ゲルガーとの戦いが火蓋を切った瞬間、彼は黒い狼の獣人らしい驚異的なスピードで零夜たちに襲い掛かってきた。鋭い爪が風を切り裂き、尻尾が鞭のようにしなり、黒い毛並みが闇に溶け込むその姿は、まさに暗殺者の如し。
獣人特有の敏捷さはエヴァやゲルガー自身に顕著で、特に狼の血を引く彼らの動きは人間の追随を許さない。零夜たちにとって、攻撃を当てるタイミングを見極めることが勝敗を分ける鍵だった。
「っと! よそ見は厳禁だ! スパイラルキック!」
零夜は鋭い反射神経でゲルガーの突進をかわし、跳躍しながら渾身のハイキックを放つ。足裏に込めた力が空気を震わせ、命中すれば骨すら砕く一撃だ。しかし、ゲルガーはその衝撃をものともせず、余裕の笑みを浮かべて首を振る。
「あー、かゆいかゆい」
(なるほど……そう簡単に倒せないか。どうやらGブロックの時とは一筋縄ではいかないよな!)
零夜はゲルガーの挑発的な態度を睨みつけながら、内心で闘志を燃やす。強敵であればあるほど、彼の血は熱く滾るのだ。その時、倫子が零夜の異変に気付き、慌てて駆け寄ってきた。彼女の鋭い観察眼が、戦場の空気を一変させる。
「倫子さん?」
「待って。さっきウチ等と別れた時、刺客である神田裕二と戦っていたでしょ? その時の怪我、まだ残っているんじゃない?」
「そう言えば受けたダメージと疲れがまだ残っているし、今のキックも弱くなっていましたね……」
倫子の指摘は的確だった。裕二との死闘で受けた傷と疲労が、零夜の身体に重くのしかかっていた。自ら回復術を使わず戦い続けた結果、攻撃の威力は目に見えて落ちていたのだ。
「けど、今は戦い。すぐに終わるから待ってて」
「へ? すぐに終わるってどういう……むぐっ!?」
「まあ……」
「むーっ!」
倫子は零夜の肩を掴み、強引に自分の方へ引き寄せると、躊躇なく彼の唇に深くキスを浴びせた。突然の行動に、ベルは母親らしい驚きの表情で口を押さえ、エヴァは銀色の尻尾をピンと立て、嫉妬の炎を瞳に宿して激昂寸前だった。
「こ、こいつが……! 俺の目の前でキスをするなんて……!」
ゲルガーは嫉妬に駆られ、黒い狼の耳をピクリと動かし、牙を剥き出しにして怒りを爆発させる。その眼光は鋭さを増し、今にも飛びかかろうとする獣の気配が漂う。
一方、倫子が唇を離した瞬間、零夜の身体に奇跡が起きた。傷が癒え、疲労が消え去り、動きにキレが戻る。まるで新たな命を吹き込まれたかのようだ。
「回復しました! もう大丈夫です!」
「良かった。ウチのマジカルキスについてだけど、味方の体力や状態異常を完全回復できる効果を持つの。この様子だと大丈夫そうやね」
倫子は柔らかな笑みを浮かべ、マジカルキスの能力を説明する。その力は味方を万全の状態に引き戻す、まさに戦場での切り札だった。今後皆がピンチになった時には活用する事もあるが、逆にとんでもない展開を起こしそうな気もするだろう。
「ええ。迷惑かけた分は頑張らないといけないですね。思う存分やりますか!」
「その調子!」
零夜が倫子に笑顔を返すその刹那、ゲルガーが嫉妬のオーラを全開に放ち、咆哮と共に襲い掛かってきた。倫子とのキスを目撃したことで、彼の理性は吹き飛び、殺意だけが膨れ上がっていた。
「殺す殺す殺す! お前を殺さなきゃ気が済まない!」
「そうはさせるか! はっ!」
零夜は流れるようなサイドステップで攻撃を回避し、高く跳躍。空中で身体を捻り、ゲルガーの脳天に強烈な踵落としを叩き込む。衝撃波が地面を震わせ、ゲルガーは頭を押さえてよろめいた。
「ぐお……頭が揺れる……」
「これで終わると思ったら大間違いだ。エヴァ、攻撃の用意を!」
「ふん!」
零夜がエヴァに指示を飛ばすが、彼女は頬を膨らませ、銀色の耳をピクピクさせながらそっぽを向く。倫子とのキスが許せず、嫉妬心が彼女の協力を拒んでいた。ズルいと思っているのは分かるが、当然そうなるのも無理はないだろう。
「おーい……キスを先越されたぐらいで嫉妬するなよ……今は戦闘中なのに……」
「だって倫子とのキスで笑顔になっていたんでしょ?」
「ハァ……余計な事をしたのかもな……」
零夜が呆れたように息をついた瞬間、ゲルガーが頭を振って正気を取り戻す。黒い毛並みが逆立ち、瞳が赤く輝き始めた彼は、次の攻撃を仕掛けるべくスピードを上げてくる。
「今度こそ決めてやる! ウルフタックル!」
「そんな技はお見通しだ!」
「何!?」
零夜は軽やかに跳び上がり、ゲルガーの突進をかわす。攻撃を外したゲルガーは急停止し、鋭い眼光で零夜を睨みつけた。
「やはりタックルでは無理みたいだな。それなら格闘術で勝負だ!」
ゲルガーの両手の爪が伸び、光を反射して鋭く輝く。その刃は単なる切り傷では済まない――出血を伴う致命傷を負わせる危険性を孕んでいた。
「喰らえ! ウルフスラッシュ!」
「チッ!」
爪から放たれた波動が空気を切り裂き、零夜はアクロバティックな動きで回避。倫子とベルも素早く身をかわすが、危機はまだ終わらない。
「しまった! エヴァちゃんに!」
「な!?」
波動の一つが、嫉妬で立ち尽くすエヴァに迫っていた。彼女が反応する間もなく、鋭い刃が彼女を切り裂こうとする――その瞬間、零夜が駆け出し、エヴァをお姫様抱っこで抱え上げ、高く跳躍。波動は壁に激突し、大爆発を起こした。
「ご、ごめん、エヴァ!」
「ううん、ありがとう。零夜って優しいのね」
零夜は顔を赤らめて謝るが、エヴァは柔らかな笑みを浮かべ、彼の頭を優しく撫でる。嫉妬の嵐は収まり、彼女の瞳には信頼が宿っていた。お姫様抱っこをされた事がとても嬉しいだけでなく、心の中では満足感によって嫉妬心がすっかり消えていたのだ。
「これも外れか! なら、別の攻撃を仕掛けるしか方法はない! サーチダークボール!」
ゲルガーは両手に闇の波動弾を生成し、次々と投げつけてくる。追尾機能付きのその攻撃は、逃げても執拗に追いかけてくる厄介なものだった。
「ここは私に任せて! アイスウォール!」
エヴァが地面に手を押し当てると、氷の魔術が発動。地面から巨大な氷壁が隆起し、闇の波動弾を全て受け止めて爆発と共に消し去った。シルバーウルフの獣人である彼女は、八犬士としての覚醒と共に氷の力を操る能力を得ていた。しかし真の覚醒を発動すれば、更に未知の力を発揮する事が予測される。
「くそっ! サーチダークボールが駄目なら、奥の手を使うしかないな……」
「奥の手?」
ゲルガーは苛立ちを隠せず、指を鳴らす。すると要塞の天井が軋みながら開き、中央に青い空が覗く。今の時間はまだ昼の15時で、もうすぐおやつの時間となっていた。
「なんだ。青空が見えるだけじゃないか」
「今は15時だし、おやつでも食べたくなるわね」
「驚くのはまだ早い。夜になれ!」
ゲルガーが空に指を向け呪文を唱えると、昼が一瞬で夜へと変わり、満月が輝き始めた。予想外の展開に倫子たちは唖然とするが、零夜は満月を見ながらすぐに異変を感じていた。
「満月……まさか!?」
零夜が異変に気付いた瞬間、ゲルガーの身体が満月の光を浴びて膨張し、黒い毛がさらに濃密に。攻撃力と素早さが極限まで高まり、凶暴性が頂点に達する。これが彼の真の姿――ダークワーウルフの最後の生き残りの力だった。
「俺はダークワーウルフの最後の生き残り! 狼男と同じく満月によって強化される! 散々舐めていた分、仕返ししてやるから覚悟しろ!」