヤツの事だから、肉体が欲しいなら直接出向くなり魔獣を操るなりして殺せるはずなのに」


 自分と無関係な他人のことになると興味を無くす傾向のあるアルウィンが残酷な言葉を言い放つ。

 けれども、フェトーラが引き締まった顔で彼に返すのだった。


「ダメよ。あたしとオトゥリアがそれを禁止させたの」


「どういうことだ…?」


「迷宮の全貌は、王国騎士団によって、あたし達の存在以外を殆ど知られてしまったわ。もしも迷宮の中で存在しない魔獣が現れるとかの変化が起きたら……その時は、迷宮主ダンジョンマスターの存在を知られてしまうかもしれない」


「確かに、そうだな……」


「だから、クレイタの受肉はまだまだになりそうね」


「……そうか。お前らも大変なんだな」


「あたしは今、オトゥリアが何時でも戻って来れるように迷宮主ダンジョンマスターをしているけど……本心じゃ、全てアグヴィフィトレスに任せておきたいのよ」


 そう言ったフェトーラの顔は、少し赤らんでいた。

 視線は真っすぐにアルウィンを見つめて離さない。


「アルウィン。あんたを……」


 口元には緊張と高揚が入り混じり、言葉を告げる決意に満ちているが、その奥にあるのは自分の想いが届くことへの期待だった。


「あたしは、あんたを支えたい」


 口から飛び出た感情。

 必死に繰り出したそれは、僅かにアルウィンに届いていた。


「オレも……お前がいると色々助かるよ」


 少しだけ頬を緩めた彼の顔は、僅かに赤みを帯びていた。

 オトゥリアには未だ届かないが、フェトーラも彼の中で大きな存在となりつつある、ということなのだろう。


 その事実だけを確認し、フェトーラは心のなかで小さなガッツポーズをとる。


 ───あたしは、迷宮の頃のようにあたふたしたくはない。主導権を握るのは、あたしでありたい。


「支える。だからこそ……あたしが用意した策を聞いてくれるかしら?」


 エメラルドグリーンの真っ直ぐな視線が飛び込んでくる。


「ああ。お前の話なら、なんでも聞くつもりだ」


 ヴァルク王国にいる面々の中で、彼と厚い信頼関係を築けているのはゴブリンたちの中の数名とフェトーラだけだ。

 アレスやロマネスも彼と一定の信頼関係を結んでいるが、長い時を共にしたり、一緒に死線を潜り抜けたりなどして培ったものには逆立ちしようと勝てないのだから。


「えぇ。話すわね。今回の作戦は……」


 真剣な表情で、でも確りと受け入れてくれるような優しさを見せるアルウィン。

 それに影響されたか、フェトーラの表情は、柔らかみを帯びていた。


 けれども、互いを繋ぐ視線は堅固だった。

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