恋のドタバタ騒動から一夜明けた朝。零夜たちはギルドへと向かって歩を進めていた。朝はなんとか普通に起きられたものの、零夜は倫子とエヴァに挟まれて寝ていたせいで興奮が冷めず、ほとんど眠れなかったのは当然と言えるだろう。目元にはうっすらと隈ができ、足取りもどこか重い。
「ごめんね、零夜君。流石にやり過ぎたから……」
「機嫌直して……ね?」
倫子とエヴァは申し訳なさそうに苦笑いを浮かべながら零夜に謝罪する。その姿を見た日和、マツリ、ベル、アイリンもつられて苦笑いしてしまう。特にアイリンは呆れたように首を振るが、どこか楽しげだ。一方、ヤツフサは小さな体を揺らしてため息をつき、鋭い目で零夜を見つめる。
「全く……お前達はこのままだとタマズサどころか、悪鬼の軍勢にやられるぞ。少しはしっかりしろ」
「そうね……私達全員がしっかりしないと、とんでもない結末になりそうだし、気を引き締めておきましょう!」
ヤツフサの忠告にアイリンが頷き、皆を見回しながら気合を注入する。ツンデレらしい厳しさの中にも仲間への信頼が垣間見える口調だ。零夜たちもその言葉に真剣に頷き、目の前の目標へと意識を集中させ始めた。
タマズサの元へ辿り着くには、数々の危険な試練が待ち受けている。ここで気を緩めれば途中で倒れるどころか、全滅する可能性すらある。だからこそ全員が気を引き締め、タマズサと彼女の部下である悪鬼の軍勢を倒すと心から誓っていた。
「今日もクエストで肩慣らしをしないとな。悪鬼との戦いに備えて強くなる必要があるし」
「Aランクの任務は大型モンスターの討伐も多くあるからね。その時は注意して取り組まないと!」
マツリの力強い意見に日和が冷静なアドバイスを添える。竜人族らしい豪快さと姉御肌の頼もしさが滲むマツリの声に、全員が頷きながらギルドの扉をくぐる。タマズサと悪鬼の野望を打ち砕くため、ここで立ち止まる理由などない――その信念が彼女たちの瞳に強く宿っていた。
※
その頃、クローバールの街に一人の女が足を踏み入れていた。彼女の名はルイザ。かつて奴隷の身に堕ちた過去から必死で逃げ出したばかりで、ゼーハーゼーハーと荒い息を整えながら前を見据えている。
ハイン率いるS級パーティーから辛くも逃げ延びたものの、かつて所属していたギルドに戻ることはもうできない。まさか自分が奴隷として売られるとは夢にも思わず、今後の道を見失った彼女の心は混乱に満ちていた。
「まさか私が奴隷とされてしまうなんてね……いきなりこんな展開になったのは予想外としか言えないわ……」
ルイザは自身の姿を確認する。服はボロボロに裂け、腕や足には無数の傷が刻まれている。どう見ても過酷な逃亡劇を経験したのは明らかだ。自給自足で食糧を賄ってきたが、それも限界に近づいている。彼女の瞳には疲労と、そして燃えるような憎悪が宿っていた。
「どれもこれもあの女のせいよ……エヴァ……絶対に復讐してやるんだから……」
ヨロヨロとよろめきながらも、ルイザはエヴァへの復讐を胸にギルドを目指し始める。しかしその決意がどれほど危険な結果を招くのか、この時の彼女には知る由もなかった。
※
ギルドに到着した零夜たちは、今日のクエストを選ぶために掲示板を囲んでいた。今回は大型モンスターの討伐を目標に掲げているが、どれも一筋縄ではいかない強敵ばかりだ。
「うーん……ドラゴンにベヒーモス、サイクロプスなどいるみたいね。どれにしようか迷うし……」
「アタイとしてはドラゴンが良いと思うな。力をつける為ならどんな困難でも受けてこいだ!」
日和が掲示板を眺めながら首を傾げる一方、マツリはドラゴンのクエストに目を輝かせ、拳を握りしめてガッツポーズを取る。竜人族の血が騒ぐのか、強者との戦いを求める彼女の闘志は誰よりも強い。
「まあ、この件に関してはじっくり考えて……あら?」
ベルが母親らしい穏やかな口調で皆を宥めようとしたその瞬間、ギルドの扉が勢いよく開いた。そこに現れたのはボロボロの姿のルイザ。彼女の登場に、ギルド内にいた全員が息を呑み、ざわつきが広がる。
「ルイザ! ボロボロになっているわ!」
「ルイザと言ったら、エヴァを追い出したS級パーティーの一人ね。でも、なんで一人でいるのか気になるけど」
エヴァが驚きの声を上げ、日和が冷静に状況を分析する。倫子たちもルイザの姿に疑問を抱く中、零夜は鋭い視線で彼女を睨みつけていた。
ルイザはかつてエヴァをS級パーティーから追放し、奴隷商アリウスに売り渡した張本人。その彼女が今ここにいる理由は何か――零夜の胸には怒りと猜疑心が渦巻いていた。
「ちょっと奴の元に向かう! すぐ終わるから!」
「零夜!?」
零夜は一言告げると、早足でギルドの入口へと向かう。エヴァを傷つけた者への報復のためなら、どんな状況でも躊躇しない覚悟が彼の背中に宿っている。
「何しに来たの? アンタ、もしかしてエヴァの仲間?」
「ああ。事情はエヴァから聞いている。お前、彼女をパーティーから追放しただけでなく、アリウスというバカに奴隷として引き渡したそうだな……」
ルイザの問いに、零夜は冷たく応えながら距離を詰める。彼の背後からは怒りのオーラが溢れ、近づけば殴りかかられてもおかしくないほどの緊迫感が漂う。
「役立たずは追放するのみ……けど、そいつがアリウス様から逃げ出してから、私が奴隷として引き渡される羽目になったの!」
「奴隷だと!? まさかお前も同じ目に!?」
ルイザは一瞬笑みを浮かべるが、すぐに悔しさに顔を歪める。零夜はその言葉に驚きを隠せず、エヴァたちも信じられない表情で耳を疑う。S級パーティーの内部でそんな裏切りが起きていたとは、誰も予想だにしていなかった。
「ああ。私はエヴァと同じ目に遭うのは嫌で、無我夢中で逃げていたんだ。彼女が逃げて無ければ、こんな目に遭わずに済んだ! 全部アイツが……」
「悪いのはお前の方だ!」
「な!?」
ルイザが震える声でエヴァに責任を押し付けようとした瞬間、零夜が大声で一喝する。その声にギルド内が静まり返り、全員の視線が彼に集中する。
「元はと言えばお前等がエヴァを追放して、あのバカ男に奴隷として引き渡すからこうなったんだ! この事を自分が悪いと認めない奴には……S級を名乗る資格なんかない!」
「零夜……! 私の為にそこまで……」
零夜の怒りの叫びを聞いたエヴァは、口元を押さえ、目に涙を浮かべる。自分を庇い、ルイザに立ち向かう彼の姿に心を打たれ、泣きそうになるのを堪えていた。マツリがエヴァの肩を叩き、落ち着かせようとする。倫子たちも静かに頷くが、ルイザは怒りで震えていた。
「S級失格……? この私が……? なら、あなたに現実を教えてあげるわ!」
ルイザの怒りが爆発し、戦闘態勢に入ろうとするその瞬間、メリアが二人の間に割って入る。両手を広げ、冷静に制止するその姿は、まさに勇敢と言えるだろう。
「そこまでです。事情は分かりましたが、ここで争ってはいけません。どうしても決着をつけるのなら……外にあるプロレスリングで決着を着けましょう!」
「「「プロレスリング?」」」
メリアの言葉に全員が首を傾げ、ギルド内が再びざわつく。プロレスリングなど聞いたこともない状況に、困惑が広がる。
「けど、プロレスリングなんて何処に……」
「外にあります。私が案内しますので」
メリアは零夜たちを連れて外へ移動し、ギルドの裏手へと案内する。そこには、いつの間にか巨大なプロレスリングが設置されており、観客席まで完備されていた。あまりの突然の展開に、全員が言葉を失う。
「これは……一体……?」
ベルに抱かれたヤツフサがキョトンとした表情で尋ねると、メリアが淡々と答える。
「モール様による新たなギルドルールです。各ギルドにはプロレスリングを設置する。敵はプロレスを駆使するので、その対策としてとの事です」
「「「なんじゃそりゃー!」」」
「あらあら」
メリアの説明に零夜たちは盛大にズッコケ、地面に倒れ込む。だが、ベルだけは母親らしい穏やかな笑みを浮かべていた。