魔性の猫と呼ばわるフレスのわたしを見る目が変わった気がするけれども(悪い意味で)、わりと上手くいっている。(と思う)
執務室の調度品が新しくなるまでの間、作業場所のような部屋が執務室となっている。
そこでシモベ様が執務をする間に、フレスは本を見ながら文字の勉強をしていた。
用意されたのは創世神話の本。スーベル神が時を糸に変えて歴史布を織りなす様子が書かれているやつ。
聖女の修行の時も読んだ。
っていうか、結界魔法が得意な魔法師を聖女・聖者って呼ぶだけなんだから、修行で神話を読む意味ってあるかなぁ。
「——さて、本の勉強はここまでだ。この後は魔法の練習をちょっとやってみよう」
シモベ様の言葉に、フレスはびっくりした顔をした。
「魔法、ですか? オレ、魔法は使えないです」」
「生き物はみな魔力を持っている。だから練習次第で魔法は使えるようになるぞ」
「でも、魔法師は少ないって聞いたし、オレができるわけないです……」
「今現在、この国では魔導具がその役割をしている部分も多いんだ。だから、魔法をなんとしても覚えなければということがない。結果、魔法師が少ないという状況になっているんだよ。魔力を持っていれば魔法は使える。魔法師になれるほどの者ももっといるはずなんだ」
ああ、この国の普通の人って魔法を使わないのか。
キンザーヌ大帝国は平民でも多少は魔法が使えた。
魔導具の起動に魔力を込めることもあるから、魔力は身近な存在だった。
なので生活魔法と言われる簡単な魔法は、わりとみな使っていたのだ。
「フレスは魔法を使いたくはないか?」
「——! いや! 使えるなら使ってみたいです!」
「それならともかく、やってみればいいじゃないか。元々使えないと思っているなら、使えたら運がいいってことだろう? 魔法に興味があるなら、多分使えるようになるぞ」
フレスは半信半疑といった風。
シモベ様は床に置いてあった箱から、わたしよりも大きい
紫炎水晶は普通の紫水晶とは違い、魔宝石の一種になる。まだらに入った紫色が魔力で揺らぎ炎に見えるところからそう呼ばれている。
気を落ち着け、魔力に敏感になる作用があり、精神統一する時の補助や魔力操作の初歩で使われる。
「魔力を感じて動かすところからやっていくからな」
魔力はヘソの奥あたりを中心に溜まると言われている。
実際に体内の魔力を探っていくと、たしかに体の真ん中あたりに多くあるのがわかるから、そのあたりで湧いているのかもしれない。
まずやるのは呼吸法になる。
それから呼吸といっしょに魔力を動かしていくのだ。
魔法院にいた時にやったことを思い出す。
魔力操作を上達させるなら、これは必須。
シモベ様に言われるがまま、息を吸いゆっくり吐いてを繰り返すフレスといっしょに、わたしも呼吸法をやった。
懐かしいなぁ。
魔力を体に感じる。体の大きさに対して魔力が大きくて動かすのがむずかしい。
ゆっくり動かしたいのに、力を入れるとたくさん動いちゃう。少しずつ動かすのがむずかしいんだよなぁ。
焦りそうになるけど、シモベ様の「吸って、吐いて……」という落ち着いた声を聞くと、ゆっくり魔力を動かせそうな気がした。
そのうち何も考えなくなって、ただ魔力だけがゆらりゆらりとわたしの中で揺れていた。
うん、少しだけ思うように動かせた気がする。
初心に帰るのは大事だな。
薄く閉じていた目を開けると、シモベ様がわたしを見ていた。
いつもの締まらない顔ではなく、じっと真剣な目だった。
……え。なんか、探られてるの……?
もしかして普通の猫じゃないと怪しまれている……?
人の姿だったらへらりと笑ってごまかしていたところだ。
どうしようか、また鳴いてごまかす?
「じっとしているネコもかわいいなぁ〜〜〜〜」
シモベ様はすぐに締まらない顔に戻っていた。
ちょっとあせったよ。
内心でほっとしていると、遠くから争うような声が聞こえた気がした。
「——困ります! いくらだんな様のお客様といえども、そんな勝手をされては!」
いや、気がするだけじゃない。聞こえている。
あれはセバスさんの声だ。
そんな厳しい声を上げているのは初めてかも。
もうひとつ聞こえてくる声も負けじと張り上げられている。
「部下が上官の元へ行くのに、なぜ許可が必要だと言うんだ! 僕はあの方の副官だ! 止められる筋合いはない!」
聞いたことがない男の声。
それが段々と近づいてくる。
「もうだんな様は軍人ではないのですよ! ベイルラルの領主であって、あなたの上官ではありません! 侵入者として捕えられてもおかしくないことをしているのをおわかりですか?!」
「では弟子だ! 僕は弟子だから会う資格があるっ!!」
大きくなってきた声にフレスが怯えた顔をし、シモベ様が苦々しい顔をした。
「だんな様、何か近づいてくる! です!」
「——まったくあいつは……!」
バァン!
勢いよく開いた扉に、わたしたちは目をやった。
そりゃ見るよ!
すごい音が響いたもの!
思わずちょっとびくっとして飛び上がって、シモベ様に抱え上げられた。
入り口に立っていたのは、珍しく眉をつり上げたセバスさんと、超絶美形の男の人だった。
うわ……歌劇団の王子様みたい……!
薄い青を凍らせたような髪に、硬質な眼差し。冷たい感じがする美形だった。
作り物のように整った顔で、シモベ様より線が細い。
その人は部屋の中を見まわし、シモベ様を見つけると満足そうに目を細めた。
シモベ様ははぁぁぁと深いため息の後に、頭をがりがりとかいた。
「——弟子はとらないと言っているだろうが」
「レイルース隊長————いえ、ベイルラル辺境伯レイルース・テレーブラン様、お久しぶりです。エドモンド・モルドー、ただいま到着いたしました」
美形の青年はそう言って、すっと流れるように敬礼をした。
え? ベイルラル辺境伯、レイルース・テレーブラン————……?
え、ええ? えええええっ?!
辺境伯?! シモベ様って辺境伯なの?!
じゃなくて!! シモベ様って、シモベって名前じゃなかったんですか?!