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第51話 カラ・ハンの副族長

 帝都教育庁は、基本的には女子教育にはさほど熱心ではない。

 現在の皇太后が皇后だった頃、六代帝の時代ならともかく、今上の皇帝は、教育にはそう熱心ではない。教育庁側が復古調になっていこうと、気にすることでもなかったのだ。

 したがって、教育庁側では、男子ではないのか、男子にしてはくれまいか、と何度かカラ・ハン側に打診したものである。だがカラ・ハンの族長ディ・カドゥン・マーイェは「彼女が今年の最優等生だ」と言って、断固として断った。

 現在の族長はまだその任についてそう時間が長くはない。歳もまだ、三十を少し過ぎた程度である。

 この地の族長は、世襲ではない。彼もまた、数名の候補の中から数年前に正式に選ばれたものである。彼は自分が族長に選ばれた際、同時に副族長に選ばれたファイ・シャファを翌年妻にした。二人の間に子供はいない。


「……もっと速く歩けんのか! お前いつからそうとろくなったんだ!」


 友人達ととりあえず別れたティファンは、背後のエカムにやや苛々しながら声を投げる。エカムは立ち止まると、何と肩で息をついている。


「お前が速いんだよ、ティファン」

「あたしは普通だ! エカムお前が遅いんだ!もういい、先に行く!こっちでいいんだな!」

「……はいはい」


 エカムはひらひらと手を振る。別にさぼっている訳ではないんだがな。彼は自分の膝をそっと撫でる。

 ティファンはそのまま更に歩く速度を上げていく。途中で何人かの人々とすれ違う。


「あんらま、ティファンじゃないかい!」

「何だねその変な頭は!」

「でかくなったねえ、たった一年なのにさ」

「えーっ! ティファン? ティファン帰ってきたの!」


 連鎖反応的に彼女にかける声は増えていく。

 一人に一人に返したくもあるが、その余裕は彼女の気分にも身体にもなかった。ただいまーっ、とティファンは早足で歩きながら、一言大声で叫ぶ。


「何処いくんだーい!」

「族長んとこ! 今居るの?」

「留守だよ」


 ティファンの足が止まる。


「ああ? 留守?」


 留守だと答えた一人の前につかつかと歩み寄る。


「留守って言った?」

「うん。今隣町の局に行ってる。何かあったのかね」

「んもう!」


 彼女は手に掴んでいた服を思いきり地面に投げつけようとする。だがその時、その手を掴まれた。      


「服が可哀想」

「シャファさま!」

「族長はお留守だけど、私はずっと居たよ。族長に何の用だったんだい? カン・ティファン」


 そしてひょい、と副族長の手があわや砂まみれになるところだった帽子を助け出す。そしていい帽子だね、と穏やかに表に裏に返す。


「……族長に…… 伝言を。手紙を頼まれたんです。必ず直接渡せ、と……」

「直接。じゃあ少しこちらで待つがいいよ。彼はもう少しで帰ってくるだろうから」

「ありがとうございます」


 ティファンにとって、この副族長は憧れの女性だった。

 伝統的に長い髪を二つに分けて長い三つ編み。それが馬を走らせると大きく鞭のようにうねる。身体は大柄では決してない。どちらかと言えば小柄である。声も、その口調とは裏腹に、結構可愛らしいものである。

 だがこの人は副族長なのだ。

 他にも候補は居た。候補の大半は男だった。彼女の倍くらいの大きな体の者も居た。決める際には、紅白戦が行われる。その中で、最もよく戦った者が選ばれるのである。誰もが、他の若い、大柄な男が勝つと思っていた。

 だが彼女が勝った。

 彼女は自分にそう体力がないのを知っていたから、頭を使い、呼吸をはかり、ある瞬間を待ったのである。そして飛び道具。これだけは彼女にも自信があった銃と弓。もちろん模擬戦闘だから、身体に当たっても相手にはケガをさせないように細工してある。だが当たったことは判るように。当たると色が付くのだ。……ファイ・シャファは、誰よりも人に色を付け、誰よりも自分を白いままで保った。

 そして誰もが彼女を認めたのである。

 ファイ・シャファは、ティファンが学都の一つ東海華市の第一中等学校へ行く前から、そういう存在だった。何故彼女が女の身でそうなろうと思ったかは定かではない。彼女もそのことに関しては笑って答えない。ただ「それが夢だったのよ」と繰り返すだけである。

 さてティファンであるが、彼女はもちろん族長をまず尊敬している。

 族長であるということは、このカラ・ハンで一番強い戦士であり、また人をとりまとめ、率いていく力があると認められた者である。若くしてその地位についたに関わらず、彼は実によくやっている。確かに尊敬に値する。同世代の少女達はまず大半が族長に憧れる。憧れるに値する容姿でもあった。

 彼女にも、もちろんそういうところはある。小学校の高等科くらいになるとあれこれと出てくる甘く夢見がちな話の中で、彼は主人公と化した。

 だがそれと平行して、ティファンは副族長ファイ・シャファをも尊敬と憧れの対象としていた。

 その尊敬は族長に対するそれとは違う。族長に対する憧れが、「彼の横に居たい」という実に甘い夢であるのに対し、シャファに対するそれは、「彼女みたいになりたい」というものだった。

 まあだが、そう思う少女はそう居るものではない。気風が気風だから、馬鹿にする者はいないが、ああいうふうになりたいのかい、大変だねえ、とよく言われたものである。


「それにしても、ティファン、元気で何よりだ。エカムはずいぶんお前のことを気にしていたが…… 奴には会ったのか?」

「……ええまあ。シャファさまどうしてそこでエカムが出てくるんです!」


 シャファは家の中で待てばいい、と言ったが、ティファンはお天気もいいし、と入り口に座り込んでいた。


「だってお前達、昔はいい競争相手だったじゃないか?」

「昔は昔です!」


 あははは、とシャファは笑った。


「だがお前ももう十八じゃないか?」

「あたしまだ十七ですよ」

「どっちだっていい。私が長に惚れたのも、その位の頃だ」


 現在のシャファは二十代後半らしい。


「何言ってんですかシャファさま。あたしと奴はそんな関係じゃあないですよーっ」

「さあて」


 シャファはにやにやと笑う。   

 やがて遠くから馬の駆ける音が聞こえてきた。


「……ああ帰ってきたようだ」

「隣町の局ということですが?」

「何だか知らないけれども、今朝いきなり高速通信が来てね、華西管区の区役所から呼び出されたんだ」

「管区の…… まさか」


 ん? とシャファは首をかしげる。


「何か心当たりがあるのか?」

「……あると言えば大ありで……」


 足音が止まる。近くの共同の馬付き場に止めているのだろう。ティファンの耳に、水の音が飛び込んでくる。


「ずいぶんと飛ばしたようだ。ファ・デュががぶがぶ水を呑んでいるようだ。何があったっていうんだ?」


 やがて桶を置く音がする。そして砂を踏む音が……顔を見せる。


「はあ? ティファンお前生き返ったのか?」


 カラ・ハンの族長は、自分の家の前で立ち上がった少女を見て、開口一番、そんな声を立てた。

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