マツリからの衝撃告白に、この場にいる誰もが驚きを隠せずにいた。彼女の故郷が既に滅んだのは知っているが、まさかパニグレが関わっていたとは、誰一人として予想できなかった。空気が凍りつき、まるで時間が止まったかのような沈黙が広がる。
「まさかマツリがパニグレと関わっていたなんて……何があったのか説明してくれない?」
倫子は眉をひそめ、心配そうな表情でマツリに語りかける。彼女の声には、ただ事ではない予感とマツリへの深い気遣いが滲んでいた。日和たちもまた、同じく不安げな瞳でマツリを見つめ、彼女の心の傷を慮るように静かに息を潜めている。
「ああ……あれは……昨年の頃だ……」
マツリは俯き、唇を震わせながら、過去の記憶を掘り起こすように語り始めた。その声は低く、まるで心の奥底から絞り出すようだった。誰もが息を呑み、彼女の話に耳を傾け始める。それは、彼女の人生を永遠に変えた、壮絶な悲劇の物語だった。
※
昨年の5月。ハルヴァス世界の東方に、ジャバラ村という小さな村が存在していた。そこは和風文化が息づく穏やかな地で、黄金に輝く稲穂や色鮮やかな野菜、絹や綿の織物が村の誇りだった。村人たちは互いに支え合い、笑顔が絶えない場所だった。
マツリは赤ん坊の頃に両親を亡くし、村の孤児院で育てられた。この頃、彼女は孤児院の最年長として、幼い子供たちの姉貴分のような存在だった。彼女の笑顔と力強い声は、子供たちにとって希望の光だった。
そんなある日、マツリは突然、旅に出ることを決意した。彼女の言葉に、孤児院の皆は目を丸くする。院長のノックスでさえ、驚きを隠せずにいた。
「本気ですか?」
「ああ。アタイは何時までもここにいる理由じゃないし、世界を旅して色んな経験をしてみたい。それがアタイの夢だからな」
マツリは青い空を見上げ、胸の内に秘めた夢を力強く語る。彼女の瞳は燃えるように輝き、その言葉には一点の曇りもない。彼女にとって、これは自由への第一歩であり、己の運命を切り開く決意だった。
だが、ノックスは首を振って反対した。厳格な彼の表情には、マツリを失うことへの深い恐れが垣間見える。
「それは無理です。あなたが孤児院から出てしまえば、経営も苦しくなります。それに子供たちはあなたを慕っていますし、いなくなると寂しくなりますので」
ノックスの言葉に、マツリは子供たちがいる場所へ視線を移した。彼らの小さな瞳は、不安と悲しみに揺れていた。マツリは子供たちにとって、ただの姉貴分以上の存在。彼女の笑顔が、彼らの心の支えでもあるのだ。
「大丈夫だって! お金は稼ぐし、その稼ぎの半分を施設に送るから! それじゃ、自主練に行って来る!」
「あっ、ちょっと!」
ノックスの制止を振り切り、マツリは勢いよくその場を飛び出していく。彼女の心は、自由への渇望と、抑えきれない衝動で溢れていた。一度決めたら後戻りしない――それがマツリの生き方だった。だが、その決断が、後に取り返しのつかない悲劇を招くとは、彼女自身も知る由もなかった。
※
マツリは刀を手に、今日も自主練に励んでいた。侍としての彼女にとって、刀を振ることは呼吸と同じだった。毎日二百回の素振りを欠かさない。その刃は、彼女の夢と誇りを象徴していた。
「よし! 取り敢えずはこのぐらいだな。にしてもノックスの奴……孤児院の事を第一に考えるなどあり得ないぜ……」
素振りを終え、汗を拭いながら、マツリは空を見上げて呟く。ノックスの言葉は理解できるが、彼が子供たちの自由な未来を軽視しているように感じ、彼女の心は苛立っていた。孤児院は大切な居場所だが、彼女にはもっと大きな世界を見たいという願いがあったのだ。
「アイツの仕事狂は異常過ぎるぜ……さーてと、そろそろ狩りでも行くとするか……」
刀を鞘に納め、背負い直したマツリは、森へと足を踏み入れようとした。その瞬間、背後から轟音が響き渡った。空を切り裂くような爆発音。彼女の心臓が一瞬止まる。
「な、なんだ!?」
振り返ると、ジャバラ村が炎に包まれていた。真っ赤な炎が空を染め、黒煙が渦を巻く。焦げ臭い匂いが風に乗ってマツリの鼻をつく。彼女の故郷が、目の前で地獄と化していた。
「まさか村に何があったのか!? 急いで戻らないと!」
狩りの予定を放棄し、マツリは全速力で村へと駆け戻る。心臓が激しく鼓動し、嫌な予感が胸を締め付ける。襲撃――それ以外に考えられない。彼女の刀が、鞘の中で不気味に鳴った。
※
ジャバラ村に辿り着いたマツリを待っていたのは、想像を絶する惨状だった。家々は燃え上がり、村人たちの亡魂が風に漂うように静かだった。地面には血と灰が混ざり合い、かつての笑顔が嘘のように消えていた。まさに地獄絵図そのものだった。
「そんなバカな……村がこんな展開になるなんて……」
マツリは呆然と立ち尽くし、震える声で呟く。彼女の心は、目の前の現実を拒絶していた。だが、時間が許してくれない。彼女は我に返り、孤児院へと急ぐ。そこには、彼女が姉のように守ってきた子供たちがいるはずだった。
※
孤児院に辿り着いた時、建物は既に炎に飲み込まれていた。屋根は崩れ落ち、窓から赤い炎が吹き出す。地面には、子供たちが愛したぬいぐるみがボロボロになり、血の跡が痛々しく残っていた。子供たちの姿はどこにもない。殺されたのか、連れ去られたのか――どちらにせよ、希望は潰えた。
「嘘だろ……孤児院が……」
マツリが絶望に打ちひしがれる中、微かな呻き声が聞こえた。視線を移すと、そこにはノックスが血まみれで倒れていた。彼の身体は無残に傷つき、命の灯が今にも消えようとしている。
「おい! 大丈夫か!?」
マツリは駆け寄り、ノックスの上半身を抱き起こす。彼の体は冷たく、血が彼女の手を濡らす。ノックスの目は、既に遠くを見ているようだった。
「マツリ……駆け付けてきたのですね……」
「孤児たちは……どうしたんだ!?」
マツリは必死に問いかけるが、ノックスは弱々しく首を振る。その仕草だけで、彼女の心はさらに深く抉られた。
「残念ながら子供たちは……いなくなってしまった……」
「そうかよ……クソッ!」
マツリは拳を地面に叩きつけ、悔しさに歯を食いしばる。自分がもっと早く戻っていれば、こんなことにはならなかった――その思いが、彼女の心を容赦なく締め付ける。
「ですが……あなただけはまだ生きている。これを……受け取ってください……」
ノックスは震える手で、懐から黒い数珠を取り出した。太陽の光を浴び、まるで涙のように輝くその数珠は、彼の人生の全てを象徴しているようだった。
「これは……先生の宝物である数珠じゃないか! これをアタイに渡して良いのか?」
マツリは驚きと戸惑いで声を震わせ、ノックスを見つめる。彼は力なく頷き、穏やかな笑みを浮かべた。その笑みは、まるでマツリに全てを託すかのようだった。
「ええ。これを形見だと思ってください……そして、私はあなたを応援しています……あなたなら……立派な侍となって……ハルヴァスの……未来を……託せられると……信じています……」
その言葉を最後に、ノックスの目は閉じられた。彼の身体は光の粒となり、まるで星屑のように大空へと舞い上がる。マツリの手には、ノックスの形見である冷たい数珠だけが残されていた。
「先生……」
マツリは膝をつき、嗚咽を漏らす。涙が地面に落ち、血と混ざり合う。彼女の心は愛する人々を失った痛みで引き裂かれていたが、その悲しみはまだ終わらない。
「やれやれ。まさかこんな事になるなんてね……」
「!? テメェは誰だ!?」
突然、背後から冷たい声が響き渡り、マツリは涙に濡れた顔を上げて声の主を睨みつける。そこには一人の少年が立っていた。パニグレ――ジャバラ村を滅ぼし、彼女の全てを奪った元凶だ。
「僕の名はパニグレ。悪鬼の者さ。この村を滅ぼしたのも僕だし、孤児たちについては全て連行させてもらったから」
「テメェ! よくも皆を!」
マツリの怒りは爆発し、彼女は刀を握りしめパニグレに突進する。彼女の目は憎しみと絶望で燃え、ただ一つの願い――復讐――が彼女を突き動かしていた。
「やれやれ……僕は忙しいからね。じゃ、帰るから」
パニグレは冷たく言い放ち、軽やかにマツリの攻撃をかわす。次の瞬間、彼は転移魔術で姿を消した。
燃え尽きた村に残されたのは、マツリ一人。彼女は刀を地面に突き立て、膝をついてしまった。
「畜生……うわあああああ!!」
空に向かって咆哮するマツリの声は、まるで魂の叫びだった。涙は止まらず、彼女の心は憎しみと悲しみに支配されていた。パニグレを倒す――その誓いだけが、彼女をこの地獄から立ち上がらせる唯一の力だった。