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第61話 「女子は相続に不利よ」

 かたん、と車体が軽く揺れて、ワゴンを押した少女給仕はややバランスを崩した。


「大丈夫?」


 黒夫人はよろけたエプロン姿の少女を支えた。


「……あ、ありがとうございます。大丈夫です……」

「まだ慣れていないのね」


 そう言って彼女はにっこりと微笑む。少女は頬を赤らめる。そして自分の職務に立ち返る。


「……お茶を如何ですか? 奥様」

「いただくわ」


 黒夫人は優雅にカップを受け取った。


「あなたもどお?」

「お茶以外では何がありますか?」


 シラは夫人の方を見ずに少女給仕に訊ねた。


「コーヒーかホットレモネードがありますが」

「じゃあコーヒーを」

「刺激の強いものは肌に良くないわよ」

「ありがとうございます。ミルクをたっぷり入れてちょうだい」


 かしこまりました、と小学校の高等科を出たばかりの年頃の少女給仕は答える。

 都市間列車の二等個室にはそういったサーヴィスが回ってくる。

 大陸横断列車と違って、あまり長距離専門ではない都市間列車には、食堂車の有無もまちまちである。

 ついている場合は、美しい内装が施された食堂で食事ができるし、ついていない場合は、このように一等車、二等車といった車両に飲物やお菓子のサーヴィスが回ってくる。   

 「学都」の一つである東海華市は、帝国の広大な版図のうち、やや北東よりにある東海管区にある。名の通り、帝国が面している海のうち、「東海」と呼ばれる海域に面している地域である。

この学都群は、帝都からはやや離れた地域に集結していると言っていい。

 学都は帝国教育庁の教育基本法により、東海管区と、その南隣の青海管区にのみ作られている。

 その場所指定にどんな意味あいがあったのかは定かではないが、の二つの管区では、学生を中心とする文化と消費が盛んであることは事実である。

 さてその東海華から帝都や副帝都へ向かうには、まず都市間列車で最寄りの総合駅へ出なければならない。

 東海華に一番近い総合駅は「梅香市」駅である。とりあえずシラは黒夫人に連れられてそこまで出る途中だった。

 荷物は多くはなかった。

 とにかく急げ、と急かす黒夫人の言葉に、結局従ってしまった形であることが何となくシラは悔しい。


「そろそろ話して下すってもよろしいのではないですか?」

「はい?」

「帝都へ行く目的です」

「ああそのこと」


 夫人は軽く言葉を流す。シラはその軽さに苛立つ。


「あなたはあたしを助けようと言われますけれど、一体どういう意味であたしに助けられなくてはならないこどかあるのか、あたしにはさっぱり判らないんです」

「説明が欲しい、ってことかしら?」

「ええ」

「まあそれは妥当な権利よね。ではその前に一つ訊ねたいわ。シラ、あなた、自分の他にホロベシ男爵に法律で認められた子供が居るかどうか、知っていて?」

「いいえ。でも居てもおかしくはないと思いますが」

「じゃあ言いましょう。居るのよ」


 シラは一瞬黙った。


「ショックかしら?」

「少しは」

「しかも男の子。あなたより一つ下ってところかしら? 確か今年あなたとは別の学都の中等の高等科に入ったはずよ」

「一つ下、ですか……」


 とすれば、自分が生まれた頃に関係のあった相手の子ということになる。


「その母親が現在帝都にいるんだけど、男爵の死亡を聞きつけた途端、その子の権利を主張し始めたのよ。遺産はその子のものだって」

「何ですって!」


 シラは太い眉を思いきり吊り上げる。


「知っていて? この国の相続に関する法を」

「聞きかじり程度でしたら」

「そう。ならそう思って話すわ。はっきり言って、あなたは不利よ」

「……だと思います」

「向こうの男の子は、来月認知される予定だった、というの。つまり今の所は、向こうの子は、母親の父親の姓を名乗っているわ。ただ、正式に認知されていないといっても、認知のための証拠はいろいろと持ち合わせているらしいの。何事もなければ、間違いなく認められるわね」

「……」

「対してあなた。まずあなたが女の子であるということ」

「ええ」

「女子は相続に不利よ。相続が認められるのは実の娘だけ、しかも、他に庶子の男子もいない場合に限られるわ」

「……ええ」


 シラは自分の頬をはたきたい気分だった。考えてしかるべきだったのだ。その事態は。

 もちろんただ知ったところで、ただの中等学校生のシラにどうすることができた訳でもない。


 でも知っていたと知らないでは気分が違うじゃないの。不覚!


「そしてもう一つの不利。あなたがホロベシの本当の娘ではない、ということ」

「それは……」

「さっきも言ったでしょう? さすがに私も、あの時の本当のアヤカ・キラの相手が誰だったかなんて知らないわ。だけどそういうことがあったのは事実よ。それとも、その相手を知りたい?」


 シラは首を横に振った。


「もちろんそれは公にはされないでしょうね。それに男爵自身はあなたを認知している。本当にそうか、なんてのはまあ法的には別に効力はないわ。問題は、世評の方ね」

「世評……」

「私は大嫌いだったけど」


 夫人は言葉に強い力を込めた。


「あの男は何故か御婦人方には評判が良かったのよ」


 シラは露骨に顔をしかめた。


「あらその顔」


 夫人はふっと笑った。


「あなたも嫌いだったの?」

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