驚愕の事実というやつである。
シモベ様はシモベ様じゃなかった。レイルース様とやらだった。
なにそれ。シモベってどこから出てきたの。
ベイルラル辺境伯レイルース・テレーブラン。ベイルラル卿。
レイルース様か……。愛称はもしかしたらレイ様だったかもしれない。
懐かしさを感じるその名前の響きに、少し胸が痛む。
そしてテレーブラン魔法伯でもあるんだよね。
前にシモベ様が自分で魔法伯だと言ってたもの。
多分、魔法伯というのは宮廷伯的な感じの爵位で、辺境伯は領地に付随した爵位ということなのだろう。そのどちらの爵位も持っていると。
シモベ様であったレイルース様は、わたしを抱っこしたまま苦々しい声を発している。
「私はもうお前の上官じゃないぞ」
入り口にいたセバスさんも苦々しい顔で頭を下げている。
「だんな様。取次もできず、大変申し訳ございません」
「いや、セバス。勝手に入りこんできたエドモンドが悪いだろう。とりあえず、茶の用意をしてもらえるか?」
「承知いたしました」
セバスさんは出て行き、エドモンドと呼ばれている青年が入ってきた。
「隊長の声が聞こえたので開けてみましたが、合ってましたね。やっとお会いすることができました」
「いや、来なくていいんだぞ。どうしてもというのなら領に駐在の兵として雇ってもいいが、中央にいた方が出世もしやすいだろうよ」
「出世したいわけではありませんし、兵士としてやっていきたいわけでもないですよ。隊長の魔法を学びたいだけですから」
「私は弟子をとらない」
「その少年は?」
「その子は猫のお世話係だ」
「猫はあなたが抱いているじゃないですか」
「うっ」
「少年の前には魔法を使うための練習用具、紫炎水晶がある。その子に魔法の手ほどきをするつもりでしたよね? 隊長?」
エドモンドの鋭い追求に、フレスが慌てる。
「あ、あの、オレは、その、すみません!」
「わかった、エドモンド。正直に言おう。その子は従者見習いだ。ゆくゆくは私の従者にしようと思っている」
「では僕も従者にしてください」
「従者に教えるのは生活魔法までだぞ」
え? 魔法師に生活魔法を教える意味って。
「いた仕方ありませんね」
ええ? 仕方ないでいいんだ?
「しかもセバスについてみっちりと執事の勉強もしてもらう。それまでは見習いだ」
「受けて立ちましょう」
冷たい表情のまま片頬を上げたエドモンドさんには、恐ろしい迫力があった。
そこまでしてシモベ様の従者になりたいのか……。
フレスはそれを聞いて青くなっている。
「えっ、えっ……セバスさん? みっちり執事……?」
それ、箱にみっちり執事が詰まっているみたいだよ。
二人それぞれの反応に、セバスさんが心配になってくる。
家令の仕事もあるのに胃痛とか大丈夫かな……。
「そして私の従者になるというのなら、もっと重要で一番大事なことがある」
さらに続けるシモベ様。
眉間にしわを寄せて挑むような姿勢を見せるエドモンドさんと、まだ何か恐ろしいことが?! と言わんばかりに目を見開いているフレス。
シモベ様——もとい、レイルース様はおおいに真剣な声で言った。
「私の従者に最も必要な資質は、ネコを大事にすることだ! ネコをかわいがり、何につけてもネコを優先し、ネコを一番に考え、
わたしに聞かれても困ります。
そうか、シモベというのは下僕って意味だったのか……。
わたし、下僕に様をつけていた模様。
すっかり慣れているフレスはあきれたように半眼になり、エドモンドさんは冷ややかな美貌に不信感をのせてわたしを見た。
まぁ、それはそうですよねぇ……。
◇
お茶が運ばれてきて、フレスはセバスさんといっしょに出ていった。この後は大人の話し合いになるらしい。
わたしはいてもいいのかなと思ったけど、レイルース様が手放さないので同席している。
それに、お茶といっしょに出されたのは、わたし用のミルクと甘イモ!
おやつだ!
さっとテーブルに飛び乗って甘イモにかぶりついた。
「レイルース様、ずいぶんもたもたと鈍い猫ですね」
失礼な! さっと素早く乗ったもの!
「なんてことを言うんだ、エドモンド。うちのネコはおっとりしているんだ」
おっとり。
うん、まぁそれならいいか……?
「で、家に帰る気はないんだな?」
「はい。僕はあなたについていくことを決めたのです。初めてあなたとお会いした5年前のあの時に」
「……家はどうするんだ。侯爵家の嫡男が」
「弟がおりますよ」
侯爵家の嫡男! それ、本当にこんなところにいる場合じゃなくない?
そんなすごい貴族の方なら、エドモンドさんじゃなくエドモンド様の方がいいか。
や、でも従者希望らしいから、さん付けでいいや。
「婚約者もいるのではなかったか?」
「とっくに愛想を尽かされてましてね。白紙撤回されてますよ。婚約していたという事実ごと消されました」
……う。
おやつは美味しいけど、楽しく食べられる雰囲気じゃないんですけど……。
おとなしく遠慮がちに口を動かす。
「まぁ、では仕方ない。従者として雇おう」
「弟子ではないのですね」
「弟子はとらない」
「——まぁいいです。あなたについていけて魔法を近くで見られるのなら」
「ここは人手不足が深刻だからな。こき使うぞ。今のところ兵士たちだけで間に合っているが、いずれ討伐にも出ることもあるだろう」
「望むところですよ」
元部下らしいけど、なかなか態度が大きいなぁ。
侯爵家の嫡男と言っていたし、次期侯爵として育ったならそういうものかもしれないけど。
きつい表情とは合っている。薄青の王子とか氷の貴公子とかって、令嬢たちに騒がれているにちがいないよ。
「ところでレイルース様、この地の魔物の方はどうなんです? 減ってきていますか」
「ああ、一年前の大討伐終了以降は目に見えて減ったな」
「大変な思いをした甲斐がありましたね」
「そうだな。長いようであっという間だったな」
二人がしみじみと語っているけど、それは聞き捨てならない話!
えっ、そうなの? 魔物数が減った?!
あんなにたくさんいたのに!
わたしが大聖女をしていた時、魔物門が開く回数はとても多かった。
昔の人からすると尋常じゃない数なのだとか。
しかも大陸の全土で魔物が沸いていたのだ。
陸続きだもの。ひとつの国に起こる災害はとなりの国の脅威となる。ひとつひとつの国が魔物を減らさないと、全土が滅亡しかねない。
そんな状況だというのに、ヴェルニア王国では大討伐をして魔物の数を減らしたというのだ。
すごいよ! その大討伐、どんな風に進めたんだろう。
国がとなり同士なのだから、ヴェルニアで減ったのであれば、キンザーヌでも減っているはずだ。
よかった……。よかったよ…………!
ヴェルニア王国に生まれ落ちたとはいえ、心配していた。
わたしが死んでしまって、大変なことになっていなくてよかった。
魔物が減ったのなら、安心して猫暮らしをしていられるよ。
頭の中で黒の面布をしたすらりとした姿が横切る。
——大聖女がいなくても、どうにかなったのですね……。
心安らかに暮らしていてくださるといいな。
今となっては祈ることしかできないけれども、心から願っています——。
おやつを食べ終えて丸まっていたわたしを、大きな手が優しく撫でた。