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不殺の魔王

 少女は森の中を駆けていた。暗い暗い、獣道を潜っては足元で木の子が香る土の上を歩く。


「こんなところに、本当にいるのかしら。華の精」


 少女は十六ほどで、華奢な身体を土に汚しながら華の精を探す。お気に入りの靴は汚れ、てのひらの土は乾いていた。パサパサとした嫌な感覚と未だ見つからない華の精に泣きそうになる。

 しばらく森の中を彷徨っていると、一際光の差し込む場所があった。灯りに群がる蝶々のように、光の中へ少女は助けを求める。

 眩い光に視界が奪われていく。


「お願いです、華の精。どうか、私の恋人を救ってください!」


 瞑った目を開けると、目の前にはアルラウネがいた。少女は自身の目を疑ってしまう。

 アルラウネはにこり、と微笑んだ。その表情が噂に聞く華の精であることを教えてくれた。

 優しさに溢れた眼差しは助けを求める少女を魅了する。


「いいでしょう。但し、条件があります」

「条件?」

「……貴女の血を少し分けてください。その後私は五つの質問をします。正直に答えてください。いいですね?」

「わかったわ」


 少女は瑞々しい腕を噛み、出血させる。傷から滲んだ雫をアルラウネの根に垂らす。曲がりくねった根の一部が、赤く染まる。


「交渉成立ですね。改めまして私の名前はシニカといいます。以後、お見知り置きを」


 アルラウネ――シニカはひらりとスカートの裾を摘むようなポーズを見せた。すぐに真剣な表情へと戻り、口を開く。

 質問の始まりである。


「まずは第一の質問です。先程救ってくださいと言いましたが、貴女の恋人はどのような状態にあるのですか?」

「手足が痺れるらしくて、最近になって歩くのが大変だって……家で寝たきりなの」


 何かの病気なのでしょうか、と少女の口から零れる。その一言に答えることなく、シニカは第二の問いを出す。


「どれくらい前からしびれがありましたか?」

「ええと、かれこれ半年くらい前からだと思うわ」


 少女は経緯を思い出すが、かなり前から病に伏せていたようで大まかな答えしか出せない。しかし、シニカはこれらの情報での病に目処が立っていた。あとはその推測に背景が合致するかどうかである。


「三つ目の質問です。貴女がこれまでに恋愛関係にあった人はどれほどいますか?」

「……今までに三人くらいよ」

「では、しっかりと身体を清潔に保ってますか?」

「それは勿論。毎日身体を拭いてるわ」


 そして、シニカは最後の質問に移った。


「最後の質問です。貴女の体調はいかがですか?」

「えっ、私? 私は至って普通だと思うわ。でも、月のものが早かったり遅かったりするかも」


 するとシニカの表情が一変する。少女の背景と推測が重なったのだ。


「そうですか。私はこれから悲しいことを貴女に伝えなければなりません」


 とても辛そうな顔で少女の目をみつめるシニカ。シニカの瞳を見て、少女は今から何を言われるのか想像できてしまった。


「貴女の想い人は恐らく、あまり長くはありません。だからここをすぐに出発することを薦めます。それと貴女も、病気を治療するように努めてください」

「私も、病気……!?」

「ええ、恐らくは。夜の営みで伝播する疫病があるのです。貴女たちはその疫病を持っているのだと思います」


 少女たちはそのうち、赤黒いまだらが顕著になるだろう、とシニカは考える。

 少女は相当なショックを受けているようだ。地面にぺたんと腰を落として嗚咽している。少女は自分の身体も麻痺していくのかと思うとそれだけで怖かった。


「貴女ならまだ疫病が全身に回っていない可能性が高いですが、恋人のほうはが全身に回っていると思います。余命は決して長くはないでしょう」

「そう、ですか」


 少女の目尻から涙が零れた。

 しばらくそのまま涙を流していると、気分が落ち着いたのか立ち上がる。急いだ様子で帰路についた。


「本当にありがとう、華の妖精さん!」

「こちらこそ新鮮な血液、ご馳走様でした。貴女も治療を頑張ってくださいね」


 勇敢に走っていく後ろ姿を見て、シニカは呟く。


「……私はそんなお礼を言われるような大層な存在ではないですよ。なんせ、魔王なんですから」



 町に帰ってきた。

 少女はすぐに恋人のもとへ向かう。家の扉を開け、眠っているであろう寝室へと駆け込む。


「や、やあ。帰って、いたんだね」


 ベッドの上に横たわった少年がいた。布団を腹の辺りまで被り、横目で少女を見つめている。

 少年は上体を起こそうとするも上手く動かない。少女が弱々しい身体を支えることで、ようやく起き上がった。


「ごめんなさい。本当に、ごめんなさい」

「華の精の噂、本当だったんだ。そっか、僕も長くはないんだね」


 少女の表情から自分の余命は長くはないと悟るも、上手く言葉が紡ぎ出せない。


「聞きにいってくれてありがとう、シーナ。これだけで覚悟ができる、から」 


 少女、シーナの目の前で少年は微笑むが、その笑顔は今にも泣き出しそうであった。非情な現実を突きつけられて、平気でいられる訳もないだろう。


「本当にありがとう。これだけ、先に言ってもいいかい?」

「……え?」

「愛してる。ずっと」

「うぅぅ、うわぁぁぁぁぁぁん!」


 少女はとうとう、大声で泣き出してしまった。


 ***


「お久しぶりですシニカさん。あの時の助言、本当にありがとうございました。治療もしっかりと行ったので、またここに来てしまいました」


 いくらかの月日が流れ、あの時の少女がまたやって来た。少女の名前はシーナというらしく、もう十八になったそうだ。


「……お別れはしっかりとできましたか?」

「今もここに思い出があるから大丈夫です」


 そう言って、首にかけられたペンダントを摘んでシニカに見せる。どこか吹っ切れたような表情で長かったはずの髪は短くなっていた 。


「今日はどうしてここに? いや、その理由を当ててあげましょう。ズバリ、私のお世話をしたい。なんてどうですか?」

「わぁ、本当に当てるなんてやはり凄いね。シニカさんは」

「冗談のつもりだったのですが。まさか、本当に?」

「えぇっ!?」


 冗談のつもりが実際に言い当ててしまい、なんとも微妙な空気が流れる。驚いたままのシーナと目を瞑ったままのシニカ。

 静寂を先に破ったのは、シニカだった。


「自己紹介がまだでしたね」

「どうして自己紹介を?」

「いえ、しっかりと自己紹介はしていなかったと思いましてね。ただし、驚かないように」


 コホン、と咳払い一つ。それからシニカは本名を名乗った。


「私は不殺の魔王、エフェドラ=シニカ。人間が大好きな変わり者の魔王です」

「え、えぇぇぇぇぇぇぇえ!?」


 今までにない驚き方をするシーナ。口をあんぐりと開け、目が飛び出すくらいにはシーナの実名に驚いている。悲鳴は森の中を反響して鳥が数匹飛び去った。


「確かに私はこの場を離れることが出来ませんから、世話をしてくれるというのはとても助かります。だとしても住居はどうするのですか?」

「そう思って寝袋など一式持ってきたわ!」


 その行動力の高さにびっくりする。

 後ろに背負ったリュックサックに荷物が全部入っているのだろう。


「はぁ。それならこれは、私から貴女に。【家よ建てbuilding home】」


 足元の土が隆起し、瞬く間に家が建つ。土はしっかりと押し固められ、余程の嵐や台風でもなければ寒さを凌げそうだ。


「すごいわシニカさん、魔法も使えるのね」

「それは勿論、魔王ですから」


 と、ジョークで返す。

 退屈が和らいだためかいつになく口が軽かった。それに加えて魔法を使ったのも久しぶりだ。最後に放ったのは何百年前のことだろうか、とシニカは思いを馳せる。


「あの家の中で過ごしていれば寒さや風は大丈夫だと思いますよ。ここは山の麓なので雨は降りますがあまり嵐は来ないんです」

「そんなに頑丈なら、どうしてシニカさんは家に入らないの?」

「…………は?」


 素朴な疑問にシニカは困惑してしまう。上手く意図が伝わらずシーナは慌てて補足した。


「あ、ええと。どうして周りを壁で囲まないの? 雨風で萎れてしまうことはないの?」

「時々ありますよ。根が折れてしまったり、上半身に力が入らなくなったり。だから迷い人にこうして、血を分けてもらってるんです。でも壁を作ろうとは一度も考えませんでしたね」


 これはシニカにとって心の芯に当たる部分だ。

 また壁があると人間に接しづらいという理由もあった。そもそもの話人が来づらくなるだろう。

 ただでさえ暗い暗い森の中なのだから。

 そういったいくつかの理由をシーナに説明すると、シニカは一呼吸つく。


「そうなのね」

「えぇ。それに人を観察することが趣味なのに、外が見えなかったら元も子もないでしょう?」

「確かにそうかも」


 シーナは妙に納得してしまった。

 そして、大樹海でシーナの生活が始まる。


「ねぇねぇ、シニカさん。ここって本当に人がいないのね」


 池から桶に汲んだ水をシニカの根に優しくかけながらシーナはこぼす。ここは獣もあまり見かけない上、陽光が限られる場所だ。


「そうですね、噂を聞きつけた人間ぐらいしか私もお会いしたことがありません。それよりもシーナ」

「どうしたの、突然に?」

「貴女はまず、やらなければならないことがあります。それをしなければ最悪死にます」

「えぇ!? し、死ぬ……?」


 シーナは以前にも似た恐怖心が溢れ出す。バケツから跳ねた水のように、目元には涙が浮かんでいた。


「いえ、そんなにすぐということではないですよ。この生活が続くときっと体調を崩してしまうでしょう?」

「この生活が?」


 光もあまり届かない森で、植物由来の食べ物しか現状摂ることが出来ない。つまるところシニカは、栄養面でシーナの体調を心配していたのである。


「まずは豆をどこかで育てなさい。獣もあまりここには現れませんから、タンパク源は確保しないといけませんよ」

「豆ですか?」

「ええ。大豆を乾燥させたものをいくつか、持っているので少し分けてあげましょう」


 そう言いながら、根の隙間をまさぐって種を取り出す。その種をシーナの手のひらに乗せた。


「まずはそれを植えなさい。大豆は最初、わずかな光で育つことが出来ます」

「ありがとう、シニカさん!」


 ぱぁっと笑顔が咲くシーナ。

 シニカは毎日綺麗な水に交換することが必要だと説明をしておく。二度ほど首を縦に頷かせたシーナは早速土を耕し始めた。

 土を柔らかくすること、地中に空気を含ませること──その二つを意識する。

 土の上に凹みをつくり種を植えた。その後、澄んだ水を振りかける。

 それからもやしが発芽したのは三日後のことだった。


「シニカさん」

「どうしたのですかシーナ?」


 発芽した種に水やりをしながらシーナは突然、とある質問をした。芽は二センチほど伸びたくらいで、まだ茎は黄色が薄い。


「どうしてそんなに人間が好きなの?」

「急に、どうしました?」

「だってほら、魔王ってすごく怖いし。あまり良いイメージがないから」

「強いて言うなら、短い命で繁栄と衰退を繰り返していることに感動したから、でしょうか」


 シニカは真面目に答える。

 シニカはとても長い寿命を持ち、人の六十年など誤差に等しい。だから極端に短い時間の中でどれだけのことができるのかとても興味を持っていた。


「……ちょっとだけ昔話をしましょう。あれは確か、二百年程前でしたか」

「二百年前?」


 あの時、森を訪れた王がふと脳裏を過ぎる。国は滅んだと聞いたが、今となって罪悪感が湧く。助言一つでどのような変化が起こるのか、とても興味がある。しかし、その過剰な好奇心のせいであの国は滅びの道を辿ってしまった。


 ──シニカが感動を覚えたのは、それからだろうか。

 人間を魔法で観察することに躍起になったのは間違いなくその後だ。実際この二百年に森を訪れた者には悪意ある助言をしていない。


「だからこう見えて、昔は悪者だったんです」

「そうだったのね」


 こうして自分の罪とともに人間への執着をシニカは打ち明けた。悪意では無いにせよ大昔にあった出来事にシーナの瞳は見開かれる。

 唐突に訪れた静寂。


「……ぁ」


 その空気を破ったのはシーナだ。とっくに水やりを終えてシニカの目の前に正座する。青い双眸をじっと向けてシニカの反応を待つ。


「ごめんなさい。私の話に失望しましたか? 恐怖しましたか?」

「正直に言えば失望というよりも、怖いよ。人だから理解できないのかもしれないし、育ちの悪さが原因かもしれない。言葉で表すのが難しいけれど、怖い」


 シーナは黒い前髪の奥で拒絶の色が浮かんだのを実感した。


「そうですか。貴女にとってこの環境はあまり、良いものではありません。今すぐに出立した方がいいかもしれませんね」

「それは嫌!」


 シーナは立ち上がり、強く反発する。その瞳は迷うことを知らずとても真っ直ぐだった。


「……は?」


 シニカの口から思わず変な声が漏れる。理屈が通っていない上、自分自身シニカを許せなかった。罪をさらけ出しておいて、それを無理やり容認させるのが怖かった。だからシニカが次に吐いた言葉は、ただの我儘かもしれない。


「どうして出ていかないの。私が怖いのでしょう? ならどうして」

「それはシニカさんに助言をもらったあの日から、感謝を忘れていないから! だから私は、ここでシニカさんを手伝いたいの」


 シーナの正直な想いが紡がれていく。

 それをシニカがどのように受け取ったのかまでは分からない。それでもシニカの目元からは涙が溢れていた。


「シニカさん。私はきっとあなたを幸せにするわ」

「……それは好きな男の子にでも言ってあげなさい。まったく突拍子のない行動といい、少し落ち着きというものはないのですか」


 シーナへの照れ隠しなのか、シニカの言葉は少し遠回り。シーナは迷うことなく、隠れた真意に気づく。

 ──すなわち、「ありがとう」と。



 シニカの罪を知って数日が流れた。驚きはしたが現状、シーナの態度は一ミリも変化がない。それが意図しての行動ならば、シーナはそのうち大物になるだろうと期待してしまう。

 シニカは限られた陽光を浴びながら、目を瞑る。


「あ、シニカさん。ちょっといい?」

「ん、どうしましたか? シーナ」

「育てている種に変な子がいて……ええと、そう! あの子なんだけど」


 パチリと目を開けてシーナへ振り向くと、そこには畑の傍でしゃがみ込んだまま指を差す姿があった。指先を辿って視線を動かすと黄色ではなく、若干黒ずんだ芽が見える。


「いけない! それを周りの芽からすぐに遠ざけて!! 飛び散る前に早く!」


 表情が一変。シニカの的確な指示で、シーナはその芽だけを引き抜いた。


「そのまま上へ投げて!」


 言われた通りに思い切り、上へ投げる。シニカはその方角へ向けて手をかざした。


「【灰と化せburn up】!!」


 瞬間、爆発が起こる。

 シーナは大きな音に耳を押さえてしゃがみ込み、シニカは大きく息をしていた。


「な、何なんですか今のは!?」

「あれはカビの一種で、一度現れるとしぶといの。だから燃やした方が良い」


 そこまで言って、シーナが目を丸くしていることに気づく。


「どうしたの?」

「いや、ええと……今の話し方のほうがいいなぁ、って思って」


 ここでようやく口調に素の自分が出てしまったことを理解した。


「そ、そうですね。ごめんなさい」

「いや、口調をさっきのに戻してよ」


 シーナは「今のに戻して」と幾度もごねるが、素の口調には戻したくないシニカだった。

 二人の間で眼光がバチバチと鳴り響く。しかしながら、二人を制止する者は誰もいなかった。


 ──パープレア大樹海は今日も至って平和である。

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