貴族令嬢であろう。と、クルスは確信する。
冒険者のような服を着て、未婚の貴族令嬢としてはあり得ないことに髪を結い上げているが、それはしょせん変装。シミや日焼けのない肌や、艶やかな髪、そして何より立ち振る舞いからして庶民ではない。
クルスが普通の貴族であったならば、顔を見ただけでどこの家の娘かすぐに分かったのだろう。
しかし、クルスは生まれが少々特殊であるのでそのような教育は受けてこなかったし……なにより、王女ソフィーに惚れ込んでいたので他の女性にさほど興味が湧かなかったのだ。
名前をすぐに思い出せという方が酷なのだ、とクルスは自分に言い訳をする。
これでメイド(女同士)であったならば貴族令嬢とのお茶会にも帯同し、顔を覚える機会も多かっただろうが……。
そんなクルスの言い訳が聞こえたかのように。ご令嬢はからかうような笑みを浮かべた。
「おや? もしや覚えていないのかな?」
「……大変申し訳ありません。失礼を承知で伺いますが――」
「おっと、それはなしだよクルスさん。一緒に
「はぁ、」
そういうものだろうか、と男女の関係に疎いクルスは納得する。たしかにダンスを踊る前には名乗るものだし、改めて問い直すのは失礼かもしれないなと。
しかし、一緒にダンスを踊った?
執事であるクルスはパーティーの時も王女の後ろに侍っているのでダンスを踊ったことなどないはずだが……。
(……あぁ、そういえば)
いつだったか。王女殿下の気まぐれでダンスホールに投げ込まれたことがあったなとクルスは思い出す。
端から見ればそれは『イケメン&王女付きの執事であるクルスと仲良くなるチャンス!』であり、多くの貴族令嬢が押し寄せたのだが……良くも悪くも自覚のないクルスは揉みくちゃにされたあと、数人の女性と踊ったことしか覚えていない。
(しかし、そうか。あのとき踊ったご令嬢の中の一人か)
それならば顔に見覚えもあるはずだとクルスは納得する。
……これほどの美少女と一緒に踊ったというのに、顔もおぼろげにしか覚えておらず、名前は忘れてしまっているところがクルスの駄目なところであった。本当に王女しか見ていなかったのだろう。
「まぁいいか。しかし――」
ご令嬢が何かを言おうとしたとき、商会長のガルがこちらに駆け寄ってきた。彼はクルスが借りる変装用の魔導具を持ちにいっていたのだ。
「おい! さっさと馬車に乗れ!」
クルスとご令嬢に魔導具の指輪を投げ渡しながら、なんとガル自らが馬車を操ろうとする。
「ちょ、ちょっと!? どうしたんですか!?」
「面倒くさいことになりそうだ! さっさと王都を出るぞ!」
クルスたちに構うことなくガルが馬車を走らせ始めたので、クルスたちは慌てて馬車に飛び乗った。
一瞬、先に飛び乗ってご令嬢を車上に引き上げるべきかと思ったクルスだったが、そんな思考をしている間にご令嬢は馬車に飛び乗っていた。冒険者風の衣装を着ているだけあって運動神経はいいらしい。
こうして馬車が十分に加速し始めたところで、
「――商会長!」
ガルタス商会の副商会長が悲愴な顔をしながら建物から飛び出してきて、馬車を追ってきた。
普通にゆっくりと進む馬車なら追いつけたかもしれない。が、ガルは容赦なく馬に鞭を振るっていたので、人の足では追いつくことは不可能だった。
「商会長! 王太子殿下から面会の希望ですってば!」
「俺は運悪く王都を離れていた! そういうことにしておけ! 代わりにお前が王城に行ってこい!」
「そんなぁ!?」
副商会長の悲痛な叫びを後ろに受けながら、馬車は王都の出入り口となる城門を目指したのだった。