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第103話 ハインの過去

 エヴァとハインの戦いは、まさに天地を揺るがす激闘と化していた。一進一退の攻防は、まるで嵐の中で剣を交えるかの如く熾烈を極め、辺りを包む赤い霧が視界を閉ざす中、両者は一瞬の油断も許されない死闘を繰り広げていた。

 石の床は二人の衝突で抉れ、霧の中で響く金属音と衝撃波が空気を震わせる。


「スラッシュウェーブ!」


 エヴァのガントレットクローから放たれた鋭い波動が、赤い霧を切り裂きながらハインに襲い掛かる。その威力は周囲の地面を削り、爆風で霧を一時的に吹き飛ばすほどだ。


「ぐはっ!」


 ハインは腹部に直撃を受け、衝撃で後方へ吹き飛ばされる。彼の身体は地面を滑り、背中を壁に叩きつけられ、土煙が舞い上がる。しかし、彼は苦痛に顔を歪めながらも即座に跳ね起き、格闘技の構えを取る。その瞳には燃えるような執念が宿り、スピードを上げてエヴァに突進する。だが、彼のガントレットには深い罅が走り、今にも砕け散りそうな状態だった。壊滅は時間の問題だ。


「ブラッドナックル!」


 ハインの拳が血のオーラを纏い、雷鳴のような轟音と共にエヴァへ迫る。その一撃は空気を切り裂き、床にひびを入れるほどの威力だった。


「動きが遅いわよ!」


 エヴァは鋭い眼光でハインの動きを見切り、軽やかなサイドステップで攻撃を回避。直後、彼女の拳が電光石火の速さでハインの顎を捉え、強烈なアッパーカットを叩き込む。

 衝撃音が響き、ハインの身体は宙を舞い、地面に叩きつけられる。床が陥没して土砂が飛び散る中、彼は大ダメージを受け、膝をついて倒れ込む。


「クソ……まだだ……俺はここで……!」


 ハインは血と汗にまみれ、ボロボロの身体を引きずりながら、ゆっくりと立ち上がろうとする。その瞬間、彼の脳裏に過去の記憶が焼き付くように蘇った。


 ※


 それは昨年の頃、ハインは当時剣士として、王都ベルグランで活動していた。その頃はまだ新入りだったが、メキメキと才能を開花してトップクラスにまで上り詰めていた。周囲からは「救世主」や「新たな勇者」と言われていて、本人は自信満々に勇者になれると信じ込んでいたのだ。

 そんなある日、王宮から呼び出しを受けたハインは、王であるメルガラスからの話を聞くことに。彼の隣には異世界出身の少年のケンジこと「桑原健二」の姿もいた。


「今回の件は勇者の事についてだ。実を言うと神官からの報告により、この世界の真の勇者が明らかになった」

「本当ですか!? その人物とは……」


 メルガラスの報告に対し、ハインは驚きを隠せずに興奮の状態で彼に視線を合わせる。ようやく勇者になれる時が来た事に、内心ワクワクしているのだ。

 一方のケンジは冷静な表情をしながら、メルガラスの話を真剣に聞いていた。これから先何が起こるか動じず、与えられた任務をこなそうとしている。

 メルガラスは右手を真上に上げたと同時に、勇者である者をその場で指差した。その選んだ人物とは――。



「勇者は……ケンジ、お前だ」

「!?」



 なんとメルガラスが選んだ人物はケンジであり、ハインはショックで驚きを隠せず、ケンジの方を向いてしまう。当の本人は無言で一礼したと同時に、メルガラスに近づいて片ひざをついていた。


「陛下、必ず任務を果たしてみせます。魔王は俺たちの手で倒しに向かいます!」

「うむ!」


 ケンジの宣言に対し、メルガラスは納得の表情をしながら頷く。彼ならどんな困難でも乗り越えられるだけでなく、魔王を必ず倒せると心から信じているのだ。

 するとハインは慌てながら、メルガラスに近づいてきた。どうやら今の決定に不服があり、真相を知ろうと動いていたのだ。


「メルガラス陛下! どういう事ですか!?」


 納得できないハインからの質問に対し、メルガラスは真剣な表情で彼に視線を移す。その様子だと何か理由があるのだ。


「お主にも勇者の素質があるが、今回の場合はケンジの方が高かった。しかし、ケンジが死んだ場合は……お主となる可能性がある。その時が来たのなら……頼んだぞ」

「はっ!」


 メルガラスからの説明を聞いたハインは、一礼したと同時に元の位置に下がり始める。

 本心は勇者になれなかった事に悔しさを感じているが、チャンスがあるのならそれを掴み取るまで。彼はそう決意を固めていたが、思いもよらぬ出来事が待ち構えている事を、この時は知らなかった……。


 ※


 それから数ヶ月後、ハインにチャンスが舞い降りてきた。そのお知らせは各地で知らされていて、ベルグランでは掲示板に貼り付けられていた。

 勇者であったケンジが死んでしまい、勇者の剣は彼の仲間であったハユンとマリーが持っている。彼女たちは聖剣を使える者がいないか念入りに探していて、現在は手掛かりがない状態となっていた。

 更に勇者になる条件まで掲示されていて、その条件はこうなっている。


・勇者パーティーの結成

・パーティー全員がS級の実力を持つ

・民を守る覚悟を持つ


「チャンスが訪れたか……よし! やってやるぜ!」


 ハインは憧れである勇者になる為、すぐにその場から駆け出していく。

 あの時は自身の目標を果たす事ができなかったが、このチャンスが来たからこそ、二度と失敗は許されない。彼は心からそう決意しながら、目標の一つである勇者パーティーを結成しに向かい出した。


 ※


 ハインはベルグランからペンデュラスに引っ越したと同時に、重戦士のクルーザ、ビショップのザギル、盗賊のルイザ、格闘家のエヴァと出会う。彼ら五人でオパールハーツを結成し、見事S級ランクパーティーまで成り上がる事に成功した。

 しかし、勇者となれるプランの歯車が狂い始めたのは、エヴァを追放したのが原因だった。ルイザは逃げられて改心してしまい、ザギルとクルーザは強制労働の身に。ハインも勇者候補から転落してしまい、全てを失って牢獄送りに。その時にヴァールと出会い、悪鬼の戦士として今に至るのだ。


 ※


(……もう俺は……勇者にはなれない。全てを失った日から死のうと思っていた……だが、これが最後のチャンスと言うのなら……俺は全てを賭ける!)


 ハインの拳が咆哮と共に唸りを上げ、赤い霧を切り裂きながらエヴァの防御を次々と打ち砕く。彼の攻撃はまるで猛獣の咆哮の如く、執拗で容赦ない。エヴァのガントレットクローはその勢いを防ぎきれず、金属音と共に火花が散る。ハインの拳は嵐のように連続し、地面とたる床を震わせ、霧の中で赤い軌跡を描く。


「くっ……!」


 エヴァはハインの拳を辛うじて受け流しながら後退するが、連続する攻撃に身体が悲鳴を上げる。彼女の服はボロボロに裂け、腕には血が滲み、息も荒々しくなる。

 赤い霧が視界を遮る中、エヴァは一瞬の隙を見逃さず、歯を食いしばって反撃の機会を窺う。だが、このままでは敗北は免れない――エヴァは一瞬、目を閉じる。過去の仲間との記憶、零夜たちとの出会い、オパールハーツの崩壊、そしてハインとの因縁が、走馬灯のように脳裏を駆け巡る。


「これで終わりだ!」


 ハインがトドメを刺そうと拳を振り上げたその瞬間、轟音と共に彼のガントレットが粉々に砕け散った。破片が霧の中に飛び散り、地面に金属音を響かせる。


「なっ……!?」

「?」


 ハインの動きが凍りつき、エヴァも一瞬、状況を理解できずに彼を見つめる。ガントレットの破片が地面に散乱し、彼を覆っていた血の鎧が霧のように消滅。強化された力の源を失ったハインの身体は急激に弱体化し、赤いオーラが消え去る。彼はただの人間の姿に戻り、驚愕の表情で自分の震える手を見つめていた。


「こんな……こんなはずじゃ……!」


 ハインの瞳には絶望と執念が交錯していた。勇者になる夢、全てを失った過去、そして今この瞬間にかける最後の賭け――それらが彼を突き動かしていた。しかし、力の喪失は彼の心を折るには十分だった。


「今がチャンス!」


 対するエヴァは、冷ややかな視線でハインを見据える。彼女のガントレットが突如として緑色の輝きを放ち、「グリーンウインド」へと変化する。風の力を宿したその姿は、まるで嵐を纏う戦神のよう。彼女の周囲には清涼な風が渦巻き、強烈な突風が吹き荒れて赤い霧を一掃する。視界を遮るものが消え去り、戦場は一気にクリアに。エヴァにとって圧倒的に有利な状況が整った。


「ハイン、あんたの時間は終わったわ。このグリーンウインドで……全部終わらせてあげる!」


 エヴァの声は鋭く、決意に満ちていた。彼女はかつての仲間だったハインとの因縁を、ここで清算する覚悟を固めていた。オパールハーツの崩壊、追放された屈辱、そして今再び立ちはだかるハイン――全てを乗り越えるため、彼女は風を纏いながら一歩踏み出したのだ。

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