「徹底的に潰すんだ!!」
ヴァシラが叫ぶとユスティニア軍の歓声が山間に響く。
谷の両側にある崖。横並びに陣を敷いた敵軍を真横から攻めたアレスとスライヴ、ヴァシラの動きに敵軍は混乱状態に陥っていた。
「何故……奴らがが崖上に来ているのだ!」
ユスティニア軍は、谷底の街道を行軍すると思われていた。
だからこそ、ミオン・ヒュパティウスは崖沿いに陣を敷いたのだが───彼を含む幹部陣は夜襲を受けて軒並み死亡している。
有力な指揮官が不在の中、苛烈に攻めるのは東方戦線で実績のあるアレス・ベルサリウスである。
山脈を守る軍には、数百人を率いる程度の低級指揮官は今だ健在だ。けれどもそのうちの何人が混乱状態の軍を建て直せるのだろうか。
「ああクソっ!ミオン様が暗殺されなければ……!」
「おのれ……ッ!!」
得物を振るう低級指揮官たちの殆どは、各々の感情に任せて無謀な攻撃を仕掛けようとする。
けれども、それを予想していたアレス達は攻から防御の陣形へと巧みに兵を動かして応戦するのだった。
「俺たちの目的はアルウィン様たちの本隊が通るための時間稼ぎなのだ。まだ無駄に攻めてはならない!」
スライヴはそう叫びながら、的確に兵の位置を変化させていく。
反対の崖でもアレスが指示を出し、敵の意識を谷底へ向けないようにした。
「いいぞ……これでアルウィン様が通りやすくなる」
ちらりと振り返ると、谷底を行軍するユスティニア軍の本隊9000が見えた。
「何をしてもここで足止めするんだ!谷に敵兵を侵入させてはならないからね」
そう叫び、さらに兵を密集させていくアレス。
集まった兵たちは互いに連携を取りながら、敵の侵入を許さない。
行軍する本隊の先頭は、既にアレスの眼下を過ぎていた。
ここで、敵軍の一部は谷底を通行するユスティニア軍に漸く気が付き、駆け下って攻めようとする。
けれどもその動きを、アレスらが見逃すことは無かった。
「今だ!攻めに出るんだ!」
防御態勢だった部隊。それを突然進めて前線を大きく押し上げると、敵陣は大きく崩れる。
それは、歴史上の数多もの戦が証明している。
アレス自身も愛槍を手に前線へ躍り出ると、次々に低級指揮官らしい敵騎士に狙いを定めて突き刺していくのだった。
「ひ……ひいつ!!また攻めてくるぞ……!!」
勢いに驚いた下っ端の敵兵は主を失って退却しようとする。
アレスが苛烈に攻めれば攻めるほど、逃げようとする兵は増えていった。
総大将も、上級指揮官ももう居ない。
兵卒らの頼りだった低級指揮官も、果敢に槍を振るうアレスによって徐々に数を減らされてしまっている。
無策で彼に挑めば死ぬことが解ったのか、脱落者は留まることを知らなかった。
崖を下ろうとした者たちも退却する仲間の流れに逆らうことが出来ない。
留まらざるを得なくなってしまい、焦りが見える。
「クソっ!脱走兵が邪魔で谷底を奇襲できないッ!」
「これも……あのアレク・ベルサリウスの策かッ!」
呪詛じみた声が戦場には響いていた。
そんな混乱状態の兵たちの中に、果敢にも突っ込んでいくアレスたち。
愛槍は真紅に濡れている。
あの少年はいったい、幾人を刺したのだろうか。
彼を見る敵の歩兵たちは、ただならぬ恐怖を感じ取って一目散に逃げようとする。
けれども、アレスはそれを許さなかった。
背中を見せる歩兵の背を次々と貫き、着々と崖の兵の殲滅を図っていく。
スライヴとヴァシラの箇所も同様だった。
彼らは互いに連携しながら敵を封じこめ、崖から降りることが出来ないようにしていく。
「いいぞ!そのまま横からの守りを固めながら進め!」
谷底を進む本隊を率いるアルウィンも、横に魔術戦闘の達人であるフェトーラを連れて完全防備の体勢になっていた。
敵の攻撃が予想される崖沿いには盾兵を固め、その隣には槍兵を配置する。
そうして、万が一崖上の三将が取りこぼしても良いように対応していた。
「左側ッ!二騎が崖を駆け降りて来るぞッ!!」
アレスの包囲網を力ずくで突破したのか、傷だらけの騎兵二人が真下へと突撃してくる。
アルウィンのいる本陣へ、この状況でも亡きミオン・ヒュパティウスのために一矢報いようと覚悟を決めて。
「死ねェ!アルウィン・ユスティニア!!」
勢いで盾兵を蹴散らそうと、二本の大矛が振り下ろされる。
けれども。
「今だ!〝
アルウィンがそう言い放った途端、五名の盾兵がザザッと動いた。
五人は盾をぴったりと密着させながら地面に下部を突き刺して、騎馬の突撃に耐えられるように姿勢を低くしたのだ。
盾兵が急に姿勢を低くしたため、敵騎兵二名の振るった大矛は空を斬る。
彼らが「あっ……」と驚きの声をあげるも、もう遅い。
勢い余った馬が体当たりを仕掛けるも、地面に盾を突き刺して密集した〝
敵騎士は攻撃が当たると信じて馬を駆けさせていた。大矛の攻撃を浴びた盾兵に馬の体当たりをぶつけて吹っ飛ばしながらアルウィンに迫る筈だった。
そんな彼らの突撃は見事に防がれ、顔は蒼白に染る。
「今だ!槍兵!」
〝龍鱗〟に足止めされた敵騎士に伸びていく、幾つもの槍。
当然それらを捌ききるのは不可能で、身体を貫かれた彼らは落馬していく。
シンプルながらも歩兵のみで騎兵を倒したこの戦法は、アレスの入れ知恵だった。
崖上の兵たちがいくら頑張ろうとも、敵兵のうち数名は漏らしてしまうだろうと予測したアレスはこの術をアルウィンに伝授し、本隊の指揮系統を彼に委ねたのである。
「アルウィン様……上手く動かせていますね」
横目でその状況を確認したアレスは、更に槍を振るうスピードを早めていく。
その動きは、獅子奮迅という言葉では足りないほどだった。
馬を全速力で駆けさせながら、魔力で身体強化を行いながら左右の敵兵全てを一撃で葬り去っていくのだ。
小柄で童顔な彼が見せる圧倒的な武力に、敵陣は恐怖を抑えられなかった。
「アレスが……ヤツは化け物だッ!」
「逃げられねぇ……ガハッ!!」
強引に突破したように見えたアレスだったが、返り血を浴びながらも彼の表情は穏やかだった。
彼の後ろにぴったりと続く騎兵たちも、主の勢いに乗せられて士気を高め、次々と敵陣を荒らしている。
彼らの興奮の声を聞いた対岸のスライヴとヴァシラも勢いを強めていた。
スライヴは左側の敵を、ヴァシラが右側の敵を担当し、二人は併走しながら敵をバッサバッサと斬り裂いていくのだった。
敵軍からしてみれば、この状況は最悪でしか無かった。
「くそっ……!!無理だ!」
崖上では別働隊に動きを封じられ、そこを脱して本隊に攻勢をかけても〝龍鱗〟によって完封されてしまう。
「いくら頑張ろうと……無理だ」
敵陣から洩れる不安の色。
彼らの戦意は落ちるところまで落ちきっていた。
「ひぃぃぃぃぃッ!!」
彼らは戦う前から総大将ミオン・ヒュパティウスを失っていた。
そして、彼らを潰しにかかっているのは知略でも武勇でも名を馳せるアレス・ベルサリウスなのだ。
敵陣に駆け巡る恐怖は、まるで皆の首筋にナイフが突き付けられているかのよう。
いつの間にか疲れ果てた敵軍は───戦うことを放棄して、てんでバラバラに逃げ出したのだ。
ほぼ無傷のユスティニア軍がメフメト山脈を超え、ヴァルク王国の王都ソフィアポリスに迫ったのは五時間後であった。