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第33話 戦い


 人気ひとけがなく、放置された荒野。

 雑草すら生えない荒れ地から、急に鬱蒼とした森が広がる場所。


 ――魔の森。


 大陸の北部を占める巨大な原生林であり、多種多様な魔物が生息する場。

 日中でありながら先を見通せないほどに深い森。

 漂ってくるおどろおどろしい雰囲気。

 時折聞こえる奇声は魔物の泣き声だろうか?


 どこまで広がっているか、誰も知らない。森の奥地に入っていった者は誰も帰ってこないからだ。

 一説には、この森は大陸の果てまで続き、海にまで到達するとか。

 騎士の訓練でも、森から出てくる魔物を討伐するだけで、森の中へ分け入ったりはしない。おそらくはこの大陸で最も危険な場所だ。


「こんな……」


 不安げな声を上げたのは意外なことにシャルロットだった。『シナリオ』で魔の森に追放されることは知っていたはずで、「魔物に食い殺される自分、可哀想!」みたいなことも言っていたのにな。


 察するに前世の知識でしかなかった魔の森と、実際目の当たりにする魔の森はリアリティが段違いだったというところか。


 俺とラックは魔物討伐訓練で何度か魔の森にやって来たことがあるので落ち着いているが、シャルロットをはじめ、他のご令嬢は顔を青くしてしまっていた。


 こんな森よりドラゴン形態のシルシュの方が怖いんじゃないだろうかというのが正直な本音だが……。よくよく考えればあのときのシルシュは事前に人型の状態で交流をしていたし、何より『殺気』はなかったからな。


 そう、殺気。


 具体的な『敵』が目の前にいるわけではないとはいえ、森からは生々しい殺気が漏れ出ていた。


 自分より弱き者を狩ろうとする殺気。


 自分より強き者にあらがうための殺気。


 他のオスからメスを奪うための殺気。


 様々な殺気があらゆる生物から発せられ、もはや森自体が殺気を発していると錯覚してしまいそうだった。


 令嬢として生きてきたのならまず経験したことがないであろう濃密な殺気。

 エリザベス嬢はそれでも王妃になる予定だった者としての矜持があるのか気張っているが、メイスとミラはお互いに抱き合い恐怖に耐えているようだった。


 さて。ここで恐がり続けていても何も始まらない。


「シャルロット」


「うん!? な、なにかな!?」


 声を掛けただけで慌てふためく彼女は新鮮だった。……いや、新鮮って感じるほどの交流はなかったはずなんだけどな。それだけ今までの印象が強すぎたんだろう。


「なんかこう、準備とかしてないか?」


 俺の遠回しな問いかけを、察しのいいシャルロットは理解してくれたみたいだ。『シナリオ』という言葉は使わずに乗ってくれる。


「ぼ、ボクの空間収納ストレージの収納量は常人を遥かに上回るからね! こういうときに役立ちそうなアイテムはいくつか入れてあるよ! テントとか、非常食とか、魔物避けの魔導具とか!」


「魔物避けっていうと……騎士団が野宿の時に使っているような?」


「うん、そうだね。個人が携帯できるものと一定の空間から魔物を避けさせるものがあってだね――」


 人間と会話をすることによって落ち着きを取り戻したのか、あるいは落ち着きを取り戻すために会話をすることを選んだのか。次々に『準備した品々』について説明してくれるシャルロットだった。


「ほほぉ」


 シャルロットの説明を聞きながら素直に感心する俺。ここまでの準備をしていたのだから、シャルロットもいざというときは魔物の森で暮らす覚悟をしていたのかもしれないな。


「おっと、まず一番必要そうなのは魔物避けの魔導具だね」


 シャルロットが空間収納ストレージに手を突っ込み、その魔導具とやらを探していると、


 ――気配がした。


 殺気だ。


 反射的に俺は腰の剣を抜いた。


「ラック! ご令嬢たちを下がらせろ!」


「おうよ!」


 ラックには気配察知ができないが、俺のことを信頼してくれているのかすぐに反応してくれた。


 直後――耳をつんざくような咆吼が響き渡った。


「きゃあ!?」

「な、なに!?」

「魔物!?」

「ひっ」

「ご令嬢! アークがいれば大丈夫ですから! まずはここから離れましょう!」


 ラックなら上手く誘導するだろうと確信し、俺は咆吼の主と向かい合った。


 ――見上げるほどにデカいクマ。


 前世の記憶にあるホッキョクグマより、さらに二回りほども大きい。獲物の血をそのまま垂れ流したかのような、赤黒い毛皮。


 ランクAの魔物、ブラッディベア。


 その牙は岩すらも噛み砕き、その爪は騎士の甲冑すら易々と切り裂く。先ほどの村で見たように、石造りの建物すら破壊する力もある。


 そして何よりも厄介なのはその防御力。体毛は針金のように固い上に、柔軟性もあるので中々刃が通らないのだ。しかも体毛を何とかしても、その下には分厚い脂肪があるので致命傷を負わせるのが難しい。


「はっ、久々にデカい獲物じゃねぇか!」


 剣の柄を握る手が汗ばむ。


 普通にやっても手強い獲物だ。しかも今は守るべきご令嬢もいる。できることなら逃げたいが、ご令嬢の逃げ足よりもブラッディベアの方が遥かに早い。


 さて、どうしたものか。


 とりあえず、無駄だろうとは薄々察しているが、隣で突っ立ったままのシルシュに問いかける。


「あのクマを倒してくれ、ってお願いしたらどうする?」


『ふむ。戦う前から乙女に助けを求めるとは情けない男じゃなぁと呆れるかの?』


「乙女……?」


『あ゛?』


「いや、なんでもない。……ドラゴンであるシルシュがいるのに襲いかかってくるとは、どういう了見だ?」


『見た目だけで判断して真の実力は見抜けない程度の雑魚ということじゃろう』


「おいおい、ブラッディベアを雑魚扱いかよ。これだからドラゴン様は……」


 実際シルシュからすれば雑魚なのだろうが、人間にとっては強敵だ。気軽に敵対していい存在ではない。


「……せめて、シャルロットたちを守ってはくれねぇかな?」


『うむ。そのくらいは良かろう』


 すたすたとラックたちの方へ歩いて行くシルシュ。これで気兼ねなくブラッディベアと戦えるが、だからといって楽に勝てる相手じゃない。何かをミスって一撃をもらえばそれでお終いだ。


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