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第12話 決戦の日の朝

 時刻は、夕方にはまだ遠く、陽の名残が鮮やかに広がる時間に戻る。

 後退して立て直しを図っていた敵将フラウィウスを満身創痍ながらも追いかけていたオフィロスは、ぜぇぜぇと息を吐きながら前を見た。


 僅か500ヤード先にあったのは、フラウィウスが率いる軍の本陣から勇ましく風に揺れる深紅の旗だった。


「オフィロス様……ッ!!ご指示を!」


 部下が、オフィロスに指示を乞う。

 そんな中で、身体中を駆け巡る痛みに歯を食いしばりながらも、彼はアレスに言われたことを思い出していた。


「オフィロス。君に作戦を伝える。

 君は第二陣として、800の騎兵を率いてフラウィウスを狙ってもらうよ。

 恐らくあの男は、分散戦法ばかりを繰り返してきた僕の思考を理解したつもりになっているはずだ」


 早朝に、アレスはオフィロスに対して本日の動きをどうするべきか説明していた。


「アレス様の……思考を?」


「だからこそ、今回の戦では分散戦法を用いない。

 僕は彼に揺さぶりをかける。彼の部隊が崩れた瞬間に、君が800名を引き連れて斬り込んでくれ。

 そうすると彼は、ほぼ間違いなく僕の思考を読めなくなって軍を引くはずだ」


 実際のところ、アレスの言ってのけた通りにフラウィウスは8000の部隊を全て退却に回した。

 アレスが、全軍で突っ込むべき好機をわざと逃して800名だけで攻めさせたこと。それに対して、フラウィウスはなにか裏があるのではないかと思って引き返してしまったのである。


「フラウィウスは、僕の掌の上で踊らせておけばいい。君にやってもらうことは一つだけだ。

 本陣に戻った彼が明日の朝まで進出してこないように、背後を上手く隠しながら、僕らに伏兵があると見せかけるようなハッタリをかましつつも牽制してくれないかい?」


 フラウィウスがここですべきことは、牽制、つまりは待機である。


「この800名はエサであり、食いついた途端に大きく迂回した伏兵がどこからともなく仕掛けてくるぞ」と、敵側に圧をかけるだけの仕事だ。


 伏兵については、カロヤン・カラザロフが2000名を率いて明日に参戦してくる予定だが、彼が突入する場所はアレスが受け持つ左軍ではなく中央への加勢となっているため、こちらにやってくることはない。


 オフィロスは、伏兵が居ない中で囮役として、フラウィウスを騙し続ける必要があるのである。


 では、オフィロスがそのような状況にいる中で、アレス軍の本隊は何をしていたのか。

 実際のところ、アレスの軍は戦闘が行われた箇所から1マイルほどフラウィウスの本陣に近付いた所に円形の陣形を敷き、そのまま一切動いていなかった。

 その陣を敷いた箇所の右側面は林になっており、敵の中央からはアレスが何をしているのかが判別つかないように丁度よく隠された地形である。


 何やら、耳をそば立ててみると、そのアレス軍の円陣の内側からはキンコンカンコンと槌を叩くような音が周囲に鳴り響いていた。


 彼らは何をしていたのか。

 その真相は、翌日になって判明することになる。







 ………………

 …………

 ……








 翌朝。

 アレスの命を完遂して戻ってきたオフィロスは、満身創痍の身体を張っていたために、今や高熱にうなされていた。

 傷口は酷く化膿して、それが彼を余計に消耗させている。

 命に別状は無かったが、それでも数ヶ月間の安静は必須な程の傷だった。


 アレスは、「よく頑張ってくれたね。今日の戦の絶景を君に見せられないのは少しだけ残念だよ」とオフィロスに零し、本陣で療養を受けていた彼の元を去る。


 空には、曇天が遠くで渦巻いていた。

 それは、アルウィン陣営にとっての不吉を示す兆しなのか、はたまたヒュパティウス陣営にとっての不吉の兆しなのか。

 互いに自分たちが有利となる兆しだと思って、それぞれの得物を振り回すのが戦である。


 ユスティニア軍の左軍を率いるアレス・ベルサリウスの軍勢は、2450名。

 昨日、狂気的な表情で挑んできたフラウィウスの軍の殿部隊に50名を削られてしまったものの、残りは健在だった。

 アレスは、今日で完膚なきまでにフラウィウス軍を叩き潰す算段を立てているようで、得意気な表情を隠せずにいた。


 アルウィンと共に中央の軍を率いるヨハネス・カヴラス辺境伯の軍勢は4400名。

 昨日の戦いでは特級魔法を扱ってきた敵中央軍のメトディオス子爵の弾幕によって600名の兵を失ったが、未だに作戦を実行出来る範囲内にいる。


 フェトーラが率いていた右軍は、200名を失って2300名だった。

 敵軍師セルゲイの軍と膠着状態となって押し合う中で、主に歩兵が削られてしまっていた。


 そして、無傷の軍勢がふたつ。

 本日の昼過ぎに突撃を仕掛けてくる予定のカロヤン・カラザロフ侯爵の率いる2000名と、中央軍の後方に待機していたベルラント・ゲクラン率いる冰黒狼ダイアウルフに騎乗したゴブリン部隊の200名である。


 本日の予定では、先ずは魚鱗の陣で突撃した中央軍がわざと、アルウィンが敵軍の魔法に被弾したとの誤報を流して緩やかに後退する手筈となっている。

 その間に左右両軍が敵の右軍、左軍を撃破する。

 そして、中央軍が後退しきった瞬間に左右両軍が敵中央軍の側面を突き、背後からカロヤンの2000名が突撃をかけて完全包囲する、というものである。


 では、ベルラントのゴブリン部隊がどう動くのか。

 それは、フェトーラの援護である。


 彼女の動きは、恐らく昨夜のうちに軍師セルゲイによって分析されてしまっているはずだ。

 そのため、彼女の苛烈な魔法に頼った攻めは効果をなさないだろう。

 そんな中で、ベルラントが率いるゴブリン部隊を陣形を斜めに突っ走るように突撃させてセルゲイ軍を分断させる。


 ゴブリンが冰黒狼ダイアウルフに乗ったとしても、彼らは背丈が低いため馬の足の付け根程の高さまでしかない。

 けれども、機動力は抜群であり、小回りがかなり利く。

 そのため、馬の股下を潜り抜けながら気付かれないうちに敵将の喉元へと刃を届かせることが出来るのである。


 アルウィンは、すうぅぅっと息を吸う。

 戦場の風が彼に激しく吹きつけ、遠くからは敵軍の檄の声が僅かに耳に届いてていた。


 そして、雲の隙間から陽光が指した途端に。

 彼は、二日目の朝陽に向かって叫んでいた。


「皆!昨日はよく生き残ったッ!!!

 貴様らは今日、誉れ高き勝利を手にすることが出来るッ!!

 生きてその栄光の瞬間を見たいか!?」


 広大な平原に響き渡った、彼の声。

 彼のエメラルドグリーンの瞳には最終局面へと駒を進める決意と、勝利への確信が満ちている。


 彼の檄が轟くと、直ぐに兵たちからは「「「うぉぉぉぉぉぉぉっ!!」」」と歓声が沸き上がった。


「ならば……死ぬなッ!!

 栄光の瞬間の為だけにその身を奮わせろッ!!

 敵を討ち滅ぼすことだけを考えるんだッ!!」


 その檄で、味方の士気は最高潮に達する。

 彼の足下では、空気が震え、もしくは煮え立つようなほどの熱気が立ち上がっていた。

 まるで大地の全てが彼の指示を待ちわびていたかのように、全員が一体となって天に向けて拳を突き上げて叫んでいる。


 アルウィン・ユスティニアという男の存在そのものが、兵士たちには無敵の力を宿している存在であるかのように感じられていた。




 決戦の瞬間。

 それは、ユスティニア軍の中央軍の突撃から始まった。


 まるで燃え上がる大炎のように、猛り狂う兵士たちは敵に向かって魚鱗の形を形成しながら突進し始めたのである。


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