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第35話 うーん。確かに美冬お姉の湯飲みなら、新技の試し台にして、何回も割ったなあ(夏希視点)

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夏希なつきSide】


「それであねさん、悩みというのは何でしょう?」

「ウムウム。実はだなあ……」

「もう、もったいぶらないでいいんで、さあ」


 住宅街に紛れ込むように建っている、一軒の古びた雑居ビル。

 そのビルの三階に夏希はいるよ。


 夏希自身、最近悩んでいた件があって、こうやって、この建物まで足を運んで、仲の良い黒いスーツのサングラスをかけたおじさんと、話を進めたんだけど……。


 まず客に対して、やるべき行動が違うんじゃないかな?


「そんなことより、お腹空いたなー」

「左様ですか。ではデリバリーを。丼ぶりでもピザでもお頼み下さい」


 夕ご飯もあるんで、手頃なお茶菓子でお腹を満たしたかったんだけど……。

 美冬みふゆお姉ごめん、今日の夕ご飯のエビフライは欠食するね。


「うむぅ……」


 改めて、メニュー名で悩む、情報収集の低さ。

 人生一生、武人としての誇りとの戦い。

 もっと、格闘技の勉強をした方がいいね。


 ……って違う、今は食べたいものだった。


「夏希は、お寿司が食べたい気分なんだけどなー」

「だったら、寿司にしましょう。わたくし、とってもいい寿司屋を知っているので」


 何の飾りけのない、事務所のチェアから立ち上がったおじさんが、書類が散乱したデスクを整頓しながら、デスクトップのパソコンからのネットで情報をググる。


「いや、こんな重大な話で出前なんて勿体もったいない」

「でしたら、近所の回転寿司へ行きましょうか!」


 おじさんがデスクの引き出しから、チケットを二枚取り出した。


 これは回転寿司の割り引きクーポンだね。

 ちゃっかり二枚持っているとか、意外とセコいね。


「回転。メリゴのように不埒な響きだ」

「……と申されますと?」

「夏希は遊園地ではなく、回転しないお寿司屋を求めている」

「なっ、何ですとぉぉぉー!?」


 そう、夏希は皿から頭と尻尾がはみ出るエビフリャーよりも、豪勢なお食事を求めていたんだよ。   

 この人たちは周囲から怖がられているけど、中身はいい人なんだ。 


 それに高そうな黒い外車ばかり持ってるんで、お金はたんまり持ってそうだし、この程度のワガママなんて、優しく受け止めてくれるよね。

 何でおじさんが、急に吠え出したのは謎だけど……。


「……おい、お前ら、姉さんの要望だ。必要経費は下りるよな?」

「ひいい、親方無理ですよ、それにガンつけないで下せえ!?」

「何ならカードでもいい。さっさと持って来い」

「わっ、分かりやした!」


 おじさんがサングラスを外し、デスクの隣の本棚にあった重そうなファイル帳を片手に、その場にいた監視役のビジネススーツを着た従業員二人に絡み出す。


 ファイル名には『おっちゃんと愉快な仲間による行動日誌』と、黒マジックでデカデカと書かれており、おじさんがそのファイルを開くと、それを見た従業員二人は真っ青な顔をして、両ひざはガクガクと震えていた。


「ねえ、さっきから、何コソコソ話してるの? 夏希も混ぜてよ!」

「い、いえ、姉さんには関係ない話でして!?」


 でも三人して、何やら楽しそうだし、一人だけ除け者なのも味が悪いなあ。


「んっ? これから後輩のカードでお寿司を食べるのに?」

「なっ、姉さん、どこから!?」

「うーん、必要経費がどうのこうの……からかな?」


 待てよ、経費にカードなんてあったっけ。

 あれ、でもカードって、ネットが塞がると、全然使えないと聞いたような?


 だったら、別の意図があるのかな……もしやこれは!


秋星あきほお姉が言ってたよ。そういうのパワハラって言うんだよね?」

「ううっ、滅相めっそうもありません……」


 おじさんがファイルを閉じて、目頭を押さえて、ポロポロと涙を流す。

 あれ、どこかに千切りした玉ねぎとかあったかな?


「……おい、見ろよ。あの親方でも逆らえない相手がいるんだな」 

「ああ、しかも制服着てら。現役の女子校生みたいだぜ」

「上には上がいるか。こりゃ、あの女の子の尻に敷かれる未来予想図が見えてくるぜ」


 何のファイル内容にビビってたのかは知らないけど、すっかり安心しきった二人組が、夏希たちをじっと観察してる。


「……お二人さん、姉さんの前でイルカ話とはいい度胸だな。動物園じゃなくても、嫌でも聞こえてんだが?」

「はっ、はひっ。すみません、親方!?」

「さっさと、接待用の俺の財布を持ってこんか!」

「「は、はいっ!!」」


 なぜか怒ったおじさんに命令された二人は、脱兎のように、その場から走り出した。


「ねえねえ、おじさん。そういうのがパワハラって……」

「あーあー、やっぱり俺が取りに行く。お前さんたち止まれ。二人は姉さんの護衛を!」

「「あっ、はいっ!!」」


 冷静になったおじさんが、二人の足を止めて、何やら耳元で会話をしてる。

 今度はやたらと二人とも、興奮してるみたいだし、何のヒソヒソ話だろうね。


****


「──それで大事なお話しと言うのは?」

「モグモグ。マグロ最高ー♪」

「ううっ、姉さん。勘弁して下さい」


 こじんまりとしたカウンターに、備え付けで採れたての食材が保管されてる冷蔵のゲージ、さらに清潔感のある店内。

 その綺麗なカウンター席で、トロだけにとろける食感な5貫目の大トロを食してる所で、おじさんが何やら侘びてくる。


「うむ。話というのは、志貴野しきののことなんだけど」

「例の同居人の男ですか。何か事件でも?」


 自分の分は注文せず、さっきから番茶ばかりすするおじさん。

 どうやら、夏希の話を真っ向から訊くつもりらしい。


「いやあ、実はね、そのシキノンのことが頭から離れないのだ」

「へっ?」


 おじさんが湯飲みを置いて、夏希の顔をマジマジと見つめる。


「シキノンを見ると胸がドキドキして、目も合わせられないというか、夏希は病気なのだろうか……」

「……姉さん、それは恋です」


 おじさんが調理用の白衣を着た店主に、『大将、この店で一番旨いサーモンを!』と注文し、笑顔で店主が手際よくシャリを握る中、穏やかになったおじさんは、夏希のグラスによく冷えたオレンジジュースを注ぐ。


「こい? それって美味しいの?」

「姉さん、恋をしたことがないのですか?」

「うーん。確かに美冬お姉の湯飲みなら、新技の試し台にして、何回も割ったなあ」

「はあ……、それはですよ……」


 おじさんは困った顔で、ポケットから煙草を出して、灰皿のある外に出ていった。


 夏希、何か変なこと言ったかなあ?

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