遊園地の騒動から数日後の昼下がり。零夜はメイルに寄り添い、居間のソファに身を沈めていた。重い空気が二人を包み、窓から差し込む柔らかな陽光も、どこか冷たく感じられる。本日のトレーニングは終わり、身体は休息を求めていたが、心はまだあの事件の余波に揺れていた。
「今日のトレーニングも終わったが……あの事件、衝撃的だったな……」
零夜の声は低く、どこか疲弊していた。トレーニングの疲れだけでなく、数日前の事で気になる部分があるのだろう。
「ええ……孤児たちは警察に連行された後、更生施設へ移されました。ゲストの子供たちを傷つけた罪は重いですからね。もう、普通の生活には戻れませんし……」
メイルの言葉には、深い哀しみと無力感が滲む。彼女の瞳は虚空を見つめ、過去の記憶をたどるように揺れていた。
二人は梨里たちのことを思い出し、居間の天井に吊るされたランプを見上げた。梨里たちは警察に連行された後、児童相談所に通告されてしまう事態に。そのまま一時保護所を経て、厳格な養護施設へと送られたのだ。少年院送りを免れたのは不幸中の幸いだが、罪を償い、人生をやり直すには長い時間が必要だろう。二人の胸には、重苦しい沈黙が広がる。
「そうだな……ところで、メイル。なんか服装、変わってるな……」
零夜は隣に座るメイルに視線を移し、思わず眉をひそめた。
メイルの姿は、明らかに異様だった。上半身は裸にリボン付きの付け襟のみ。淡い水色のロングオーバーオールは、ハイウエストでマルチカーゴポケットが目立ち、肩紐にはフリルがあしらわれている。さらに、腰にはメイドエプロン、頭にはメイドバンド。奇抜な装いは、まるで現実から一歩ずれた存在感を放っていた。
「ええ。倫子さんたちの衣装を見て、私もイメチェンしようと思いました。少し派手すぎたのでしょうか?」
メイルは首を傾げ、キョトンとした表情で零夜を見つめる。その瞳はとてもまっすぐで、可愛らしさを感じてしまう。
「真似しなくて良いから……」
零夜は呆れ顔でため息をつく。彼女の無邪気さが、かえって場の重さを際立たせていた。
小学生の頃、零夜はメイルに抱かれるたび、彼女のオーバーオール姿に心を奪われた。それがきっかけで、零夜はオーバーオールやジーンズを着る女性に特別な好みを抱くようになった。だが、今はその癖が、どこか皮肉な重荷に感じられる。
「元はと言えば、メイルさんのせいで、俺がオーバーオールやジーンズの女性に弱くなってしまったんだからな……その癖、治らないのは分かってるけど……」
「まあまあ。済んだことは仕方ないですよ」
メイルの軽い口調に、零夜は盛大にため息をつく。彼女の苦笑いが、静かな居間に小さく響いた。
その瞬間、鋭いインターホンの音が空気を切り裂いた。
「私、向かいます!」
メイルはソファから飛び上がり、弾かれたように玄関へ駆け出す。零夜の心臓が一瞬早く鼓動し、嫌な予感が胸をよぎった。メイルが扉を開けた瞬間、彼女の驚きの声が響く。
「あっ! 院長先生!」
そこに立っていたのは、メイルがかつて働いていた孤児院の院長だった。彼女の登場は、まるで嵐の前触れのように、場の空気を一変させた。
※
応接室に移った零夜とメイルは、院長の前に座り、緊張感を孕んだ空気の中で話を聞いていた。
「まずは、零夜さんたちに謝罪します。ウチの子供たちが、本当にすみませんでした」
院長は深く頭を下げ、声に滲む悔恨が部屋に重く響く。自分の子供たちが引き起こした事件の責任を、彼女は全身で背負っていた。
「いえいえ、院長先生のせいではありません。私も黙って孤児院を去った責任があるし……」
「そうですよ。子供たちはもう養護施設に移された。もうこの話は終わりにしましょう」
零夜とメイルは苦笑いを浮かべ、院長を慰めるように言葉を返す。だが、その言葉の裏には、事件の傷跡がまだ生々しく残っていた。
院長は顔を上げ、鋭い視線を二人に投げる。
「そうですか……あと、もう一つ。子供たちが少年の魔術で力を手に入れたと聞きました。そのことに、心当たりがあります」
「心当たり?」
その言葉に、零夜とメイルの身体がピクリと反応する。梨里たちがなぜ襲い掛かってきたのか、その真相が今、目の前に迫っていた。二人の目は院長に釘付けになり、息を呑むような緊張が漂う。
「ええ。あれはメイルさんが去ってから一週間後、突然木の上に少年が現れたのを目撃しました。すると彼は魔術を発動し、梨里ちゃんたちに力を与えた。その直後、少年はまるで煙のように消え去ったのです。ですが、彼の姿は防犯カメラに残っています」
院長の言葉に、メイルの瞳が燃えるように鋭く光った。梨里たちを狂わせた元凶への怒りが、彼女の胸を焼き尽くそうとしていた。
「その時の映像はどんなものでしたか?」
メイルの声は、普段の柔らかさを失い、鋭く切り込むようだった。その様子に誰もが驚くのも無理ないが、怒りによってこうなるのも当然である。
「写真を用意しています。こちらです」
院長は懐から二枚の写真を取り出し、メイルに差し出す。彼女はそれを手に取り、まるで獲物を捕らえる猛獣のように、写真を凝視した。少年の姿が、彼女の脳内に鮮明に刻まれる。
「分かりました。このことは他の仲間たちに伝えます」
「お願いします。梨里ちゃんたちを最悪な目に遭わせた者を、徹底的に倒してください」
院長は一礼し、足早に応接室を後にした。その背中には、孤児院の未来への重い決意が滲んでいるようだった。
(あの孤児院、どうなるんだろうな……中学生以上の子が八人いるらしいが、あの事件のせいで経営は厳しくなるだろう……)
零夜は院長の後ろ姿を見送りながら、孤児院の行く末に思いを馳せる。胸に広がる不安は、まるで暗い霧のように彼を包み込んでいた。
※
その夜、零夜とメイルは仲間たち――倫子、日和、アイリン、エヴァ、トワ、ベル、カルア、ヤツフサ、そしてマツリ――を集め、院長との話を伝えた。薄暗い部屋に集まった一同の顔は、緊張と決意に引き締まっている。梨里たちを操った少年の存在は、誰もが予想しなかった脅威だった。
「確かに一理あるわね。でも、その証拠となる写真はある?」
アイリンの鋭い質問に、メイルはオーバーオールの胸ポケットから写真を取り出す。その仕草はまさにドキッとしてしまう事もあるが、特に裸ロングオーバーオールだと、ますますドキドキする事も当然と言える。
「ええ。先ほど貰った写真がこちらです」
写真には、冷たく無表情な少年が映っていた。魔術を発動する瞬間、まるで闇そのものをまとったような不気味な気配が漂う。
「これが元凶の少年……」
「見た目は普通の小学生なのに、どこか違和感が……」
「うん……もしかして、Bブロック隊長の可能性もある?」
「いずれにせよ、悪鬼の者であることは確実ね……」
エヴァたちの声には、抑えきれない警戒心が滲む。この少年が梨里たちに力を与えた元凶なら、ただの人間ではない。Bブロック隊長の可能性すら囁かれ、部屋の空気は一層重くなる。
その時、マツリの身体がワナワナと震え始めた。彼女の目は写真の少年に釘付けになり、顔には憎悪と恐怖が入り混じった表情が浮かぶ。
(見つけた……まさか、奴がこの世界にいるなんて……!)
マツリの心臓は激しく鼓動し、過去の記憶が嵐のように蘇る。彼女の握り潰した拳は、抑えきれない怒りを物語っていた。
「どうしたの? 何かあった?」
エヴァがマツリの異変に気付き、心配そうに声をかける。彼女の尻尾が不安げに揺れ、幼馴染の異様な雰囲気に胸が締め付けられる。
マツリはエヴァの視線を感じ、ゆっくりと顔を上げる。その目は燃えるような決意に満ち、仲間たちを真っ直ぐに見つめた。
「実は……アタイはこの少年と遭遇したことがある。奴の名はパニグレ。アタイの故郷を滅ぼした元凶だ!」
「「「ええっ!?」」」
マツリの告白は、雷鳴のように部屋を震撼させた。少年――パニグレ――との戦いは、新たな波乱を呼び起こす前触れだった。零夜たちの視線が交錯し、誰もがこれから始まる戦いの重さを予感していた。