「こんな猫のどこがいいのか」
そんなのわたしだって知らないですよ!
鋭い視線になんとなく距離をとろうとすると、体を両手で押さえつけられた。
「おまえにはわからないだろうが、レイルース様はすごい方なんだぞ。魔物をものともせず、単独で魔物門まで行き、そして出てきた魔物を片端から倒していくなんて、他の者にはできない」
——その姿はもうヴェルニアの守護神のようだった——。
そうエドモンドさんは語った。
ほどんど変わらない表情の中で、唯一ギラギラとしていた目が、うっとりと細められる。
「あの日、僕がいた隊は魔物の群れに囲まれて孤立していた。魔物の群れを相手にいている時、魔物門がもうひとつ開いたんだ。もはやここまでかと諦めかけたところに、魔物の群れをかきわけて来たのがレイルース様だったよ。それから魔法で辺りを薙ぎ払い、剣で核を破壊していき魔物を殲滅した」
「ニャ……?」
エドモンドさんが語るレイルース様の活躍は、想像がつかないようなことだった。
魔物をものともしない……?
魔物は触れただけで、その部分が腐るように黒くなり、そのうち使い物にならなくなる。
そんな魔物の群れの中に単独で突っ込み、魔物門の前で殲滅するなんて——。
離れたところから魔法師が魔物の足止めをするとか?
もしかしたら、こっちの魔物はキンザーヌの魔物とは少し違うとか?
まったく想像がつかない。
「魔法が違うんだ。レイルース様の魔法は僕たちのものとはまったく違う。鋭い刃のようで黄金の蜘蛛の巣のようで、強く美しい」
エドモンドさんの焦点はわたしに合ってない。
完全に意識が記憶の彼方のレイルース様にいっちゃってるよ。
「——だからおまえを相手に、あんな情けない姿になっているのが解せない。こんな子猫相手に……」
エドモンドさんは机の上のわたしを押さえつけたまま、顔を覗き込んでいる。
目の前の顔には怒りも恨みもなく、ただ無があった。余計、怖い。
待って。早まらないで。
気持ちはわからなくないよ。
レイルース様、黙っていれば落ち着いた雰囲気の男前だし、お屋敷の内装にたくさんの職人を使ったり、お金の使い方も領民思いで器も大きい。
それなのに、あんなシモベっぷりを見せつけられたら、失望するより何かの間違いじゃないかと思うよね。
でも、あれが真実だから。
目を逸らすの、よくない!
わたしは何もしていないんだよ。勝手にシモベなんだからね!
お互い目を合わせ、緊迫した状態のまま数瞬が過ぎた。
コンコンコンと小気味の良いノックの音が響いた。
「エドモンドさん、いますか? ケイティです。ちょっと聞きたいことが——」
エドモンドさんの手がはっと離れた。
わたしはその隙に素早く逃げ、机の下の裏へ隠れる。
ケイティ!! 助かった!
目の前から足音が遠ざかっていく。
息をつめたまま、そこに身を潜めていた。
そしてじっとしているうちに寝てしまったらしい。
気付くと箱の中にいた。
……ん? あれ? わたしどこで寝ていたんだっけ……?
仮執務室にいて、エドモンドさんから逃げて、箱が置いてあるところに入って……。
箱の上にかかっている布を押し上げて、外に出た。
周りにも箱があったはずなのに、見当たらない。
え、ここどこ?
わたし、あの後、どこかへ歩いたんだっけ?
見回すと頑丈そうな棚があり、布が畳んで詰まっている。
あ、あそこはなかなか潜むのによさそう。布の中に潜り込みたい。ってだめだ。お屋敷のみなさんが洗って管理している布を汚してはだめだよ。
どうやらここはリネン庫のようだ。
出入り口の扉が少し開いていたので、そこから外に出た。
わたしがいたのは、仮執務室のすぐとなりの部屋だった。
机の下に隠れた後、移動したのだった……かも。
覚えてないけどとなりの部屋だし、眠くて寝ぼけながら動いたかもしれない。
仮執務室の扉は開け放たれていて、中には誰もいなかった。
ちょっとほっとする。
日はまだ高いし、長時間寝てしまったわけではないようだ。
誰もいなかったので魔法を使って机の上にのる。
開かれたままの植物図鑑を眺めているうちに、フレスが戻ってきた。
「あ、あれ?! ネコ一人……じゃなくて一匹だったのか? エドモンドさんは?」
「ニャー」
わたしが戻ってきた時にはいなかったよ。
さっきはちょっと恐ろしい雰囲気を漂わせていたけど、美人メイドと話をして癒されたかもしれない。
もしかしてケイティとデート中? 相引きとかいうやつ?
氷の貴公子様も、まじめそうな顔して案外やるね!
そこに音を立てて扉が開いた。
フレスといっしょに振り返ると、エドモンドさんが入ってきたところだった。
思わずどきりとする。
向こうもわたしを見て微かに目を見開いたような気がした。
今、驚いてた……?
元々あまり表情が変わる人ではない。
変わったような変わらなかったような、微妙なところ。
今はもういつもの冷え冷えとした雰囲気を漂わせている。
気のせいかな。
そろそろ日が暮れる。
レイルース様も仕事を終わらせてこちらへ来るころだろう。
わたしはエドモンドさんと距離をとりながら、レイルース様が来るのを待った。