工房の人たちが帰った後、フレスだけが残って応接室に通された。
かろうじて残っていた質素なテーブルとソファにシモベ様とフレスが向かい合わせでかけている。
セバスさんがお茶とお茶請けを二人の前に置き、テーブルにわたし専用のお皿も置いた。
あ、チーズだ!
シモベ様の手からテーブルへとさっと素早く華麗に飛び乗った。
「あ……この子、なんか動き遅い……」
失礼な! 素早くしなやかに華麗だったよ!
「そうなんだ。なんというか、もそもそしていてな。もう少し大きくなるまで目が離せないと思っている」
シモベ様、そんなことを思っていたの!
大変失礼です! 遺憾です!
抗議のひとつもしたかったけど、チーズを前にわたしはあまりに無力。美味。
「家令と二人だけでは、見ているのにも限界があるからな。フレスが来てくれると本当に助かる」
「はい……ちゃんとできるかわからないけど、がんばる——ます」
精一杯、敬語を使おうとしているのがけなげだ。
フレスはいい子だな。
「後でセバスがいっしょにおまえの家に行く。ご家族に挨拶がてら仕事の説明と契約——約束を決めような」
「あ、ありがとう、ございます……」
「ここからは家族にも内緒の話になる」
「内緒の話……?」
シモベ様は少し声をひそめた。
「フレスにはネコのお世話係をしてもらうと言ったが、ゆくゆくは私の従者にと思っている」
「え……?」
「まぁいろいろと実験を兼ねた仕事を手伝ってもらいたいと思ってな。それがどうしてもいやだったら、屋敷には仕事がたくさんあるから他の仕事をしてもいい」
「実験……おもしろそう……。難しいことはわかんないけど、やってみたい、です。あの、それがどうして内緒……?」
うん。内緒にするようなことじゃない気がする。
領主様のお仕事のお手伝いをする従者。いい職だと思うんだけど。
でもシモベ様は困ったように眉を下げた。
「そうだよな、本当は内緒にするようなことじゃないんだ。ただ、貴族の従者の賃金はだいたいの場合で高い。だから、あいつばかり高賃金で働けてずるいと言う者がいるんだよ」
仕事内容や能力のことなど考えずに妬むだけの者がなと、シモベ様は続けた。
ああ、わかる。知ってる。そういう者たちに搾取され続けた前世だった。妬み恨みを糧に生きている者っているんだよ。
執事の下の
フレスははっと表情を引き締めた。
その姿を見て、少しだけ胸が痛む。
貴族のお屋敷で働くとなれば、大人の世界や政治のいろいろを垣間見ることがあるだろう。いつまでも子どものままではいられないんだ。
「ひとまずは、ネコのお世話係で通すからな。見習い職人の賃金と同じだと言っておいたし、妬まれることはないだろう。ネコのお世話は大変だって友達には言っておけよ?」
にやにやとするシモベ様に、フレスもやっと肩の力を抜いた。そして子どもらしい笑顔を見せ、セバスさんと連れ立って出ていった。
シモベ様はちょっと過保護なような気もする。でも、なんかそういうのも悪くないなぁと思った。
◇
大工や木工細工職人たちが来たついでに、扉の修理もしてもらったらしい。
シモベ様の執務が終わり部屋に帰るころには、わたしが吹っ飛ばした扉は元通りに入り口にはまっていた。
扉自体は割れたりしていなくて、よかったよ。
ほっとするわたしを抱えたシモベ様は、ぽつりと言った。
「——あの子はいい魔法師になりそうだな」
やっぱりシモベ様もそう思っていたのか。
ある程度以上の力がある魔法師ならば、見る部分は同じなのだろう。
フレスは空間を捉える力も優れていたし、魔力も結構ありそうな気配がしていた。
あとは体を大きくしたら、貯めておける量も増えて安心だし、魔力操作もやりやすくなると思う。
よその家よりはここのお屋敷で出る食事の方がきっと豪華だからね。すくすく大きくなるといいよ。シモベ魔法伯がちゃんと魔法師として育成するつもりのようだし。
「腕の良い魔法師になって自分の足で立つようになれば、やっかみも気にならなくなるだろう。言われても対処できるだろうしな——ほら、扉が直ってよかったな。いいか、ネコ。危ないことはしちゃだめだからな」
「ニャ」
善良な普通の猫が扉を吹っ飛ばすなんてするわけないので、シモベ様もわたしが何かしたとは思っていないと思うんだけど。
床に下ろされたので、久々の散歩を楽しむべく歩き始めた——のに、すぐに抱え上げられた。
「危なっかしいなぁ。どうもネコは不器用だな? もたもたよろよろ歩いているじゃないか。やはり抱き上げていないと危ない。転んでけがをするかもしれないし、変なものを食べるかもしれないし、こんなにかわいかったらよからぬ輩に連れていかれるかもしれない。あ〜危ない、危ない。私が抱っこしている時以外は全部危ないぞ、ネコ〜。あ〜ふわふわだな。かわいいなぁ〜〜〜〜」
「ムギャァー!」
よからぬ輩がとか言うけど、絶対に間違いなく一番のよからぬ輩はシモベ様だよね!