アレスが放った第二部隊の指揮官であるオフィロスは、
そして、先頭に立った彼は矛を構えて、腹から息を吸い込む。
「敵の殿共を潰せッ!!!」
殿部隊は主であるフラウィウスの逃げる隙を作ろうと決死の覚悟を浮かべるものの───オフィロスが勢いよく振り下ろした矛によって、一薙ぎで3人が馬から落ちて絶命したのだった。
オフィロスは武勇に優れた指揮官である。
傭兵として活動していた頃は数百人を斬り、怪力無双と呼ばれて敵味方から恐れられていたのだが、同時期に西方で活躍したアレスに拾われたのだ。
一撃で吹き飛んだ仲間の姿。
その光景を見て、恐怖は殿部隊の中を雷の如く駆け巡る。
しかし、その状況の中で殿部隊の指揮官の男が吠えたのだった。
「臆するなッ!!命を懸けてでも戦えッ!
我々は死ぬッ!!
だがそれは……フラウィウス様のための死だッ!!!」
「「「…………!!!」」」
その言葉を受けて、フラウィウスの深紅の旗が勇ましく立って風に舞う。
指揮官の飛ばした檄によって、殿部隊の表情はまるで鬼のように覇気のある形相へと変化していた。
彼らの目は血走り、口元はぎゅっと結ばれる。
「「「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!!」」」
アレスが放った800の騎兵の先頭にいたオフィロスは、いきなり鬼気迫る表情で剣を打ちつけて来た敵騎馬を何とか屠ったものの、斬っても斬っても何度でも立ち上がる敵軍の殿部隊に体力の消耗を強いられていたのだった。
「はぁっ……はぁっ……クソっ。
アレス様のためにも、ここの100名は早く撃破せねばならぬのにッ!!」
彼の頬には2箇所の太刀傷が出来ていた。
それは、死に物狂いで迫ってきた敵騎士に斬られた跡である。
腹を突き刺しても、主であるフラウィウスを守りたいという意思がひしひしと伝わってくる。
彼が倒した敵騎士は、優に20名を超えていた。
けれども、立て続けに止めどなく攻めて来ていて、自軍もかなり傷を負わされていたのだった。
「我々はッ……!!血が最後の一滴になるまで戦うのだッ!!!!」
殿を担う騎士らは泥や血に塗れ、狂気に満ちた凄まじい執念で、死の淵へ突き進んでいた。
馬は汗が光るたてがみを振り乱して進むが、その足取りは一切緩むことはない。
騎馬隊の一人一人が息を荒らげながら、目には恐怖を既に超越した狂気を宿らせている。
剣や槍を振り上げるその腕は既に震え、肉が削れるほどに力が込められているが、それでも彼らに止まる気配はなかった。
背後には退くべきフラウィウスの軍があり、そのために命を惜しまず守るのだ、という理性は既に消えていた。
ここで彼らを支えていたのは、ただ一つだけ。
ここで、その命を派手に散らしてやろうという狂気だけだった。
彼らは叫びを上げ、最早なまくらになりかけている得物を振りかざしながらアレス軍第二陣に肉薄する。
無理やり笑いさえ浮かべて、まるで死神そのものに挑むかのように猛り狂っていた。
馬もまた、彼らの狂気に同調するように目を剥き出し、もはや恐怖に震える第二陣へと向かって突き進んでいくのだった。
「落ち着けッ!!目的を忘れるなッ!!」
第二陣の指揮官オフィロスはそう言うものの、恐怖に臆した自軍は次々と倒れていく。
殿部隊の肉体は既に限界を超えているのに、それでもなお前進をやめず、鋼の音と血の香りに酔いしれながら、彼らは次々と敵であるアレス軍第二陣を引き裂いていた。
その場で自身の最後の一滴の血が流れ尽きるまで止まることはないのだという覚悟に、大の大人でも浴びてしまえば恐怖に支配されて小便をちびりそうになる。
アレス軍第二陣は既に、50名近くが倒されていた。
───
オフィロスは殿部隊の指揮官を狙って、士気を瓦解させようと左手で手網を力強く握る。
血走った狂気の瞳で挑んでくる敵兵は、真横に薙いだ矛で断ち斬っていく。
「がはあっ!!」と音を立てて、胴体と脚が離れ離れになってしまった敵兵を横に見ながら、彼はどんどんと単身で突っ込んで行った。
彼を守るアレス軍の騎兵はいない。
側面から同時に攻撃を受けてしまえば、その場でオフィロスの進撃は止まってしまう。
けれども、血走った殿部隊には、連携して同時に攻撃しようとする理性的な作戦は見られなかった。
獣のように、無我夢中で攻撃を重ねていく。
オフィロスは左側の敵兵を斬り、右側の敵兵は石突きで打撃を与えて落馬させる。
すると、その敵兵の中でも一際豪華な甲冑に身を包んだ男が見えた。
「あそこだッ!!!」
オフィロスは眉間に皺を寄せながら、更に深く斬り込んだ。
まるで振り回しているかのように、矛で豪快に敵共を蹴散らしていく。
有り余る彼の膂力だが、限界は近かった。
それでも、アレスの為にはここを突破してフラウィウス本軍を追わなければならない。
彼は苦痛に身体が痛む中で叫んでいた。
殿の指揮官の男はそんな切羽詰まっていたオフィロスを見ると、馬の手網をぐいと引き、鬼のような形相で迫っていたのだった。
「死ねぇぇぇぇぇぇッ!!全てはッ……!!フラウィウス様のためにッ!!」
「……!!」
オフィロスは矛を構え直すと、迫る男を見た。
小柄な男だが、持っていた剣は中々の得物であることに間違いはなさそうだった。
「死ねぇぇぇぇッ!!」
男は渾身の叫びとともに剣を振り上げ、激しい怒りの炎をその目に宿していた。
男の剣は白銀に煌めき、陽光を反射して閃き、まるで神罰の如くオフィロスを狙っていた。
その剣先が、首元に向かって一気に振り下ろされていく。
しかし。
ワンテンポ遅れて、オフィロスが鋭く長い矛を構え、すかさずそれを振り抜いていた。
オフィロスの表情には冷静さとアレスに報いるのだという決意が浮かび、狙いは寸分の狂いもない。
次の瞬間。
矛の切っ先が、男の首筋に迫り、深く突き刺さる。
ドスッと、鈍い衝撃音が周囲に鳴り響いていた。
撒き散らされた血飛沫は噴水のように空中へと噴き上がる。
戦場に響くその音は、命の終わりを告げる冷酷な音だった。
けれども。
攻撃を受けたのは、その男だけではなかったのである。
「あがあっ……ッ!!」
気が付けば、オフィロスの胸部の装甲に男の剣が突き刺さっており、傷口からは血がドクドクと溢れ出していた。
しかし、オフィロスが痛みに顔を歪めるよりも早く、殿部隊の指揮官の男の首が勢いよく宙へと跳ね上がっていた。
胴体を離れたその首が、段々と高く昇っていく日差しを遮るかのように舞い上がり、やがて戦場の血の海へと音もなく落ちていった。
「やった!敵の指揮官をッ!オフィロス隊長が討ったぞッ!!」
その瞬間に、味方側から歓声が上がる。
狂気そのものを瞳に宿していた殿部隊の面々が一斉に崩れたのを、オフィロスは見逃さない。
彼は傷口を押さえながらも、「今だッ!!殲滅だッ!!」と部下たちに冷酷に言い放っていた。
指揮が最高潮に高まった第二部隊が駆けていく。
殿部隊の命が刈り取られていく音が響く中で、全てをやりきったような表情を見せた彼は、肩で荒い息をすることだけが精一杯だった。