零夜たちはマキシ、ベック、マークの三人を睨みつけながら、既にリングに上がって戦闘態勢に入ろうとしていた。
後楽園大会での悲劇は何もできず、ただ観客たちがやられていく様を見つめるしかなかった。しかし今は八犬士としての実力を一部覚醒している以上、マキシたちを倒そうと心から決意をしているのだ。リングの真上にあるスポットライトが、彼らの覚悟を静かに照らし出している。
「まさかこんなところで再会するとは驚きました。我々を倒そうとする覚悟はあるみたいですね」
「当たり前だ! 俺たちはお前を絶対に許さない。後楽園の時の怒りは忘れてはいないからな!」
零夜は怒りの表情を浮かべながら、高くジャンプしてリングに上がる。そのままドラゴンリングインでリングロープを華麗に飛び越え、リング内に入った瞬間、戦闘態勢を整え始めた。足音がリングに響き、観客がいない空間に緊張感が張り詰める。
「ウチ等も行くで!」
「これ以上好き勝手にはさせないんだから!」
「私も助太刀するわ!
別にあなたたちの為じゃないからね!」
「私も黙ってはいられないわ!」
更に倫子たちも一斉にリングに上がり始め、次々と戦闘態勢に入る。目の前に因縁の敵がいる以上、ここで倒さなければ意味がない。リングが揺れ、彼らの気迫が空気を震わせた。
「5対3とは考えましたが……少し卑怯ではないでしょうか?」
「「「あ」」」
マキシは冷や汗を流しながら、零夜たちに冷静なツッコミを入れる。それに対して彼らは一斉に声を上げてしまい、お互いを見合わせながら苦笑いを浮かべてしまった。
「まあ、気持ちは分からないでもないが……ここは人数調整のため、三人に絞る必要がある。流石に五人で立ち向かえば卑怯だと思うぞ」
「うわ……ヤツフサにまで言われるなんて……」
リング下にいるヤツフサは、小さな体で鋭い眼光を光らせながら、リング内の零夜たちに冷や汗を流してツッコミを入れる。灰色の毛並みが揺れ、低い唸り声が響いた。彼らの恥ずかしさは隠せず、思わず赤面してしまう。
プロレスではハンディキャップマッチというルールもあるが、零夜たちはそんな戦い方を卑怯だと感じ、あまり好まない。今の状況は明らかに信念に反しているのだ。
「ウチら三人は悪鬼の戦闘員と戦った事があるし、ここはタッグマッチからシングルマッチへ移行するのもありと思うんやけど」
「そうですね。ベックとマークはアイリンとベルに任せて、マキシに関しては零夜君に任せましょう」
倫子と日和の意見に、零夜たちも頷きながら同意する。人数を調整すれば卑怯ではなく、戦いとしても公平だ。
倫子と日和がリングから降りると、ヤツフサは日和に抱かれながら鋭い目でリング内を見つめた。そこには零夜、アイリン、ベルの三人が、マキシ、ベック、マークと対峙している。緊迫とした雰囲気がこの場所全体を占めているが、戦いの雰囲気としてはピッタリと言えるだろう。
「それなら問題ありませんね。戦う前に一つ説明しましょう。何故私たちが今まで貴方方を襲わなかったのか? それはタマズサ様の計画上、あえて泳がせている事。更に、あなた方が強くなければ、エンターテイメント性として面白くないですからね」
(マキシたちが今まで襲い掛かって来なかったのは、そう言う事なのか……完全に舐められた物だぜ……)
マキシからの説明を聞いた零夜は、心の中で思いながら冷や汗を流していた。
今までマキシたちが襲い掛かってきたのは、彼らの計画の一部分にしか過ぎない。強くなった零夜たちの実力を確認するだけでなく、最初から泳がせる事を計画していたのだ。
「では、改めて……通常プロレスルールで戦いましょう!」
マキシの宣言と同時にゴングが鳴り響き、六人によるプロレスの試合が始まった。無観客の空間だが、見えないカメラが生中継で配信している。誰が映しているのかは誰も知らない。リングの中央のスポットライトが一層強く輝き、戦いの開始を告げるように脈動した。
先発はベルとマーク。ベルはミノタウロスの獣人で、パワーとスピードを武器に戦う。対するマークはテクニシャンで、投げ技を巧みに操る技巧派だ。リングに上がった瞬間、二人の間で火花が散っていく。
(相手は手強い敵であるのは間違いない。悪鬼を倒せる力があるのか微妙だけど、ここで諦める理由にはいかないわ!)
ベルは心の中で冷静に決意を固め、巨体を揺らしながら素早く駆け出す。先手を取るべく左ハイキックを繰り出し、マークの側頭部に轟音と共に直撃させた。
その威力はすさまじく、一般人なら一撃でリングに沈むほどの破壊力だ。だが、マークの体にキックが当たった瞬間、彼の体が一瞬揺らいだ。
「ぐっ!(なんて威力だ! こいつ八犬士の戦士ではないのに、俺を圧倒する力を持っている! 一体何者なんだ!?)」
マークは心の中で驚愕しながら、横に倒れてダウンを取られる。しかし悪鬼の戦士としての意地がある以上、ここで終わるわけにはいかない。すぐに立ち上がり、反撃のラリアットを繰り出そうと動き出した。
「パワーが弱過ぎるわよ!」
「ぐはっ!」
だがベルは一歩も引かず、逆に強烈なラリアットを放つ。巨大な腕が風を切り、マークの首に激突。彼はそのまま仰向けに倒れ、リングが揺れた。すかさずベルはマークの両足首を掴み、力強く抱え上げると、回転を始めた。
これぞジャイアントスイング。だが通常とは異なり、ベルは両足首を両手で掴み、ハンマー投げのように遠くへ投げ飛ばすスタイルだ。ミノタウロスの怪力がリング全体を震わせ、彼女を中心に渦を巻き始めた。
「はああああああ!!」
「うわああああああ!」
ベルが勢いよく回転を続けると、彼女を中心に風が渦を巻き、リング上に竜巻が発生した。迂闊に近づけば吹き飛ばされ、大怪我は必至だ。
「ジャイアントスイングで竜巻が発生するなんて……!」
アイリンが心から驚きを隠せず、鋭い爪と尻尾を震わせ、ツンデレな口調で叫んでしまう。まさかジャイアントスイングで竜巻を発生するなんて前代未聞としか言えない。
すると竜巻の中からマークが投げ飛ばされた。彼は回転しながらリング外へ飛び、壁に背中を激突してしまう。その瞬間、衝撃音と共に光の粒となって消滅したのだ。光の粒子が星屑のように輝きながら空中に溶け、リングに静寂が戻った。
「マーク!」
ベックが冷や汗を流しながら叫んだ瞬間、リング上の竜巻が消え、ベルが荒々しく呼吸を整えながら立っている姿が現れる。
彼女はリング外に視線を移した。ジャイアントスイングで竜巻を起こすほどの体力消費だが、ミノタウロスの獣人である彼女には余裕すら感じられた。消えたマークの光の粒が消滅した途端、大量の金貨が次々と地面に落ちてしまった。
「私を甘く見るとこうなるからね!」
ベルは首のカウベルを鳴らし、消えたマークの場所を指さしてウインク。プロレスのエンタメ性を超えた異様な光景に、リング上の全員が一瞬息を呑んだ。
「畜生! よくもマークを!」
ベックが怒りに燃えてリングに飛び込み、スピードを上げてベルに襲い掛かる。だが彼女はサイドステップで軽やかに回避し、味方コーナーへ移動してアイリンとタッチした。自身の役目が終わった以上、次は仲間に託そうとしているのだ。
「アイリン、次はあなたの番よ!」
「ええ! ここは私に任せて!」
ベルがリング下に降りると、アイリンがリングロープを跳躍しながらリングイン。鋭い爪を光らせ、尻尾をピンと立てたツンデレな彼女が、ベックとのスピード勝負に挑む。
リング外のベルは床に座り込み、戦いの疲れを癒す。小型フェンリルのヤツフサと日和が駆け寄り、日和の回復魔術でベルの体力が戻り始めた。彼女の手から放たれる淡い緑の光が、ベルを優しく包み込む。
「まさか竜巻を起こすジャイアントスイングを繰り出すなんて……普通ならあり得ないし、今のはやり過ぎだから」
「少しやり過ぎたかも知れないけど、相手は敵だから容赦なく攻撃しないと」
日和が驚きつつ注意すると、ベルは苦笑いで応える。敵が悪鬼である以上、容赦はしない。それが彼女の信念だ。
「まあ、敵なら良かったけど……普通のプロレスなら事故になるから、その時は加減してね」
「そうするわ」
日和の言葉にベルは笑顔で頷き、日和も笑顔で返す。ヤツフサは不思議そうな顔でベルを見つめていた。だが、彼の鋭い目が何かを感じ取ったように毛並みを逆立てた。
(ベルは八犬士でも無いのに、悪鬼の戦闘員を余裕で倒す実力を持っていた……もしかすると彼女は、八犬士には無い不思議な力を持っているかも知れないな……)
ヤツフサは、真剣な表情でベルの秘密を予測する。彼女が悪鬼の戦闘員を余裕で倒すなどあり得ず、むしろ何かの秘密を抱えている可能性がある。その答えが明らかになるのはいつになるのか。
そして、リング上のアイリンとベックの戦いが激化する中、マキシが口元に邪悪な笑みを浮かべているのが見えた。リング全体が微かに振動し、次の戦いが新たな局面を迎えようとしていた。