零夜達一行はアルグラスの滝を後にし、今はドングル林の奥深くへと足を踏み入れていた。そこは一見、ごく平凡な森に過ぎなかった。木々がまばらに立ち並び、風にそよぐ葉擦れの音が静かに響くばかりで、特別目を引くものは何一つない。それどころか、モンスターの気配すらほとんど感じられないほど穏やかだった。
「この辺りは普通やから、大丈夫みたいね」
「そうですよね。こういう場所は初めてですし、空気も美味しいです!」
「でしょ? まだ他にも知らない場所があるから、後で案内するわ!」
倫子たちは周囲を軽く確認しながら、景色を楽しみつつ歩を進めていた。地球にも似たような風景は存在するが、この世界の空気は澄み切っていて、深呼吸するたびに肺が清々しさで満たされるようだ。自然の美しさでは、こちらが一歩上かもしれない。
三人で楽しげに会話を交わす中、零夜だけはどこか浮かない顔をしていた。真剣な眼差しで前方を見つめ、何かに思いを巡らせている様子だ。その表情からは深刻な悩みを抱えていることが容易に察せられ、心の中では八犬士としての使命が重くのしかかっていた。
(八犬士としての旅が始まったけど、仲間があと四人必要だな。ハルヴァスにいるのは確かだけど、どこにいるんだか……)
零夜は心の中で、未だ見ぬ仲間たちの行方を真剣に考えながら歩き続ける。頭の中ではハルヴァスの地図がぼんやりと浮かびつつも、具体的な手がかりは掴めていない。そんな思索に沈む彼の耳に、西側の茂みからガサガサという不穏な音が飛び込んできた。
「この気配……敵が近づいてきますよ!」
零夜が鋭く叫んだ瞬間、茂みが爆発するかのように激しく揺れ、一斉にモンスターが姿を現した。その数は驚くべきことに百匹を超えている。一匹や二匹ならともかく、これほどの群れは尋常ではない。地面が震え、木々の間を埋め尽くすほどの勢いで襲い来るモンスターたちに、零夜の心は一瞬で戦闘モードに切り替わり、仲間を守る決意が彼の瞳に宿った。
「モンスターがこんなに! レベルアップにはちょうど良いけど、種類はどうなってるの?」
突然の出現に一瞬たじろいだ零夜たちだったが、すぐに戦闘態勢へと移る。倫子は驚きを隠せないながらも、冷静にヤツフサへ質問を投げかけた。彼女の声には動揺が混じっていたが、それを押し殺す強さが感じられる。
ヤツフサは鋭い目でモンスターの群れを見据え、落ち着いた声で分析を始める。
「種類は水色のスライム、角付きの白ウサギ『ツノラビ』、それとハヤブサ型の『ファルコス』だ」
「なるほど。私はオールラウンダーだから、モンスターを仲間にできるみたい。どうやって仲間にするかは分からないけど……」
倫子はヤツフサの説明に即座に反応し、自分の能力を思い出す。好奇心と仲間を支えたいという願いが彼女の心に渦巻き、未知の力への期待が膨らんでいた。
そんな彼女を見たアイリンが、軽く視線を向け、少し偉そうな態度ながらも笑顔でアドバイスを口にする。
「ったく、こういう時はマジカルハートがオススメよ。両手でハート作って、笑顔で呪文唱えるの。女専用の技だけど、絶対成功するんだから」
「そうなんだ! せっかくだから、やってみる!」
倫子はアイリンの提案に目を輝かせ、早速両手でハートを作り、満面の笑みを浮かべた。彼女の明るい表情が、迫り来る敵の威圧感を一瞬和らげる。
「狙いを定めて……マジカルハート!」
倫子の両手からピンク色のハート型の光線が迸り、スライムの一匹に直撃した。光が炸裂した直後、スライムはピョコピョコと跳ねながら近づき、地面に頭を下げて服従のポーズを取る。初めての成功によって、倫子の不安が自信へと変わっていく。
「まさか成功するとはビックリやね。これからよろしく!」
倫子が驚きつつも笑顔で応えると、スライムは光の粒子となって彼女のバングルに吸い込まれた。最初の仲間ゲットで仲間が増えた安心感と、さらに強くなりたいという欲求が芽生えていた。
「上手く成功しましたね」
「うん。けど、もうちょっと欲しいかな? 沢山仲間にしといたら楽になりそうだし」
日和が感心したように微笑むと、倫子も笑顔で返す。しかし一匹だけではもの足りず、もう少し欲しいと心から思っているだろう。
「なら広範囲のハートベールもあるけど、今のレベルじゃマジカルハートが限界みたいね。仕方ないでしょ」
「仕方がないか。なら工夫して……マジカルハート!」
アイリンの苛立ちながらの説明に、倫子は小さくため息をつきつつも気を取り直し、再びマジカルハートを放つ。光線が次々とスライム、ファルコス、ツノラビに命中し、全員がスピリットとなってバングルに収まった。
倫子の心には満足感と、さらなる可能性への期待が広がっている。
「まあ、このぐらいかな」
「では、残りは倒しておきましょう!」
倫子が数を確認して頷くと、零夜たちは一斉に戦闘態勢へ移る。零夜の心は再び使命感で満たされ、仲間を守るために戦う覚悟が固まっていた。
「攻めたらこっちの物! 手裏剣連続投げ!」
零夜が叫ぶと同時に、彼の手から無数の手裏剣が嵐のように放たれた。鋭い刃が空気を切り裂き、スライムを次々と貫く。青色の体液が飛び散り、地面に溶けるように消えていく。零夜の動きには迷いがなく、戦いの中で自分の役割を全うすることに全神経を集中させていた。
「この世界、モンスター倒すと素材と金貨になるのね。安心して戦えるわ!」
日和は血が出ないことに安堵し、二丁拳銃を構える。彼女の心には戦いの残酷さへの恐れと、それを乗り越えたい決意が共存していた。
「このまま……バレットショット!」
日和が引き金を引くと、銃口から放たれた弾丸が唸りを上げ、ツノラビの群れに突き刺さる。角が砕け散り、金貨と素材が地面に散乱する。しかし、素材の一つであるウサギの肉を見て、日和は苦笑いを浮かべた。
「ウサギの肉はちょっとキツイかな……」
「空中の敵は私に任せなさい! フレイムキック!」
アイリンが叫びながら跳躍し、炎を纏った足が弧を描いてファルコスの群れに炸裂した。轟音と共に炎が広がり、ファルコスが次々と丸焼きになって地面に落下する。
「何!? 鳥の丸焼きって何!?」
「いくら何でもおかしいでしょ!」
鳥が丸焼きに変化する光景に、倫子と日和が目を丸くして驚くのも無理はない。アイリンは地面に着地すると、平然と丸焼きを回収し始めた。
「ハルヴァスじゃ、炎で動物系モンスター倒すと丸焼きになるのよ。ほら、証拠でしょ」
「それを先に言えや!」
アイリンの説明に倫子が思わずツッコミを入れると、日和も頷いて同意する。異世界の常識にまだ慣れない二人にとって、これはカルチャーショックだった。だがアイリンにとっては当たり前のことで、彼女の自然体が逆に際立っていた。
「油断しないでください! まだ残ってますよ! それっ!」
零夜が叫びながら火薬玉を投げると、爆発がツノラビの群れを飲み込んだ。轟音と共に土煙が上がり、金貨とウサギの丸焼きが飛び散る。冷静に素材を回収する零夜の姿に、仲間を守る覚悟が滲み出ていた。
「ウサギの丸焼きも悪くないですね」
(す、凄い……零夜君、こういうのに慣れてるんだ……)
(明らかに凄いとしか言えませんね……)
零夜の淡々とした行動に、倫子と日和はただ唖然とするしかなかった。この世界に早くも適応する彼の姿は、地球人から見れば異常とも言えるだろう。
すると、地面が再び震え、新たな敵の増援が姿を現した。スライム、ツノラビ、ファルコス——同じ種類だが、先ほどよりも数が多く、威圧感が増している。
「まだまだやれますね?」
「当然! ここからは私たちのプロレスでやらないとね!」
「ええ。私たちはここで一歩も引きませんから!」
零夜、倫子、日和は即座に格闘の構えを取り、モンスターたちに襲い掛かった。同じ敵でも容赦なく倒す覚悟が、それぞれの心に宿っている。
零夜のスピンキックが空気を切り裂き、ツノラビを薙ぎ払う。倫子と日和が息を合わせて放つ二段蹴り「新人賞」が炸裂し、スライムとツノラビが次々と金貨と素材に変わっていく。
「彼らなら心配ないわね。私も頑張らないと!」
アイリンは零夜たちの戦いぶりに信頼を寄せつつ、自らも援護に動き出す。炎を纏った拳がファルコスを叩き落とし、モンスターたちは為す術もなく数を減らされていく。
※
全ての敵を倒し終えた後、零夜たちはレベルアップの光に包まれ、それぞれの成長を実感した。新たなスキルも追加され、彼らの力は確実に増している。
零夜:レベル1→3、取得スキル:属性忍法
倫子:レベル1→3、取得スキル:料理
日和:レベル1→3、取得スキル:裁縫
零夜の使命感、倫子の好奇心、日和の優しさ、アイリンの自信、ヤツフサの冷静さ——彼らの内面が交錯しながら、冒険はまだ始まったばかりだった。
「食料も大量に手に入れて良かったけど、アイリンはあの時食料不足だったのはなんでなん?」
倫子が気になっていたことを質問すると、アイリンは赤面しながら横を向いてしまう。恥ずかしさが彼女をためらわせていた。
「あの時は……悪鬼のモンスターたちに捕まらない為にも、隠れる事に集中していたわ。しかも食料となるモンスターも少なかったし……」
「倒れて今に至るという事やね」
アイリンが当時の状況を語ると、倫子たちは真剣な表情で頷いた。悪鬼のモンスターは手強く、一般の冒険者では太刀打ちできない。八犬士でさえ、強くならなければ同じ運命を辿るだろう。
「だが、冒険は始まったばかりだ。我々もサポートが必要と言えるだろう」
「そうね。さ、先を急ぐわよ!」
一行は笑顔を交わし、次の目的地へと歩き始めた。冒険は、彼らの心をさらに強く結びつける旅路となるだろう。