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第48話 零夜VSマツリ

 ロックマウンテンの山頂にそびえるリングでは、零夜とマツリによるプロレスエキシビジョンマッチが始まろうとしていた。切り立った崖に囲まれたその場所は、風が唸りを上げながら、無観客の戦いを盛り上げようとしていた。

 リング上には、既に臨戦態勢の零夜とマツリが睨み合い、倫子たちが見守る中、空気が張り詰めていた。零夜の瞳には燃えるような闘志が宿り、彼の心臓は高鳴っている。対するマツリも竜人としての誇りを胸に秘め、静かに息を整えていた。


「ルールは十分一本勝負だ。それで構わないか?」

「大丈夫です」

「こちらもだ!」  


 ベルに抱かれているヤツフサが鋭い声でルールを確認すると、零夜とマツリは力強く頷く。

 レフェリーを務めるシルバーウルフの獣人・エヴァは、銀色の尻尾の毛並みを揺らし、軽快なストレッチを終えてリング中央に立つ。その鋭い瞳が二人を捉え、試合開始の合図を待つ。


「始め!」  


 エヴァの凛とした声と共にゴングが鳴り響き、山頂に轟音がこだました。両者は一瞬の静寂の後、勢いよくロックアップでぶつかり合う。零夜の筋肉が膨張し、マツリも負けじと押し返そうとしている。力比べは互角——いや、微かに零夜がマツリを押し込もうとしていた。

 男と女の力の差はさほどないが、零夜の内に秘めた不屈の闘志が、姉御肌の竜人・マツリを僅かに凌駕しているように見えた。


(こいつ……やる気だな。なら、こっちも本気でいくぜ!)  

「ぐっ!」


 マツリは内心でニヤリと笑うと、素早く膝蹴りを零夜の腹に叩き込む。零夜の腹筋に衝撃が走り、彼は一瞬息を詰まらせたが、痛みを闘志に変える。マツリは呻く零夜から離れ、リングロープにダッシュ。跳ね返りの勢いを乗せ、竜の咆哮のようなラリアットを零夜の首筋に炸裂させた。


「ぐほっ! やってくれたな!」  


 零夜は仰向けに倒れ、リングマットが震えるほどの衝撃を受ける。しかし、次の瞬間、彼は獣のような敏捷さで跳ね起きると、疾走しながら強烈なハイキックをマツリの側頭部に叩き込んだ。山頂の風が一瞬止まったかのような鋭い音が響き、零夜の心は燃え上がる。


「くっ……やってくれるじゃねえか……」

「やられっぱなしじゃ終われないからな!」  


 零夜はマツリの腰を掴み、そのまま豪快に後方へ投げ飛ばそうとする。全身の筋肉が軋み、彼の闘志が頂点に達する瞬間だ。だが、竜人族の誇りを背負うマツリがそう簡単に屈するはずがない。彼女の心に竜の咆哮が響く——。


「投げ飛ばされてたまるか!」  


 マツリは肘打ちを零夜の腹に三発連続で叩き込み、脱出。ロープに再び走り、今度は跳躍を加えたラリアットを繰り出そうとする。だが、零夜も負けていない。彼女の動きを読み切り、跳び上がって延髄蹴りを放つ。 彼の目はマツリの動きを完全に捉えていた。


「そこだ!」

「あがっ!」  


 鋭い一撃がマツリの後頭部に命中し、彼女はよろめく。頭に響く衝撃に一瞬意識が揺らぎながら、内心焦りが走ってしまう。

 零夜はすかさず逆さまに抱え上げ、豪快にブレーンバスターを決めようとする。彼の心は勝利への確信で満ちていた。


「ブレーンバスター!」

「ぐはっ!」  


 ブレーンバスターの炸裂でリングが揺れ、マツリは背中からマットに叩きつけられる。背中に走る激痛に息を詰まらせつつも、彼女の闘志は消えていなかった。

 零夜は即座に彼女の片足を上げ、フォールを狙う。  


「1! 2!」

「チッ!」  


 エヴァのカウントが響く中、マツリはカウント2で肩を上げ、リングを転がって距離を取る。竜の血が彼女を支え、そう簡単に倒れることはない。  


「アタイはここで倒れないからな。けど、いい勝負ができそうだぜ!」

「俺もだ。ここまで来たらガンガンやるぞ!」 


 二人はニヤリと笑い合い、次の瞬間、火花を散らすような激闘が再開した。マツリは居合蹴りで零夜の膝を狙い、三角絞めで締め上げる。対する零夜は隼蹴りで反撃し、ボストンクラブでマツリの足を極める。リング上は冷静さと熱さと勝利の道筋による戦場と化し、倫子たちは息を呑んでハラハラと見守っていた。心配の様子で見守ってしまうのも当然と言えるだろう。


「凄い戦いやけど……どこまで本気なんやろな……」

「二人とも楽しそうにしていますし、この戦いを邪魔する理由にはいかないみたいですね……」  


 倫子と日和が真剣な表情で呟く中、猫の獣人・アイリンがツンとした態度で口を開く。彼女としてはここまで戦う意味があるのか気になるが、止める事は不可能と判断しているだろう。


「零夜もプロレス好きだから分かるけど、これ以上ヒートアップしたらどうなるかね」

「その時は状況見て、危なくなったら止めに向かいましょう」  


 ベルが母親らしい落ち着きで応じながら推測し、倫子、日和、アイリンが頷いたその瞬間、零夜の回し蹴りがマツリの側頭部に炸裂した。その瞬間を見た彼女たちは、驚きを隠せずにはいられない。  


「が……!」

「チャンスは今だ!」  


 マツリが倒れると、零夜は電光石火の速さでコーナーポストに駆け上がる。彼の背中にはプロレス魂が宿っていて、それは誰にも止める事は不可能。


「見せてやるぜ! これが俺のプロレス魂だ!」  


 零夜は背を向け、コーナートップからバック転。空中で一回転し、ムーンサルトプレスをマツリに叩き込む。 彼の全身が宙を舞い、勝利への確信が彼を包む。


「あれは……ムーンサルトプレス!」

「ぐはっ!」  


 倫子の叫びと同時に、マットが轟き、マツリの体に衝撃が走る。強烈な技を食らってしまったマツリが意識を薄れていく中、エヴァがリング内でカウントを叩く。


「1! 2! 3!」  


 スリーカウントが響き、試合終了。8分15秒の激闘は零夜の勝利で幕を閉じた。彼は倒れたマツリに近づき、彼女の上体を優しく起こす。彼の胸には達成感と敬意が溢れていた。


「良い試合を楽しめたぜ。けど、今回は俺の勝ちだな」

「ああ……けど、次は絶対に負けないからな!」

「いつでも掛かってきな!」 


 零夜が笑みを浮かべると、マツリは拳を突き出し、闘志を燃やす。彼女の心には敗北の悔しさと、再戦への熱が渦巻いていた。二人は拳を合わせ、互いをライバルとして認め合う。絆が深まる爽やかな結末に、倫子たちも微笑みながら拍手をしていた。


「やれやれ。絆が深まっただけでもいいかもね。あの二人は本当にバトルジャンキーなんだから……」

「まあまあ。とりあえず二人の傷の手当てをしましょう」  


 アイリンが呆れ顔で言うと、日和が苦笑しながら応じる。そのまま彼女たちもリングへと移動し始め、零夜とマツリの治癒を始めた。


(見事な試合だった。プロレスの真髄を間近で見たとなると、俺もその競技について詳しく調べておかないとな)


 ベルに抱かれているヤツフサは、試合の興奮を胸に秘め、プロレスへの興味を膨らませていた。リング上では倫子が苦笑い交じりで注意していたが、零夜とマツリは笑顔で返していたのだった。


 ※


 その頃、ペンデュラスにあるギルドでは緊迫した空気が渦巻いていた。ペンデュラス伯爵の息子・アリウスが、怒りに満ちた目でオパールハーツの四人を睨みつける。

 エヴァを奴隷として手に入れるため彼らを利用したが、彼女が逃亡したことで計画は崩壊。アリウスの声は冷たく鋭い。  


「奴隷が逃げられた責任……どう始末するつもりだ」  


 ハインは土下座し、クルーザたちも額を地面に擦り付ける。この責任は重大であり、土下座をするのは当たり前である。


「申し訳ありません! 俺達は彼女を甘く見てしまいました!」

「どんな罰も受けるので! 死罪だけは勘弁してください!」  


 必死に命乞いする二人に、アリウスは冷笑を浮かべる。


「そうか。なら、前の奴隷が戻るまでその女を奴隷とする! 異論は認めない!」

「へ? 私!?」  


 ルイザが驚愕の声を上げ、冷や汗が止まらない。自分が奴隷にされるなど夢にも思わなかったのだ。  


「さあ、大人しく僕の元へ……」

「嫌ァァァァァァ!!」

「ぐへら!!」  


 アリウスが手を伸ばした瞬間、ルイザの右ストレートが彼の顔面に炸裂。貴族の息子は失神し、床に崩れ落ちる。ルイザは一瞬呆然とした後、ギルドから飛び出し、全力で逃亡を開始した。  


「あいつ、とんでもない事やらかしたぞ……」

「奴隷として渡すのは不味かったな……」  


 ハインとクルーザが呆然とする中、アリウスが意識を取り戻す。だが、先ほどのダメージで立ち上がれず、呻きながら命令を下す。  


「ハイン……お前達に指令だ……ルイザを……捕まえろ……失敗したら……死を受け入れ給え……」

「「「はっ!」」」  


 三人は即座に立ち上がり、ルイザを追うべく動き出す。この事件は、新たな戦いの幕開けを予感させるものだった。山頂での爽やかな余韻が冷めやらぬ中、零夜たちにもこの波乱が迫っていることを、彼らはまだ知らない——。

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