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第7話 ゴブリンの悪巧み

 零夜達は鬱蒼としたドングル林を抜け、クローバールを目指して歩き続けていた。木々の隙間から差し込む陽光が地面にまだら模様を描き、そよ風が葉を揺らす音が一行の足音に寄り添う。目的地まではまだ3キロ以上あるらしく、長旅に疲れを感じ始めた彼らは、近くの丘の上に腰を下ろし、休息を取ることにした。  


「ふう……こんなに歩いたの、本当に久しぶりね……」 


 倫子は疲れ果てた体を草原に仰向けに投げ出し、青空を見上げた。雲一つない空は、地球にいた頃と変わらない美しさで広がっている。風が彼女の髪を軽く揺らし、草の柔らかな感触が心地よい。どの世界でも青空は同じなんやな、と倫子はぼんやり考えていた。異世界に来てから、日常の何気ない風景にさえ新鮮な感慨を抱くことが増えていたのだ。  


(あれからモンスターの襲撃も何度かあったけど、今のところはスライム、ファルコス、ツノラビが各十匹ずつ。モンスターを捕まえる数に限度があるなんてビックリだけど、一種類につき十匹までしか捕まえられないみたいね……)  


 そんなことを思いながら、倫子は腕のバングルにそっと触れた。すると半透明のウィンドウが目の前に浮かび上がり、捕獲したモンスターの数が表示される。スライム、ファルコス、ツノラビ、それぞれ十匹。画面の端には小さなアイコンが並び、モンスター達の姿が簡略化されて映し出されていた。レベルが上がれば捕獲枠も増えるらしいが、今の彼女達の実力では、その道のりはまだ遠く感じられた。  


(せっかくやし、もうちょいモンスター欲しいなぁ。他の種類とかおらんのかな……)  


 ウィンドウを消すと同時に、倫子は疲労に抗えず、そのまま草原の柔らかさに身を委ねてしまった。歩き疲れた体を休めようと、自然と眠りに落ちる。彼女の静かな寝息が丘の上に響き、一時的に穏やかな空気が漂った。

 だがその様子を、丘の麓に広がる茂みからこっそり覗く者たちがいた。ゴブリンだ。小柄で緑がかった肌をした小鬼たちで、集団で行動するのが特徴だ。イタズラ好きで知られ、旅人を見つけては何か企むことが多い。この一群も例外ではなかった。  


「おい、あいつ、いい胸してんな。しかも裸オーバーオールじゃねえか」

「親分に持ってったら喜ぶんじゃねえか?」

「馬鹿! この前の失敗忘れたのかよ! あのセクハラのせいで仲間減らされたんだぞ!」  


 ゴブリンAとBが倫子を品定めするように囁き合う中、ゴブリンCが慌てて制止する。その声には苛立ちと諦めが混じっていた。数日前の苦い記憶が脳裏をよぎる。

 あの時、一人の女性をさらってボスゴブリンに差し出したところ、ボスは我を忘れて彼女の胸や尻を揉みまくるセクハラに走った。しかしやりすぎた結果、女性は怒り狂い、ボスの股間を容赦なく蹴り上げて悶絶させ、さらに腹いせにゴブリン達を次々と殴り倒して逃げ出したのだ。その騒動で仲間は大勢死に、今ではボスを含めてわずか十匹しか残っていない。  


「でもよ、親分まだ懲りてねえみたいだし、付き合うしかねえだろ」

「説得したって無駄だぜ。あいつが懲りるのは当分先だろうよ」  


 ゴブリンAとBの話を聞いて、ゴブリンCは呆れたようにため息をつく。自分たちが慕うボスがこんなセクハラ野郎だなんて、どうしようもない気持ちだった。こんなアホに付き合ってたらこっちが精神おかしくなるわ、とさえ思う。ゴブリンCの小さな瞳には、疲れ果てた光が宿っていた。  


「もういい! 俺はあんな奴と付き合うのゴメンだ! じゃあな!」

「おい、ちょっと待てって!」  


 仲間の制止を無視し、ゴブリンCが怒りに任せて立ち去ろうとしたその瞬間、茂みの奥からドスドスと重い足音が響いてきた。ボスゴブリンだ。太った体を揺らし、棍棒を肩に担いで現れたその姿は威圧感に満ちている。今の話を全て聞いていたらしく、怒りで顔が赤黒く染まり、体がワナワナと震えていた。  


「おい、今俺の悪口言ってたのはどこのどいつだゴラ」

「ゲッ、ボス! こ、これは、その……」  


 慌てて弁解しようとするゴブリンCだが、時すでに遅し。ボスゴブリンの怒りは頂点に達しており、もはや言い訳は通用しない。棍棒を握る手がギュッと締まり、血管が浮かび上がる。  


「馬鹿野郎! 俺の悪口言うんじゃねえ!!」

「ぶへらっ!」

「ひゃい!?」  


 ボスゴブリンが大声で怒鳴りながら、ゴブリンCの顔面に右ストレートを叩き込んだ。鈍い音と共にゴブリンCが吹っ飛び、草の上を転がる。その大声が丘の上まで響き渡り、眠っていた倫子が飛び起きた。彼女は目を丸くし、慌ててその場から走って逃げてしまった。

 倫子は大声や雷が大の苦手で、聞こえた途端に逃げ出す癖がある。今回も耳に響いた叫び声に驚いて逃げたのも無理はない。

 一方、ゴブリンCは殴り飛ばされて宙を舞い、草原に背中を打ち付けてピクピク痙攣しながら倒れてしまった。残されたゴブリン達は呆然とその光景を見つめるしかなかった。  


「ったく。で、可愛い子ちゃんはどうした?」

「アンタの大声で逃げられました」  


 ゴブリンAが指差す方向を見ると、倫子はすでに丘の向こうへ消えていた。ボスが大声を出さなければ逃げられることはなかっただろう。ボスゴブリンは舌打ちし、棍棒を地面に叩きつけて苛立ちを露わにした。  


「……まあ、過ぎたことはしょうがない。こうなったらあの女を捕まえに行くぞ!」

「となると、全戦力で戦うしかありませんね。他の七匹も呼びに行きます!」  


 ボスゴブリンは何が何でも倫子を捕まえると宣言。ゴブリンAは真剣な顔で考えた後、残りの仲間を集めに向かった。ゴブリンは全部で十匹しかいないため、全戦力を投入するしかないと判断したのだ。ゴブリンAは小走りに茂みへ消え、遠くで仲間を呼ぶ甲高い声を上げ始めた。 


「後は痙攣してる馬鹿を治療しろ。戦力減らすわけにゃいかねえからな」

「はっ!」  


 ゴブリンBは倒れたゴブリンCを回復させるため、腰に下げていた小さな袋からポーションを取り出した。濁った緑色の液体をゴブリンCの口に無理やり流し込むと、彼は咳き込みながらも目を覚ました。ボスゴブリンは倫子を我が物にしようと、ニヤリと下卑た笑みを浮かべていた。  


 ※  


「まさか寝てる途中で大声に起こされるなんて、本当に驚きましたよ」

「災難でしたね、倫子さん。泣き止むのにだいぶ時間かかりましたよ」  


 その頃、零夜達はクローバールに向かって歩きながら、倫子の話を聞いて苦笑いを浮かべていた。

 倫子はボスゴブリンの大声から逃げた後、零夜に抱きついてヒックヒック泣きながら怯えていた。零夜と日和に慰められてようやく落ち着いたが、年上なのに泣き虫という意外な一面に驚きもあっただろう。

 道端の石ころを軽く蹴りながら、倫子はまだ少し震える声で話していた。  


「だって怖かったんやもん。大声とか叫び声とか苦手やし……」  


 倫子はぷくっと頬を膨らませ、首を振ってそっぽを向く。目にはまだ涙の跡が残っていて、本当に怖かったことが伝わってくる。

 彼女の隣を歩くアイリンは、そんな倫子を一瞥しながらジト目で見ていた。耳がピンと立った頭を少し傾け、腕を組んで余裕の態度を見せつける。  


「まあ、誰だって苦手なものはあるわ。でも私なら大声くらいじゃ怖くないからね!」  


 アイリンがツンと鼻を鳴らし、自信満々に言い放つと、その瞬間、目の前の茂みがガサガサと揺れた。彼女が一歩進んだところで、巨大な蜘蛛のモンスターが姿を現した。ライオンほどの大きさで、黒々とした毛に覆われた八本脚が地面を這う姿は異様そのものだ。  


「「「キャーッ!!」」」 


 倫子、日和、アイリンの三人は驚きのあまり一斉に零夜にしがみつき、ガタガタ震え出す。アイリンの猫耳はぺたんと倒れ、尻尾が膨らんで恐怖を隠しきれなかった。だが蜘蛛は彼らに目もくれず、そのまま森の奥へと消えていった。零夜は三人に絡みつかれて動きにくそうに苦笑いを浮かべる。  


「アイリン、お前さっき怖くないって言ったのに、しっかり怖がってるじゃないか。嘘つくなよ」

「だって怖いんだもん……虫が苦手なんだから……」

「倫子さん、あんな大きな蜘蛛、初めて見ました……」

「夢に出てきたら、怖くて漏らしそう……」  


 アイリンは目を潤ませ、しぶしぶ認めるように呟いた。倫子と日和もヒックヒックと泣き出し、その情けない様子に、ヤツフサが呆れたように鼻を鳴らす。彼は地面に座り込み、前足で顔を隠すようにして溜息をついた。蜘蛛ごときで怯える仲間たちに、内心で情けなさを感じていたのだろう。  


「まったく、蜘蛛ごときで……敵が来るぞ! 早く戦闘態勢に入れ!」

「ふえ?」  


 ヤツフサが低い唸り声を上げて警告した瞬間、茂みから十匹のゴブリンが飛び出してきた。さらにその後ろからボスゴブリンが姿を現し、棍棒を振り回しながら零夜達の前に立ちはだかる。ゴブリン達の目はギラギラと輝き、獲物を狙うような雰囲気が漂っていた。  


「お前ら何者だ!?」

「俺たちはゴブリンだ! そこの美女を奪いに来たぜ!」

「え? ウチ?」  


 ボスゴブリンが自己紹介し、倫子を指差して奪うと宣言。彼女がキョトンとするのも無理はなかった。倫子は目を丸くし、自分が狙われていると気づいて零夜の後ろに隠れる。アイリンは猫耳をピンと立て、爪を立ててゴブリン達を睨みつけた。ヤツフサは毛を逆立て、低く唸りながら戦闘態勢に入る。一行とゴブリン達の間に緊張が走り、戦いが始まる予感が漂っていた。  

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