零夜たちはコルマを撃破し、バイダル平原へと続く道を進んでいた。戦いの余韻がまだ体に刻まれ、汗の匂いが薄く漂う中、あれからモンスターの襲撃はぴたりと止まり、不気味な静寂が一行を包んでいる。風が草原の草を揺らし、遠くの鳥の鳴き声だけが響く穏やかな道だが、その平穏さはどこか不自然で、背筋に冷たいものを感じさせる。
ちなみにライラはスピリットに変化し、零夜のバングルの中に収まっている。今頃、ワンダーエデンで羽を休め、穏やかな時間を過ごしているのだろう。
「それにしても……零夜君がモンガルハントのスキルを覚えるなんて……」
「あの技が無かったら仲間にできなかったけど……こっちは複雑やけどな……」
日和は目を丸くして驚きを隠せない様子で呟き、倫子は同意しながらも零夜をジト目で睨みつける。倫子の視線には鋭い棘が宿り、零夜はそれを感じて肩をすくめた。
倫子が零夜に惹かれたきっかけは、ボスゴブリンに襲われそうになった瞬間、彼が自身を守ってくれた事だ。その揺るぎない決意に、倫子の心は揺さぶられ、彼への好意が芽生えたのだ。しかし、その気持ちを言葉にする勇気はまだなく、彼女の視線が時折柔らかくなるのは、そんな葛藤が垣間見える瞬間なのかもしれない。
「戦いの最中に閃きましたからね……ステータスにも記録されていますし」
零夜はさらりと答え、バングルに嵌められた小さな珠を軽く押した。すると、空気が微かに震え、彼らの前に半透明のウインドウが浮かび上がる。零夜のステータスがくっきりと映し出され、薄青い光が一行の顔を照らした。
レベル17
職業:忍者
武器:忍者刀2本、手裏剣、苦無、火薬玉
スキル:隠密行動、変化術、属性忍法、自動回復術、モンガルハント
使用可能武器:毒刃
所持モンスター娘:ライラ(ヴァルキリー)
「レベルも上がっていたからこそ、モンガルハントを取得できたな。恐らく零夜は女性に優しい為、この様なスキルが生まれたのだろう」
「「ああ、納得……」」
ヤツフサの冷静な分析に、日和とアイリンが同時に頷く。日和の腕に抱かれたヤツフサは鋭い目を光らせ、零夜の資質を見抜いていた。
アイリンは尖った耳をピクピクさせ、少し離れた場所で腕を組んでいる。瞳が怪しく輝き、ツンデレな性格がその態度に滲み出ていた。彼女は零夜をチラリと見やり、何か言いたげに唇を尖らせるが、結局言葉にはしない。
その時、倫子が突然零夜に近づき、彼をぎゅっと抱き締めた。彼女の目は笑っておらず、背後には漆黒のオーラが渦巻き、まるで魔王が降臨したかのような威圧感を放つ。零夜はガタガタと震え、額に冷や汗を浮かべながら硬直した。
(うわ……怒っている……迂闊に近づくのは危険かも……)
(こ、殺されるわね……)
日和とアイリンは揃って震え上がり、そっと後ずさりする。倫子のオーラは冗談ではなく、近づけば本当に命が危ないと感じるほどの殺気だった。二人とも本能的に距離を取るしかなく、息を潜めて様子を伺う。
「零夜君……分かっているよね? ウチ以外に他の女に抜かしたら……殺すで?」
「いや! そんなヤンデレな展開を起こさないでくださいよ! 他にもモンスター娘を捕まえたら、俺には倫子さんがいると……」
零夜は両手をバタバタさせて必死に弁明するが、倫子の耳にはまるで届いていない。馬の耳に念仏とはまさにこのことだ。彼女の瞳は氷のように冷たく光り、零夜の言葉を遮るように鋭さを増す。その視線だけで、零夜の背筋が凍りついた。
「まったく……しょうがないわね」
アイリンは呆れたようにため息をつき、倫子の背後に忍び寄る。しなやかな動きで爪を光らせ、彼女のお尻を軽く引っ掻いた。
「ひゃっ!」
突然の痛みに倫子が悲鳴を上げ、反射的に零夜をさらに強く抱き締めてしまう。怒りは一瞬で薄れ、目に涙が浮かび、顔を歪ませた。アイリンはそんな彼女を冷ややかに見つめ、ツンデレらしい口調で続ける。
「まったく! 年長者なんだからしっかりしなさいよね! 気持ちは分かるけど、今はそんな事をしている場合じゃないでしょ!」
「むぅ……分かった……」
倫子は涙目で不満げな表情を浮かべつつ、渋々頷く。今は悪鬼の基地を滅ぼすことが最優先であり、個人的な感情は後回しだと理解している。気持ちを抑えて立ち直ろうとする彼女の瞳の奥には、まだ燻る想いが残っていた。
「ともかく先に急ぎましょう! 早くGブロック基地を滅ぼして戦力を減らさないと!」
日和の呼びかけに、零夜たちは真剣な表情で頷き、バイダル平原へと一気に駆け出した。コルマを倒したことで、悪鬼側も動きを加速させるだろう。次なる刺客が送り込まれる可能性が高く、油断はできない。一行は風を切りながら進み、それぞれの決意を胸に秘めていた。背後で、草原の風が不穏な音を立てて吹き抜ける。
※
バイダル平原に到着した零夜たちは、目の前に広がる景色に目を凝らす。
フルーダス平原と似たような草原が広がっているが、異なるのはモンスターの種類と、遠くにそびえる悪鬼の基地の存在だ。草の間を縫うように風が吹き抜け、どこか不穏な空気を運んでくる。遠くの基地からは、黒い煙が細く立ち上り、何か企てが進行している気配が漂っていた。
「この先に悪鬼のGブロック基地がある。モンスターも出るから用心して進むぞ」
日和に抱かれたヤツフサが低い声で告げる。小型フェンリルの鋭い目が周囲を見渡し、危険を感知する本能が働いている。零夜たちはその言葉に頷き、緊張感を高めながら進む。
ハルヴァスではモンスターが突然襲い掛かることも珍しくないため、常に警戒が必要だ。風が草を揺らす音の中に、微かな異音が混じっているような気がしてならなかった。
「ここは確かリトルペガサスとミノタウロスが出てくるし、仲間にしないとね」
「ええ。けど、モンスター娘もいる可能性が……ん?」
倫子の提案に零夜が頷きかけた瞬間、彼は足を止めて眉を寄せる。どこからか微かなすすり泣きが風に乗って聞こえてくる。零夜たちは一斉に立ち止まり、互いに顔を見合わせる。
「何処からかすすり泣きが聞こえる……向こうからだ!」
「あっ、零夜君!」
零夜は一瞬の迷いもなく泣き声の方へ駆け出し、倫子たちが慌てて後を追う。奇妙なことに、その方向は悪鬼の基地へと続くルートと一致していた。偶然でも進むべき道に問題はないようだが、その泣き声には何か裏があるのではないかという疑念が、零夜の心に芽生えていた。
(偶然としか言えないが、ルート的には合っているな。しかし、お人好しも程々にして欲しいが……)
ヤツフサは日和の腕の中で複雑な表情を浮かべ、心の中で呟く。零夜の困っている人を放っておけない性格は理解できるが、任務に集中してほしいという思いも強い。それでも、彼のその性質がいつか大きな鍵を握るのではないかという予感も、ヤツフサにはあった。
※
「ヒック……うう……」
草むらの奥で、一人のミノタウロスの女性が地面に寝転がり、肩を震わせて泣いていた。
彼女の名はベル。裸に青いデニムのストライプオーバーオールをまとい、腰にはエプロン、首にはカウベルが揺れている。豊満な胸とがっしりした体格はミノタウロスらしい特徴で、母親としての温かさと強さを兼ね備えた姿だ。だが、その瞳は深い悲しみに濡れ、声は絶望に震えていた。
「どうして……こんな事に……あなた……カプル……メイラ……」
ベルが涙声で家族の名を呟く中、零夜たちが草をかき分けて現れる。彼女は驚いて泣き声を止め、ムクリと上体を起こした。カウベルがカランと鳴り、静寂に響く。その音が、まるで彼女の心の叫びを代弁しているかのようだった。
「大丈夫か? 泣いていたけど……」
「ええ……死んだ家族を思い出して……」
「家族?」
零夜の優しい声に、ベルは右手で涙を拭いながらゆっくりと話し始める。その表情は悲しみに満ち、零夜たちは真剣に耳を傾けた。彼女の言葉には、重い過去が刻まれていることが感じられた。
「私はミノタウロス族のベル。半年前に人間のバルダと出会って、結婚したの。カプルとメイラは彼のお子さんだったけど、二年前に奥さんを亡くして三人で生活していたわ」
「つまり、バツイチの男と結婚したという事か……」
「「バツイチ?」」
ベルの説明に零夜が推測を口にすると、アイリンとベルが揃って首を傾げる。猫耳をピクピクさせたアイリンはもちろん、ベルもその言葉に馴染みがなく、キョトンとした顔だ。すると倫子と日和が慌てて零夜の口を塞ぎ、苦笑いで誤魔化そうとする。
「何でもないからね。けど、家族が亡くなった原因は何だったの?」
倫子が苦笑いを浮かべつつ質問を続けると、ベルは俯き、暗い表情で話し始めた。
「私が散歩から帰ってきた途端……目の前で家族三人が見知らぬ男に惨殺されました……その姿を見た私は恐怖に怯えて一目散に逃げ出して……」
「今に至るという事か……」
ヤツフサが静かに頷き、零夜たちもその話に耳を傾ける。零夜は倫子たちの手から解放され、拳を握り締めて怒りを滲ませていた。
ベルの話によれば、夫バルダは頭を地面に叩きつけられ即死、子供のカプルとメイラも首を掴まれて頭蓋骨を砕かれ、大量出血で命を落としたという。あまりに残酷な仕打ちに、誰もが犯人への怒りを抑えきれなかった。彼女の声が震えるたび、零夜たちの胸に重い感情が広がる。
「酷すぎる……いったい誰がこんな事を!」
零夜が怒りに震えながら叫んだその時だった。
「それは俺だよ!」
「この声は……どすこい張り手を繰り出した……!」
零夜、倫子、日和の三人は声の主を即座に見抜き、視線を声の方向へ移す。そこには筋肉質な男、リキマルが立っていた。赤と黒の装束には返り血が飛び散り、あくどい笑みを浮かべながら一行を睨みつけている。その姿からは、冷酷さと狂気が滲み出ていた。
「この人よ! この人が私の家族を殺したの!」
「そう言う事か! なら、俺が相手になる!」
ベルが震える指でリキマルを指差すと、零夜は一歩前に出て戦闘態勢を取る。相手がパワー系の格闘戦士と分かっているため、忍者刀を手にせず、素手での戦いを選択した。その瞳には、怒りと決意が燃え上がっていた。
「俺と戦うのか。返り討ちにしてくれる!」
「その言葉、そっくり返してもらうぜ!」
零夜とリキマルは互いに睨み合い、風が一層強く吹き始めた。草が激しく揺れ、まるで二人の戦意に応えるかのように空気が震える。
二人が同時に飛び出し、拳と拳が交わる瞬間、後楽園襲撃戦闘員との二戦目が幕を開けた。地面が震え、衝撃が空気を切り裂く中、戦いの火蓋が切られたのだった。