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第20話 倫子VSスピーキー

 倫子は額に汗を滲ませ、真剣な眼差しで目の前のスピーキーを睨みつけた。心臓が激しく脈打ち、緊張が全身を支配している。しかし、彼の奇抜すぎる姿――いや、もはや変態的な衣装と呼ぶべきボンテージハイレグ、警官帽子――を見た瞬間、近づけば何か恐ろしい目に遭うのではないかと警戒心が鋭く鳴り響いた。悪鬼の戦士というより、どこかの怪しげな大道芸人にしか見えない。それでも、油断すれば命を落としかねない相手だ。


「初めての悪鬼との戦いが、倫子さんとスピーキーの一騎打ちになるなんて……」

「俺としても初めての戦いとしては、こんな展開は望んでいません。しかし悪鬼所属である彼に正々堂々と挑まれた以上は、立ち向かうしか方法はないみたいです。たとえ変態が相手であろうとも……」  


 倫子の言葉に、隣に立つ零夜が冷徹な声で応えた。冷静沈着な彼の声さえ、今は微かに張り詰めている。日和は不安げな瞳で倫子を見つめ、小さな手をぎゅっと握りしめて祈るように立ち尽くしていた。

 一方、ヤツフサは灰色の毛並みが微かに震え、低く唸る息遣いを漏らしながらスピーキーを鋭く見据えている。小柄な体躯からは想像もつかない鋭い牙と敏捷さが、緊迫した空気をさらに重くした。  

 誰もが予想だにしなかった――悪鬼との初戦がこんな変態じみた相手だなんて。それでも、スピーキーが悪鬼の一員である以上、彼らを殲滅するため戦う以外の選択肢はない。倫子は歯を食いしばり、心の中で決意を燃やした。  


(相手が変態か……変態ユニット、ファンキーズを思い出すけど、ウチはこんな奴なんかに負けられへん! 必ず倒して、悪鬼の戦力を削ぐんや!)  


 その覚悟を胸に、倫子は一瞬の隙を突いて間合いを詰め、鋭いハイキックを放った。標的はスピーキーの顔面。だが、彼は異様な敏捷さでそれをかわし、一瞬にして倫子の懐に飛び込む。そして、強烈な右パンチが倫子の腹に炸裂した。ボディーブローの衝撃は凄まじく、肝臓を的確に捉えた一撃に、倫子は息が詰まり、意識が一瞬揺らぐ。  


「ぐほ……!」

「倫子さん!」  


 肝臓を抉る痛みに、倫子は腹を押さえ、体をくの字に折り曲げた。膝が震え、冷や汗が背筋を伝う。変態じみた外見とは裏腹に、その実力は侮れない。油断すれば即座に死が訪れる――その事実が、痛みと共に倫子に突き刺さった。

 少し離れた場所ではアイリンが鋭い猫耳をピンと立て、腰に手を当てて戦況を見つめている。長い尻尾が苛立ちを隠さず揺れ、普段のツンとした態度も今は仲間への心配と混じり合っていた。  


「あの戦闘員は要注意みたいだけど、彼も零夜達の世界を襲撃した人なの?」  


 アイリンが気怠げに零夜に尋ねると、彼は冷静に首を振った。  


「戦い方を見る限り、奴は後楽園を襲撃した犯人の一人ではない。恐らく別の場所で襲撃を行っていたのだろう」

「ふーん……まぁ、どっちでもいいけど……そんな変態に負けたら笑いものとしか言えないわね」  


 アイリンは鼻を鳴らし、吐き捨てるように言ったが、その声には微かな苛立ちが滲んでいる。  


「まだまだ行くぞ!」  


 スピーキーの攻撃は容赦なく続く。彼は倫子の腰をがっちり掴み、そのまま後方へ投げ飛ばした。ジャーマンスープレックス――地面に叩きつけられた衝撃で、倫子の頭部に激痛が走り、視界が白く揺れる。  


「倫子!」

「ぐっ……ウチはまだ……」  


 頭を押さえながら、倫子は歯を食いしばって立ち上がる。痛みが全身を刺し、足元がふらつく。それでも、ここで倒れるわけにはいかない。仲間を危険に晒すわけにはいかないのだ。  


「まだ戦うつもりか。それなら一気に終わらせてくれる!」  


 スピーキーは距離を取り、冷酷な目で倫子を見据えた。拳に力が込められ、次の一撃で全てを終わらせる気だと誰の目にも明らかだった。ヤツフサは鋭い瞳でその動きを追い、低く唸る。  


「まずい! 今の状態で強烈な拳を喰らえば、必ず死んでしまうぞ!」  

「だったらすぐに止めないと!」  


 ヤツフサの毛並みが逆立ち、危機感が吠え声と共に響き渡る。 このままではやられてしまうのも時間の問題で、倫子は確実に死んでしまう。

 日和が慌てて倫子を救い出そうと駆け出した瞬間、スピーキーが全力で突進してきた。  


「もらった!」

「危ない!」  


 ゴーレムが叫んだ刹那、倫子はフラつく体を無理やり動かし、驚異的な反射神経でパンチを回避。スピーキーの拳が空を切り、僅かな隙が生まれた。  


「何⁉」

「お返しの一撃や!」  


 スピーキーが動揺した瞬間を見逃さず、倫子は渾身のハイキックを側頭部に叩き込んだ。鋭い一撃が命中し、彼の脳が揺さぶられ、よろめく。 

 まさかの油断によって形勢が逆転。倫子が主導権を掴み取っていた。


「ぐほ……!」

「倫子さん! 今がチャンスです!」

「よし!」  


 日和の叫びに反応し、倫子は前かがみになったスピーキーの左腕を掴み、右脚を肩に絡めて固定。コブラツイストの形で右腕を締め上げ、右手で天を指す。  


「いきます!」  


 高らかに宣言し、倫子はスピーキーの股下に右腕を回し、自分ごと前方に回転。相手を地面に叩きつける大技を繰り出した。  


「これが私の大技……ケツァルコアトル!」

「そんな……バカな……がは……!」  


 スピーキーは血を吐き、絶大なダメージを受けて倒れ込む。そして光の粒となって消滅した。地面には金貨の入った袋と、悪鬼のエンブレムバッジが残されていた。 


「これって……悪鬼のエンブレムバッジ……」  


 倫子はバッジを拾い、息を整えながらそれを見つめた。初めて自身が悪鬼の戦士を倒したという実感を感じ取り、後楽園の人たちの仇を取ったという実感を心から感じているのだ。

 その様子を見た日和が駆け寄り、回復魔術で倫子の傷を癒し始める。彼女の手による淡い光によって、傷はみるみる内に消えてしまったのだ。


「怪我はないですか⁉」

「なんとかね……でも、悪鬼の戦士達が負けたら消滅するなんて……」 


 日和の心配そうな声に、倫子は苦笑いを浮かべつつバッジを握りしめた。悪鬼の戦士の消滅を目の当たりにした以上は、彼らに対する同情もあるかも知れない。しかし敵である以上は情けは無用と言えるのだ。


「悪鬼の戦士達は戦いに負けた以上、責任を持って魂ごと消滅される呪いを掛けられている。その呪いを解く事は不可能であり、一度悪鬼に入ったら敗北によって全てを失う事になる……」 


 ヤツフサが低い声で説明すると、零夜たちは息を呑んだ。過酷な運命を背負う悪鬼の戦士たちへの同情も一瞬よぎるが、彼らが犯した罪への怒りがそれを圧倒する。後楽園で起きた罪、無差別に村人たちを殺した罪はとても大きく、黙っていられる事は不可能と言えるだろう。


「奴等を救いたい気持ちがあるかも知れないが、後楽園のお客さんとアイリンの仲間達を殺したのは絶対に許されない事だ。俺はタマズサと悪鬼を必ず滅ぼし、生き残った者達に関しては罪を償ってもらう!」

「そうやね。ウチも零夜君と同意見だし、これ以上思い通りにさせない!」

「私も後楽園の皆を殺したのは絶対に許さない。必ず倒して罪を償わせてもらう!」

「ゴドムは死んで、ベティとメディは誘拐された! 私はあいつ等を絶対に許さないんだから!」  


 零夜の決意に、倫子たちも力強く頷く。後楽園で殺された人たちの敵を討つ為にも、ここで立ち止まる理由にはいかない。

 アイリンは尻尾をピンと立て、鋭い声で言い放つ。普段のツンとした態度は影を潜め、今は純粋な怒りが彼女を突き動かしていた。仲間の無念を晴らす為にも、ここで立ち止まる事はできない。


「僕も協力するよ。話を聞いた以上は放っておけないし、必ず倫子の役に立って見せる!」

「分かったわ。これから宜しくね!」  


 倫子が笑顔で応えると、ゴーレムはスピリットに変化し、彼女のバングルに宿った。彼もまた、倫子の戦いを見て彼女の力になる覚悟を固めていた。この信念は本物であり、誰が何を言おうとも曲げないつもりだ。


「よし! ゴーレムも仲間になったし、そろそろ帰りましょう!」  


 零夜の合図で、全員がクローバールの街へ戻り始めた。スピーキーを倒したことでクエストは成功し、零夜、倫子、日和の三人はCランクに昇格した。だが、これは悪鬼との本格的な戦いの、ほんの序章に過ぎなかった。

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