それから時々、エドモンドさんとケイティが話をしているところを見ることがあった。
領主の従者と屋敷のメイド。
エドモンドさんは相変わらず冷え冷えとした表情で、氷の貴公子然としている。
対するケイティは赤毛で目鼻立ちははっきりした美人さん。勝気そうなのが顔にも現れている子だ。
それがエドモンドさんの整った容姿を前にはにかむような様子を見せたりしているわけよ。
若い子の恋! 甘酸っぱいっ!
それにエドモンドさんも冷たい顔をしているけれども、呼び止められれば毎回ちゃんと足を止めて答えているのだ。顔に出ないだけで満更でもない?
身近な人の恋模様は見ていて楽しいなぁ!
それをうわーっとちょっとドキドキしながら見るたびに、フレスからは半眼を向けられているんだけどね……。
気遣いは人がすればいい。猫はしない。
前世でこういう可愛らしい恋愛って、わたしにもわたしの周りにもなかったんだもの。
敬愛と友情と戦いしかなかった。……恋もあったのかもしれないけど、認めるわけにはいかなかったから、なかったのだ。
だから気になっちゃうのは仕方がないと思うのよ。
そんなわたしの気持ちを知ってるわけはないんだけど、レイルース様はわたしのしたいようにさせてくれる。
さりげなく肩越しに見えるように乗っけてくれたりする。
「まったく、ネコはかわいいなぁ。後で木工細工師に作ってもらったおもちゃで遊んでやろうな。いや、遊んでいただこう……いや、遊ばせていただきたい!」
レイルース様の猫優先の生活は相変わらずだ。
◇
本日、とうとうセバスさんが、仮執務室に置かれたレイルース様の机の前に立ちはだかった。
「だんな様、決済が必要な書類がまだまだ残っておりますが、一体何をなさっていたのですか」
「うっ。い、いや、いろいろ、その……。あっ、従者たちに教えることもあるし……?」
「その手に持っているものはなんでございましょうか」
「ネコのおもちゃ……じゅ従者に遊ばせ方を教えていたところでな?!」
「左様でございますか。では本日からは従者の部屋とだんな様の執務室は分けさせていただきます。だんな様だけわたくしの執務室で仕事をしていただきましょう」
「セ、セバスの執務室……あのみっちりと領の資料と報告書が詰まった狭い部屋……」
「さぁ行きますよ」
「い、いやだ、ここでする。ここでちゃんとやるぞ!」
「今までやっていなかったのに、これからやれるわけがございません。今月の分が終わるまでは、わたくしの執務室で仕事をしていただきます」
さすが、できる家令は違う。
仕事が遅れがちな
情けない顔をする領主に、笑顔を崩さないまま一歩も引かないよ。
「ネコ、ネコもいっしょなら行く!」
「ネコ様と遊んでいて仕事をしていないのに、ネコ様をお連れするわけないではないですか。さぁ行きましょう」
「いやだぁ! ネコぉぉぉ!」
「フレスはネコ様の相手を。エドモンドはだんな様をお連れするように」
セバスさんは書類の山を抱えて部屋を出ていった。その後ろからレイルース様を羽交い締めにしたエドモンドさんが続く。
「隊長、行きますよ」
「ネコぉぉぉぉぉお!!!!」
この世の終わりのような声を辺りに響かせながらレイルース様は連れ去られた。
ぽかんとした顔で見送ったフレスは、呆れたようにため息をついた。
「たしかにネコはかわいいけどよ、だんな様っておまえのこと好き過ぎない?」
「ニャゥ……」
愛が重いんだよねぇ。
「おまえも苦労してるんだな」
静かになった部屋で、フレスはレイルース様からもらった本を開いた。
大人たちがいなくなってもちゃんと勉強する子ども。偉過ぎる。そのご主人様に見習わせたい。
エドモンドさんはすぐに戻ってきた。
「さあ、従者の先輩であるフレスさん。いろいろ教えていただけますか?」
「オ、オレはまだ従者じゃない、です。そのうちって言われいるだけで、ネコのお世話係、です」
「それなら同僚だな。仕事仲間なら言葉は普通でいいよな」
「オレはちゃんとした言葉を覚えたいから、いいです」
「そう。今は字を習っているの?」
「はい。だんな様に本を借りて、ます」
「隊長——レイルース様が戻ってくるまで、僕が教えるよ」
「え、いいんですか?」
「他にすることもないしね。勉強の他にあと何か仕事ある?」
「あとはネコのお世話です」
フレスがそう言うと、エドモンドさんがギッとわたしを睨んだ。
「おまえのせいで隊長の様子がおかしい」
「ニャッ!」
「ネコはかわいいから仕方ないです」
わたしのせいじゃないです! 勝手におかしいんです!
フレスが味方(?)してくれるけど、エドモンドさんは
「僕はだまされないからな」
こんな小さくていたいけな生き物に、なぜそんな疑いの目を。
「おまえ名前は?」
「ニャー」
「ネコの名前はネコ、です」
「そんなおかしな名前誰がつけた?!」
「だんな様が……。なんかネコがネコだって言ったって」
「本当に隊長はおかしくなってしまったんだな。嘆かわ……お
エドモンドさんに首根っこをつかまれて膝に載せられた。
「ここでおとなしくしてろ。フレスは今読んでいる本を開いて」
エドモンドさんの足、細くて硬いなぁ。レイルース様の筋肉があってしっかりした足とは違う。
座るのにいい場所を探して、ちょっとうろうろしてから座って丸まった。
「——これは子どもに文字を教えるのに合ってないな」
「そうなのですか?」
「スーベル神がただ布を織るだけの話なんて読んでおもしろい?」
「文字を覚えるのにおもしろいことなんてないです」
「それもそうか。まぁ今日はこれでいい。指でたどりながら、声を出して読んでみて」
フレスがよく知る話を紡ぎ始める。
時々エドモンドさんが言葉を教える声を聞きながら、わたしの目はだんだんと重くなっていった。