「気に入らない」
氷の貴公子エドモンドさんは本日もご立腹の模様。
わたしは今朝もシモベなレイルース様に
そしてレイルース様がセバスさんに連れ去られていく後ろ姿を見送り、エドモンドさんに首根っこをつままれて移動している。
「おまえがいると、レイルース様が本当におかしい」
ぷらんとぶらさげられながら、ギッとすぐ目の前で睨まれる。
「あの方は本当にすごい方だというのに。悪い女に騙されている時のようなあんな姿を見せてよい方ではない」
「やっぱり、ましょうの猫……」
「フレス、おまえは文字が苦手でも言葉をよく知っているね。まさにその通りだよ。この魔性の猫め」
ううう……。シモベになりたがるレイルース様が勝手におかしいのに!
わたしが何をしたというのか!
抗議したいのにつままれていて、声が出せない。
仮執務室の机に下ろされたので、後ろに飛びずさりながら威嚇した。
「ニャッ! ニャッ!(断固抗議します!)」
「もたもたと威嚇したって怖くないよ」
「ネコ、それかわいいだけだぞ」
失礼な! 素早いし鋭いし、大変怒ってますからね!
二人は生温い目でわたしを見てから、机に向かった。
「フレス、今日はこれを読んでみて」
手から手へ渡された本は、小さい薬草図鑑だった。
へぇ、将来的に薬師に育てるのかな?
わたしはちょっと不思議に思ったけれども、フレスの目はぱっと輝いた。
「この本、絵がいっぱいあるぞ! ——です!」
「これは薬草を採る者や薬を扱う者が使う本だよ。実際に採取するその場で使えるように、本物に似た絵を付けて、小さい本になっているんだ」
「——あっ、この葉は見たことがあるです。親に採りに行かされていたフヌイユに似ているです」
「絵の下に字が書いてあるね?」
「フ……ヌ、イユって書いてある、ます。ええと……とくちょう、葉の先がとがっている、葉の後ろが白い……そうだったかも。これ覚えやすいです!」
「そう。絵があるとわかりやすいし覚えやすいんだよ」
「あっ、こっちのも見たことがあるぞ! 肉といっしょに焼くやつだ」
そこからは、フレスは夢中で図鑑を読み始めた。
わたしも横から覗いていっしょに見た。
これはたしかにおもしろい!
絵が実物みたいに詳細に描かれている。
本に絵があるものはキンザーヌ大帝国にもあった。
でもこんな本物っぽい絵がついているのはなかったよ。
あ、リンガ! リンガがある! 食べたい! すりおろして魚醤といっしょにお肉にまぶして焼いてほしい。お湯にレモンとはちみつと入れるのも、温まっていいよね。え、こっちではジャジャブルっていうのか。おもしろい言葉!
わたしはやっぱり、そういうちょっと専門的というか一般的じゃない単語を、ヴェルニア語で知らないんだよね。こういう本で覚えられるのはいいな。
集中して読んでいたので、レイルース様が様子を見にきていたのにも気づかなかった。
「エドモンド、いい本を持ってきてくれたな」
「貴族の家で最初に文字を教える時に使う手なんですよ。その子によって何か合うか違うので、いろいろと用意するんです」
「フレスには図鑑がいいようだな」
「これは大人用の薬草図鑑ですが、子ども用のも出版されていますよ。種類もありますし。他に物語もありますね。文字が大きくて読みやすいんですよ。安価ではありませんが」
「ほう、いいものがあるんだな。いくつか取り寄せてみようか」
「では従者の仕事として、僕の方から注文しておきますよ」
「ネコも夢中で読んでいるなぁ、かわいいなぁ」
「……まさか、それで買うと言っているのではないでしょうね……?」
「しっぽがゆらゆらしているぞ。夢中なのか。そういえば最初に本を見た時も興味深そうだったな。本に夢中とか、かわいいなぁ。私が読んであげたかった。いや、これからでもいいな。ネコは何が好きなんだろうな。やはり魚図鑑か。エドモンド、魚図鑑の分厚いものも頼む。魔導書とかはどうだろう」
えっ、魔導書!?
素敵な単語が耳に入り図鑑から顔を上げると、喜色満面のレイルース様と目が合った。
そのとなりには冷え冷えとした目のエドモンドさんが。
なんという落差。
仮執務室はしばらくの間、寒暖差が激しそうです……。
◇
午後、ノックの後に「フレス、いるか?」と顔を出したのは、木工細工工房の少年だった。ピエールって呼ばれていたっけ。
扉を開けたら部屋の中に超美形のエドモンドさんがいて、びっくりしたのだろう。
ぴょこっと飛び上がった。
「あっ、す、すいません! フレスに棚のことで聞きたいって親方が!」
元同僚の言葉に、フレスは窺うようにエドモンドさんの方を見た。
「今やっている内装のこと? それなら仕事の一環だし、行ってきたら?」
「じゃ、ちょっと行ってくるです」
「ゆっくりしてくるといいよ」
「はい!」
席を立ったフレスの後ろ姿がうれしそうだ。
やっぱり気心の知れた元職場の人と会うとうれしいよね。
たたっと小走りで部屋を出て行った。
エドモンドさんはそれを無表情で見送り、冷ややかな視線をわたしに向けた。
ぎくりとわたしもエドモンドさんを見返した。
——あれ? もしかして二人っきり、いや一人と一匹っきりになってしまいました……?