エヴァの身体が疾風を纏い、雷鳴のようにハインへ突進する。グリーンウインドが放つ風の刃は空気を切り裂き、彼女の周囲を渦巻く旋風が床を削り取るほどの勢いで唸りを上げていた。戦場の空気は張り詰め、一触即発の緊張感が漂う。
「お、おのれ……ここでやられてたまるかよ……!」
ハインは血と汗にまみれた身体で、震える拳を必死に振り上げる。しかし、弱り切ったその動きはあまりにも緩慢だ。エヴァの拳が風を裂き、轟音と共にハインの胸に炸裂。衝撃波が爆発のように広がり、彼の身体を吹き飛ばす。床が砕け、破片が舞う中、ハインは数十メートル後方の壁に叩きつけられ、岩の壁を粉々に砕いた。
「がはっ……!」
壁を抉りながら地面に崩れ落ちたハインは、動くことすらままならない。血と埃にまみれ、蓄積したダメージが彼の身体を蝕み、立ち上がる力すら奪っていた。
エヴァは荒々しく息を整え、倒れたハインを見下ろす。その瞳には憐れみも同情もない。ただ、過去を焼き尽くす猛々しい意志が燃え盛っていた。
「これ以上戦えないなら、私がとどめを刺してあげる! 二度とあんな思いはしないし、アンタを倒してこの因縁を終わらせるわ!」
エヴァはグリーンウインドの出力を極限まで引き上げ、空間そのものを震わせるほどの力を拳に宿す。確実に終わらせるにはこれしかない。彼女の覚悟は揺るぎなく、殺意すら感じさせる気迫が辺りを圧倒していた。
コツコツとハインに近づくエヴァの足音が、死神の行進のように戦場に響く。ハインは這うように身を起こそうとするが、恐怖に震える身体は言うことを聞かない。最早プライドも何もかも捨て去り、彼は命乞いを始めた。
「待ってくれ……俺は……俺は……!」
「煩い、大馬鹿!」
ハインの哀れな叫びも虚しく、エヴァの拳が雷鳴と共に振り下ろされる。風を切り裂く一撃はハインの心臓を狙い、その威力は地面を穿ち、衝撃で周囲の瓦礫を吹き飛ばすほどの勢いだった。
「が……は……!」
ハインの身体は一瞬硬直し、血を吐きながらその場に崩れ落ちる。完全に戦闘不能となり、動くことすら叶わない。戦いの終焉を告げる静寂が、破壊された戦場に重く広がる。エヴァが因縁の戦いを制した瞬間だった。
「な、何故だ……どうして……エヴァに勝てなかったんだ……教えてくれ……」
ハインは血まみれの顔で、なおも理解できないと呻く。自身がここまでやられるのは想定外であり、理由を聞かないと納得できないと感じているのだ。
エヴァは冷たく彼を見据え、真剣な口調で言葉を紡ぎ始めた。
「あなたは私を捨てなければ、こんな結末にはならなかった。アンタみたいなクズが勇者になるなんて、絶対にあり得ない。生まれ変わって出直しなさい!」
その言葉は刃のように鋭く、ハインの心を突き刺す。彼は愕然とし、目を大きく見開いたまま動けなくなる。自分の敗因が過去の選択にあったことを悟った瞬間であり、涙が血と混ざり合って彼の頬を伝う。
その直後、ハインの脳裏に走馬灯が流れ、勇者としての栄光と挫折、オパールハーツの興亡、そしてエヴァへの裏切りが鮮明に蘇る。特に、彼女を傷つけた記憶が、鋭い刃となって胸を抉っていた。
「ああ……俺があの時……エヴァに酷い事を……しなかったら……こんな……結末には……ならなかった……ゴメンよ……エヴァ……」
後悔の涙を流しながら、ハインは最後の力を振り絞って謝罪する。直後、彼の身体は光の粒となって崩れ落ち、天井へと儚く舞い上がった。跡には大量の金貨が散乱し、戦いの残響だけが虚しく響く。
エヴァは金貨を無言で回収するが、その手は微かに震えていた。
「謝ったって、許さないんだから……バカ……」
ポツリと呟く彼女の目から、涙が一筋零れ落ちる。ハインは彼女を裏切った元凶だったが、共に過ごした日々の記憶は今なお心の奥に刻まれていた。その痛みは、勝利の果てにも癒されることはなかった。
その時、マツリが血と汗にまみれながらエヴァのもとに駆け寄る。幼馴染の危機を見過ごせず、彼女の無事を確認しにきたのだ。
「大丈夫か、エヴァ?」
「大丈夫。この傷は自力で回復するから」
エヴァは自ら気功術を起動し、傷だらけの身体を癒し始める。血に染まった腕は元の白さを取り戻し、ボロボロの服も修復されていく。回復を終えた彼女は、腕を軽く振って身体をほぐし始めた。この様子だと問題ないだろう。
「これでハインとの因縁は終わった。だが、本当に後悔はないのか?」
「うん。ハインを倒した以上、私は新たな道を突き進む。大切な人がいる限り、私は止まらない」
エヴァの決意に満ちた笑顔に、マツリは一瞬苦笑いを浮かべるが、すぐに視線を戦場へと移す。そこでは零夜とトワ、リッジ、倫子とヴァール、ベルとメイドロボの激戦が繰り広げられていた。一進一退の攻防の中、彼らを倒さなければ秘宝どころか命すら危うい。油断の許されない戦いが続いている。
「手助けは不要だろうが、リッジの動きには要注意だ」
「ええ。今は零夜たちがピンチになったらサポートに入る。それまで待機しないと」
エヴァの提案にマツリも頷き、日和たちが待つ場所へと向かい始める。だが、彼女の心にはリッジへの警戒心が渦巻き、迫りくる戦いの危機感が重くのしかかっていた。
※
ハルヴァス世界のクローバールでは、新年を祝う祭りが最高潮に達していた。街は色とりどりの明かりと歓声に包まれ、人々は酒と音楽に酔いしれている。だが、ギルドの中では緊迫した空気が漂っていた。メリアがモニターを睨みつけ、零夜たちの戦況を見守っているのだ。
(ミッションの残り時間はあと1時間40分。幕張ネオンモールに異常はないけど、ここで負ければリッジの猛攻で全てが終わる……皆さん、どうか無事で……)
メリアの表情は不安に曇り、祈るように手を握りしめる。失敗すれば八犬士の信頼を失うだけでなく、二つの世界がリッジの手に落ちるのは時間の問題だ。
その時、ギルドの扉が重く開き、ボロボロの三人の冒険者が姿を現す。彼女たちの目は虚ろで、肩を落としたままメリアに近づいてきた。
「お帰りなさい。クエストはどうでしたか?」
「成功した……けど……」
女性格闘家が力なく呟き、血に汚れた剣を差し出す。それは共に戦った男性剣士の形見だった。クエストの最中に凶悪なモンスターに襲われ、彼は命を落としてしまった。生き残ったのはこの三人だけであり、落ち込んでしまうのも無理はない。
「そうですか……その剣は預かります。賞金の手配をします」
メリアは淡々とパソコンを操作し、賞金を手渡す。三人は一礼し、魂が抜けたようにギルドを後にした。仲間を失ったショックがとても大き過ぎて、今後の活動にも大きく影響が及ぼすだろう。
「大晦日にこんな結末だなんて……ショックも大きいはず……」
メリアは重いため息をつき、天井を見上げる。クエストには死が付き物だ。モンスターの脅威、予期せぬ事故――冒険者の命は常に危険に晒されている。
「けど、今は零夜さんたちの成功を信じるしかない! 私は私の役目を果たす!」
メリアは気合いを入れ直し、モニターに視線を戻す。零夜たちの勝利を心から信じ、彼女は最後の瞬間まで見守り続けるのだった。