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第32話 ◆魔法伯は翻弄されている


 椅子から立ち上がったレイルースは、腕を上げて伸びをした。

 本日も仕事が終わった。


 ここ数日、すっかりと羽根ペンから興味をなくしていたネコ。

 今日は少しだけ思い出したように、おざなりに構っていた。今はおとなしく棚の上から窓の外を眺めている。

 邪魔されなかったので書類はそこそこ処理された。喜ぶべきところであるが、なんだか不安がよぎる。


 ——いやいや、そんなネコを疑うようなことを思ってはいけない。


 少し普通じゃないけれども、いや、とっても普通じゃなく、とても賢い良い猫である。

 時々ちょっとおかしいだけ。

 もしかしたらそのおかしいのにも理由があるのかもしれないと、思うこともある。

 けれども、羽根ペンにじゃれつくのに何か理由があるとは思えない。羽根というものはネコの本能だか何かをくすぐるのだろう。


「さぁ、食事に行くぞ」


 ネコに声をかけて抱き上げると、エドモンドとフレスも立ち上がった。

 エドモンドが前を行き、扉を開ける。

 それにレイルースが続き、フレスが最後に部屋を出た。


 三人全員がばっと一斉に振り返った。

 無音。コーン。無音。になるはずだったのに、ベルが一度も鳴らなかったからだ。


「——壊れたか?」


「どうでしょう。しかし食事が先ですね」


「そうだな」


 レイルースとネコが食べてしまわないと、エドモンドとフレスなどの一部の使用人たちが食事をできない。

 察知ベルを確認するのは食事の後だなとレイルースは歩を進めた。


 けれども——なんとなく、妙な予感がした。

 そういえば最近ネコがおとなしく、気付くと察知ベルのあたりにいなかっただろうか。

 いや、気のせいだ——だが……。


 気もそぞろで食事を終わらせ、ネコを抱えて執務室へ戻る。

 扉を開け、ネコを下ろすとコーンとベルが鳴った。

 さっきは何か魔法図の上にゴミでも落ちていて、動かなかっただけかもしれない。

 強引に自分を納得させると、レイルースは自分も魔道具の魔銀の板の上を踏んだ。

 ベルは鳴らなかった。

 何度通っても鳴らなかった。


 ——どうなっているんだ……。


 魔銀の板を見下ろす。

 やけに板の上の余白が少ない気がした。


「ん?!」


 しゃがみこんでじっくりと見る。

 目を疑った。

 書いた覚えのない式がある。

 みたことのない印と式が書かれており、元の魔法図に書き加えられている。少しよれよれとした薄い線だが、ちゃんと意味の通りそうな式の形を成している。

 ようするに、勝手に描き変えられているのだ。


 その辺のただの書類が書き換えられているとは訳が違う。

 なかなか手に入らないキンザーヌ大帝国の魔法図に使う式。それが変えられているのである。


 誰がこれを知っているというのか。

 なぜ知っているのか。

 こんな場所の魔導具、通りすがりの凄腕魔法師がたまたま見かけて描いてくわけがない。

 犯人はこの城の中にいる。


 わかっている。

 レイルースは自分が意図的に見ないようにしよう考えないようにしようと、目を逸らしていることがあるのはわかっているのだ。

 そのまま気づかなかったことにして、湯を浴びて寝てしまおうかと思った。

 だが、目を逸らし続けるわけにはいかない現実が、そこにちんまりと座っている。


「……ネコや。おまえ、なんかしたか……?」


 最近、気付くとやたら魔導具のあたりにいたのだ。

 だが階段のところにもいたし、膝に乗ったりもして何かしているようには見えなかった。


 いや、見せなかったのか——?


 レイルースが両手でネコを持ち、じっと見るとネコはふと目を逸らした。


 ————やっぱりネコが————!!


 今晩は、追撃の手を緩めることはできそうもない。

 ほしかったものを、この手の中にいる生き物が知っているかもしれないのだ。


「ネコ、この印はどういう意味なんだ? こっちの式は?!」


「ニ……」


 ネコは知りませんみたいな顔で横を向く。

 レイルースは必死に頼み込んだ。


「この魔導具がちゃんと完成したら、魔物と魔獣の対策が進む。また一歩安全な国に近づくのだ。これはその足がかりになる大事な魔導具。きちんと解明して完成させたいのだ。ネコ、頼む。協力してくれ」


 側から見たらおかしな図である。

 大の男の魔法伯が猫に魔法を教えてくれと懇願しているのだ。

 だがそんなことを気にしている場合ではない。

 おかしかろうとなんだろうと、少しでも可能性があるのなら、それに賭けるしかない。


 レイルースの真剣さに何か感じるところがあったのか、ネコは今までの知りませんみたいなことをやめて、レイルースをまっすぐ見返した。

 そしてひとつうなずくと、口を開いた。


「ニャニャニャ、ニャニャーニャ」


 ネコぉぉぉぉおお!!!! 何言っているのかまったくわからないぞぉぉぉぉおお!!!!


 ネコがやる気になったとしても、ネコは人語を話さないし、レイルースは猫語がわからない。

 なんの解決にもならなかった。


「ネコ、おまえこんなすごい魔法ネコなら、さっさと人の姿になってしゃべるくらいしたらいいのになぁ……。というか、してくれ。切実に頼む」


 レイルースのさらなる懇願に、ちょっと大きくなったでもまだまだ小さい毛玉は何も考えてなさそうな顔で「ニャー」と鳴いたのだった。





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