ボスゴブリンの大胆な宣言が響き渡った瞬間、倫子は目を丸くした。彼女の心は驚きと混乱でざわめいていた。目の前に立つ醜悪な怪物が、自分を「奪う」と言い放った。倫子は一瞬、自分がどう反応すべきか分からず、ただ呆然と立ち尽くしていた。
一方、零夜は鋭い視線でボスゴブリンを睨みつけていた。彼の瞳には怒りと決意が宿り、まるで刃のように相手を切り裂く勢いだ。憧れの倫子が危険に晒されていると知った瞬間、彼の胸は熱く燃え上がっていた。黙って見過ごすことなどありえない。ここで自分が立ち上がらなければ、彼女を失うかもしれない——そんな危機感が彼を突き動かしていた。
「ボスゴブリンだったな。倫子さんを奪ってどうするつもりだ?」
零夜の視線は鋭く、ボスゴブリンを射抜く。こいつの企みがろくでもないものであることは明白で、こうでもしなければ倫子が危険に晒されるかもしれないと確信していた。
「セクハラだよ。俺は美人な女を手に入れて、自分の物にするんだ! もちろん衣食住は与えるけどな」
(セクハラ……)
ボスゴブリンの言葉は、下卑た笑いとともに吐き出された。彼の内面は欲望と傲慢に満ちていた。自分より弱い者を支配し、力でねじ伏せることに喜びを見出す歪んだ精神。倫子を「物」としてしか見ていないその姿勢は、彼の浅ましい本性を如実に表していた。
当然零夜は怒りに震え、即座に倫子の前に立ちはだかり戦闘態勢を取った。セクハラという言葉に触れた途端に行動を起こすのは当然だろう。
「ならお前を倒すのみだ! 倫子さんにこれ以上手を出そうというのなら、俺が始末してやる!」
(零夜君……)
零夜の真剣な言葉に続き、彼は忍者刀を手に召喚する。それを見た倫子は頬を染め、心臓が激しく高鳴るのを感じた。
零夜の存在は、いつもそばにある安心感だった。でも今、彼の背中を見ていると、何か新しい感情が芽生えつつあることに気づき始めていた。守られているという感覚が、彼女の中で静かに愛情へと変わりつつあった。
「おのれ! 邪魔してくれるとは良い度胸だな……野郎ども、戦闘態勢に入れ!」
「「「おう!」」」
ボスゴブリンが怒りを爆発させ、合図を出すと同時にゴブリン達が動き出した。棍棒や弓矢を手にし、鋭い目を零夜へと向ける。
「ここはウチに任せてや!」
「倫子さん!」
突然、倫子が前に飛び出し、両手でハートの形を作った。ゴブリン達はその姿に戸惑い、一瞬動きを止めてしまう。
彼女の心には、零夜を支えたいという強い思いが溢れていた。いつもは彼に守られている自分が、今度は彼を助ける番だ。そう決意した瞬間、彼女の体は自然と動いていたのだ。
「悪い子はお仕置きだからね! マジカルハート!」
倫子が両手から放ったマジカルハートがゴブリン達に次々と命中。すると彼らは一斉に彼女に視線を移し、揃って頭を下げた。
「我々ゴブリンたちはあなたに忠誠を誓います!」
「うん。よろしくね」
「何!?」
部下が裏切ったことにボスゴブリンが驚くのも無理はない。するとゴブリン達はスピリットに変化し、倫子のバングルに吸い込まれていった。
「よくも俺の部下を奪ったな! こうなったら俺だけでやってやる!」
ボスゴブリンの怒りは頂点に達していた。部下を奪われた屈辱が、彼の心を焼き尽くしていた。だがその怒りは、どこか虚勢に似ていた。仲間を失った彼は、ただの孤独な怪物に成り下がっていた。
「ボスゴブリンのレベルは?」
「レベルは5くらいだ。でかいだけで実力は大したことないだろう」
「なるほどな。なら忍者刀で仕留める!」
ヤツフサが冷静に説明すると、零夜は頷き、二本の忍者刀を召喚して構える。倫子を守り、仲間と共に前に進むためなら、どんな敵にも立ち向かう。その意志が、彼の動きを鋭くしていた。
「そっちがその気なら……先手必勝のラリアットだ!」
ボスゴブリンが強烈なラリアットを繰り出すが、零夜は跳躍で軽やかに回避。空中で一回転し、鮮やかに着地して視線を戻した。
「ほう、俺のラリアットを躱すとはやるじゃねえか」
「こう見えてプロレスを習ってるからな。甘く見ると痛い目にあうぜ!」
零夜は忍者刀を粒子化してバングルに収め、素早く接近してハイキックを放つ。しかしボスゴブリンは頑丈で、この程度では微動だにしない。
「なるほど、なかなかやるな。だがこいつは痛いぞ!」
「ぐほっ!」
ボスゴブリンが素早いタックルで零夜を押し倒し、すかさず両足首を掴んで回転を始めた。
「ジャイアントスイング!」
「うわああああ!」
零夜は勢いよく回転させられ、投げ飛ばされて地面に激突。二、三回転がり、そのまま地面を引きずって倒れてしまった。
「零夜君!」
(今のジャイアントスイング、凄く強烈だった。あのボスゴブリン、プロレスラー向きかもしれないけど、敵だったら侮れないみたいね……)
倫子が倒れた零夜に駆け寄る中、日和はボスゴブリンを冷静に見つめて分析していた。あの技を出せるならプロレスラーとして通用するかもしれないが、敵としては手強い。
「どうした? まだやる気か?」
「当たり前だ! ここで俺がやられてたまるか!」
ボスゴブリンの挑発に、零夜は素早く立ち上がり再び構える。どんなに痛めつけられても、倫子を守るためなら戦い続ける。その執念が、彼を再び立ち上がらせていた。
相手は腕を鳴らし、次の一撃で仕留める気満々だ。
(頑丈な奴なら打撃じゃ勝てないな。別の技でいくしか方法はない!)
そう決意した零夜は、ボスゴブリンに素早く接近。すると相手は強烈な張り手を繰り出し、猪突猛進な零夜を一掃しようとする。
「もらった!」
張り手が迫るが、零夜は跳躍で回避。手刀の構えを取り、そのままボスゴブリンに飛びかかった。
「そこだ!」
「!?」
首筋に強烈な手刀を叩き込み、零夜は地面に着地。ボスゴブリンは前のめりに倒れ、ズシンと地面に崩れ落ちた。
「俺の手刀は強烈だからな。ここから反撃開始だ!」
反撃の狼煙を上げようとした瞬間、ボスゴブリンは金貨とゴブリンの牙に変化してしまった。手刀の一撃が強すぎて、耐えきれなかったのだ。
「まさか手刀で倒れるとは……もう少し鍛えた方が良いんじゃないか?」
零夜は苦笑しながら金貨と牙を拾い、ボスゴブリンに軽く毒づく。すると倫子と日和が駆け寄り、笑顔で彼を称えた。
「やるやん! ボスゴブリンを手刀で倒すなんて!」
「あの手刀の威力、見事だったわ。一撃必殺って、感じね!」
「大したことじゃないですけどね。上手く決まって良かったです」
零夜は照れ笑いを浮かべ、勝利を実感していた。あの手刀があったからこそ勝てたのだ。アイリンが近づき、鋭い爪を隠した手で軽く叩きながら笑う。
「ボスゴブリンを倒したのはすごかったわ。でも、まだまだこれからだからね」
「ああ。タマズサを倒すには程遠いし、ここから強くなるしかないな」
アイリンの言葉に零夜は真剣に頷き、さらに強くなる決意を固めた。タマズサの強さは彼らを遥かに超えており、経験を積む必要がある。
「さて、そろそろ……ん?」
「どうした?」
アイリンが視線を移すと、目の前に目的の街が見えた。西洋風の建物が立ち並び、賑やかな雰囲気が漂っている。ここがクローバールだ。
「間違いないわ! あの街がクローバールよ!」
「ということは、目的地までもう少しか!」
アイリンが喜びに声を上げ、悪鬼のモンスターたちに追いかけられていた不安が吹き飛んだ。零夜達の助けでようやく辿り着けたのだから、その喜びもひとしおだろう。
「ええ! そうと決まればさっさと向かうわよ!」
「お、おい! 待ってくれよ!」
「ウチらも急がな!」
「は、はい!」
アイリンが我慢できずに駆け出し、猫らしい軽快さで先を急ぐ。零夜達は慌てて後を追い、小型フェンリルのヤツフサはその様子を小さく尻尾を振って見つめ、急いで追いかけ始めたのだった。