毎日のように日光が照りつけ、うだるような暑さで夏真っ盛りの午前。
アスファルトからは蒸気が出ていて、遠くからでは蜃気楼にもなる異常気象。
「さあ、今日はどの服を買おうかしら」
「母さん、マジで勘弁してよ……」
その熱に溶かされそうな道路を、二人の親子を乗せた黒い軽自動車が突っ切っていく。
助手席の子供は苦々しい顔をしながらも、時折、運転手の母親に話しかけられ、それなりに楽しい表情もしていた……ように見て取れたが……。
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──13歳になっても、子供扱いな俺は夏休みを迎え、母さんと共に冷房がガンガンに効いた都会のデパートを訪れていた。
何だよ、そんくらいの歳なら、まだガキじゃねーかと思ってるか?
アラサーで俺という子持ちがいるのに、母さんは派手で、露出度の高めなヒラヒラな服で俺を惑わすんだぜ。
セクシーなボディーラインで、出るとこは出てるモデル体型だから、俺みたいな子供でも簡単に落ちてしまうのさ。
おまけに美人だし、足はスラリとして長いし、俺の理性が持たないつーの。
「こんなイベントが、月に一回あるんだぜ。あの日じゃあるまいし……」
「んっ? 何を一人で呟いてるの、
「かっ、母さん!? 何てカッコしてんだよ!?」
白を強調とし、サイズがぎちぎちのエロい服装でこっちに寄ってくる母さん。
確か、ワンピースの種類に入るヤツだ。
色白で華奢な鎖骨が見え、胸のラインは極端に出てるし、スカートの丈は短いし、男を誘惑する服に見えなくもないが……。
こういう危ない服を好むから、同じ立場の男としては、いい加減に落ち着いてほしいというか……。
「どう? 似合うかしら。白馬の王子くん?」
「母さん、周りの男も見てるから!!」
「見てるって誰が?」
母さんが周囲に目を向けた途端、服選びをしていた野獣たちは、そのイヤらしい目線を逸らし、あくまでも知らないフリを突き通す。
おい、お前ら。俺の目は誤魔化せないぞ。
すぐそばに恋人がいるのに、ギラついた瞳で母さんを見ていただろ?
「おいっ、お前ら、そんなにスカスカに飢えてるんだったら、頭ん中に鉢植えの培養土でも植えてな!」
「コラッ、そんな悪口を叩かないの!!」
母さんが『そのような悪い子に育てたつもりはない』と呟き、俺の頭を子猫のようにそっと撫でる。
ああ、そうだ。
母さんが俺を叱る時はいつもこうだ。
決して怒鳴ったり、ましてや暴力を奮ったり、意地が悪いように
俺という子供を大切な品物のように扱う、心から優しい母さんだった。
「──フフッ。君は相変わらず変わってないね」
「いえいえ。先輩の包容力には及びません」
ふと、この洋服売り場から先輩と呼ばれた長身の冴えない眼鏡の男が、母さんの前に現れる。
だけど、俺と母さんは警戒心を抱くことはなかった。
俺も承知済みだったし、自然体な対応の母さんも初対面の相手じゃないからだ。
「包容力って、その淫らな格好で言うのかい。いくら紳士な僕でも、間違って押し倒しそうなんだけどね……」
「ああー、すみません、先輩!!」
「謝るくらいなら、さっさと着替えてくれるかな」
「あっ、はいっ!!」
あの落ち着きのある母さんが、急に冷静さを失い、耳まで真っ赤な顔になって、ウサギが跳ねるように試着室へと飛び込む。
俺はおじさんに連れられ、近くの休憩所へと移動した──。
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「──毎度ながらごめんね。子供ながらでも感じちゃうでしょ」
「俺、漢字の読み書きなら、誰にも負けねえ」
「フフッ。その言い草。ますます、あの人に似てきたねえw」
この眼鏡をかけた銀色の短髪なおじさんは計ったかのように、いつも俺らの前に音も気配もなく現れる。
まるで父さんを亡くした母さんを、我がモノにするかのように……。
「ねえ、賢司君はアイスクリームは好きかい? おじさんが奢るよ」
「いえ、間に合ってますんで」
「あはははっ。君は本当に面白い子だねー」
おじさんが、ズボンのポケットから煙草の箱を出し、『あちゃー、ここ禁煙になったんだー』と箱を握りしめ、心底悔しそうな顔をする。
ちょっと昔まで、自由に深い味わいを楽しめる嗜好なアイテムだったのに、喫煙者も肩身が狭い時代になったものだ。
「……あの、
「おおっ? ちゃんと着替えてきたんだ。お利口さんだねー」
「かっ、からかわないで下さい」
いつものシャツと短パンというラフな姿の母さんがおじさんの目の前で凄む。
何か、今にも甘い行為をしそうだし、二人との顔と顔との距離が近過ぎないか!?
「この間、約束しましたよね。私の子供が居る前では会わないって」
「あー、そんなこと言ったっけなー?」
「子供の教育上、愛人を連れての行為は良くないと先輩から言ってきたんでしょ。まあ、愛人じゃないですけど」
珍しく穏やかな母さんが、このおじさん相手だと子供のようにムキになって、反論をする。
こんな母さんの影のない態度、いつぶりだろう。
あの日から、闇に埋まっていた過去の光をほじくるように。
「うーん、だったら僕と再婚でもする?」
「いえ、子供が立派に巣立つまで、そんな気はありませんので」
「つれないな。それじゃあ、シワシワのおばあちゃんになっちゃうよ?」
「息子の将来がありますから」
「あの人と一緒で真面目だね、君も」
「先輩ぃぃぃー!!」
母さんが柄にもなく照れている。
一度は父さんを亡くして、心も身体もやつれていた、あの母さんがだ。
「そうだ、
「でも……」
「お昼だったら安心して、その子も連れて来れるでしょ」
そうおじさんが陽気に言った後、今度は俺の傍にしゃがみこみ、耳元でボソボソと話しかけてくる。
『……これなら君も問題ないだろ』
『何で俺が関係あるんだよ』
『何でって? お母さんのことが好きなんでしょ?』
「ななあああっー!?」
赤の他人のおじさんに見抜かれた恋心に反し、思わず声を張り上げる。
母さんはあまりの叫びに驚いて、俺の心配をして頭を撫でてくる。
「どうしたの、賢司。そんなに大声出して顔を赤くして? 神楽坂さんに怖いイタズラでもされた?」
「はははっ、烈火ちゃん。この子も思春期を迎えた立派な男の子というわけさ」
おじさんの言うことは、いつもハズレがない。
少々、早熟だが、今の俺には男と女が行き着く先すらも分かる。
「ちょっと、あんた……」
「あんたはないだろ。僕には
口では笑っていても、秋蘭おじさんの目は真剣そのものだった。
「そんな口の聞き方がなってない悪い子には……執行モードオンー!!」
「ちょっ、ちょっと止めろ!」
俺が嫌がっていても、秋蘭おじさんの攻撃の手は緩まない。
次は俺の両腕を掴んで後ろに回し、抵抗できない体に、正義のお仕置きを仕掛けてきた。
「ちょ、ガチでくすぐったいって!?」
「フフーン。抵抗しても、無駄でちゅよー」
「だから止めろおおおおおー!!」
秋蘭おじさんの攻撃、聖なるくすぐりは最高にくすぐったい。
周りのギャラリーが、スマホを片手にワイワイと熱い騒ぎを立てても、俺のハートはブルーのままだった。
「あははっw」
「ほんと、おかしいったら、ありゃしないw」
「母さん……」
そんな光景に母さんが、あんなに大笑いしたのは久しぶりだ。
俺の知る限りでは、まだ幼い頃、幼稚園の年長だった時にあった笑顔。
家族水入らずで食卓に響いていたあの楽しそうな表情は、もう二度と手に入らないと思っていた。
それをこの男は、やすやすと手に入れてしまったのだ。
この男は何者なんだ。
母さんと昔、何かあったのか?
学生時代の知り合いにしては歳が離れすぎだし、大学のサークル時代の友人?
このフランク感なら、元恋人というのもあり得る。
それに何で二人とも、そんなに嬉しそうに会話を楽しんでるんだよ。
「──もうしょうがないわね。そのデート付き合ってあげるわ」
「ホントかい?」
「ええ。先輩が全部奢るんでしょ。ホントの本当よ」
「ははっ。ちゃっかりしてるねえ……」
こうして、母さんは父さん以外の男と食事に行くことになった。
なぜか、この思春期真っ只中な中学生の俺も引き連れて……。