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【
「それで
「ウムウム。実はだなあ……」
「もう、もったいぶらないでいいんで、さあ」
住宅街に紛れ込むように建っている、一軒の古びた雑居ビル。
そのビルの三階に夏希はいるよ。
夏希自身、最近悩んでいた件があって、こうやって、この建物まで足を運んで、仲の良い黒いスーツのサングラスをかけたおじさんと、話を進めたんだけど……。
まず客に対して、やるべき行動が違うんじゃないかな?
「そんなことより、お腹空いたなー」
「左様ですか。ではデリバリーを。丼ぶりでもピザでもお頼み下さい」
夕ご飯もあるんで、手頃なお茶菓子でお腹を満たしたかったんだけど……。
「うむぅ……」
改めて、メニュー名で悩む、情報収集の低さ。
人生一生、武人としての誇りとの戦い。
もっと、格闘技の勉強をした方がいいね。
……って違う、今は食べたいものだった。
「夏希は、お寿司が食べたい気分なんだけどなー」
「だったら、寿司にしましょう。わたくし、とってもいい寿司屋を知っているので」
何の飾りけのない、事務所のチェアから立ち上がったおじさんが、書類が散乱したデスクを整頓しながら、デスクトップのパソコンからのネットで情報をググる。
「いや、こんな重大な話で出前なんて
「でしたら、近所の回転寿司へ行きましょうか!」
おじさんがデスクの引き出しから、チケットを二枚取り出した。
これは回転寿司の割り引きクーポンだね。
ちゃっかり二枚持っているとか、意外とセコいね。
「回転。メリゴのように不埒な響きだ」
「……と申されますと?」
「夏希は遊園地ではなく、回転しないお寿司屋を求めている」
「なっ、何ですとぉぉぉー!?」
そう、夏希は皿から頭と尻尾がはみ出るエビフリャーよりも、豪勢なお食事を求めていたんだよ。
この人たちは周囲から怖がられているけど、中身はいい人なんだ。
それに高そうな黒い外車ばかり持ってるんで、お金はたんまり持ってそうだし、この程度のワガママなんて、優しく受け止めてくれるよね。
何でおじさんが、急に吠え出したのは謎だけど……。
「……おい、お前ら、姉さんの要望だ。必要経費は下りるよな?」
「ひいい、親方無理ですよ、それにガンつけないで下せえ!?」
「何ならカードでもいい。さっさと持って来い」
「わっ、分かりやした!」
おじさんがサングラスを外し、デスクの隣の本棚にあった重そうなファイル帳を片手に、その場にいた監視役のビジネススーツを着た従業員二人に絡み出す。
ファイル名には『おっちゃんと愉快な仲間による行動日誌』と、黒マジックでデカデカと書かれており、おじさんがそのファイルを開くと、それを見た従業員二人は真っ青な顔をして、両ひざはガクガクと震えていた。
「ねえ、さっきから、何コソコソ話してるの? 夏希も混ぜてよ!」
「い、いえ、姉さんには関係ない話でして!?」
でも三人して、何やら楽しそうだし、一人だけ除け者なのも味が悪いなあ。
「んっ? これから後輩のカードでお寿司を食べるのに?」
「なっ、姉さん、どこから!?」
「うーん、必要経費がどうのこうの……からかな?」
待てよ、経費にカードなんてあったっけ。
あれ、でもカードって、ネットが塞がると、全然使えないと聞いたような?
だったら、別の意図があるのかな……もしやこれは!
「
「ううっ、
おじさんがファイルを閉じて、目頭を押さえて、ポロポロと涙を流す。
あれ、どこかに千切りした玉ねぎとかあったかな?
「……おい、見ろよ。あの親方でも逆らえない相手がいるんだな」
「ああ、しかも制服着てら。現役の女子校生みたいだぜ」
「上には上がいるか。こりゃ、あの女の子の尻に敷かれる未来予想図が見えてくるぜ」
何のファイル内容にビビってたのかは知らないけど、すっかり安心しきった二人組が、夏希たちをじっと観察してる。
「……お二人さん、姉さんの前でイルカ話とはいい度胸だな。動物園じゃなくても、嫌でも聞こえてんだが?」
「はっ、はひっ。すみません、親方!?」
「さっさと、接待用の俺の財布を持ってこんか!」
「「は、はいっ!!」」
なぜか怒ったおじさんに命令された二人は、脱兎のように、その場から走り出した。
「ねえねえ、おじさん。そういうのがパワハラって……」
「あーあー、やっぱり俺が取りに行く。お前さんたち止まれ。二人は姉さんの護衛を!」
「「あっ、はいっ!!」」
冷静になったおじさんが、二人の足を止めて、何やら耳元で会話をしてる。
今度はやたらと二人とも、興奮してるみたいだし、何のヒソヒソ話だろうね。
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「──それで大事なお話しと言うのは?」
「モグモグ。マグロ最高ー♪」
「ううっ、姉さん。勘弁して下さい」
こじんまりとしたカウンターに、備え付けで採れたての食材が保管されてる冷蔵のゲージ、さらに清潔感のある店内。
その綺麗なカウンター席で、トロだけにとろける食感な5貫目の大トロを食してる所で、おじさんが何やら侘びてくる。
「うむ。話というのは、
「例の同居人の男ですか。何か事件でも?」
自分の分は注文せず、さっきから番茶ばかりすするおじさん。
どうやら、夏希の話を真っ向から訊くつもりらしい。
「いやあ、実はね、そのシキノンのことが頭から離れないのだ」
「へっ?」
おじさんが湯飲みを置いて、夏希の顔をマジマジと見つめる。
「シキノンを見ると胸がドキドキして、目も合わせられないというか、夏希は病気なのだろうか……」
「……姉さん、それは恋です」
おじさんが調理用の白衣を着た店主に、『大将、この店で一番旨いサーモンを!』と注文し、笑顔で店主が手際よくシャリを握る中、穏やかになったおじさんは、夏希のグラスによく冷えたオレンジジュースを注ぐ。
「こい? それって美味しいの?」
「姉さん、恋をしたことがないのですか?」
「うーん。確かに美冬お姉の湯飲みなら、新技の試し台にして、何回も割ったなあ」
「はあ……、それは
おじさんは困った顔で、ポケットから煙草を出して、灰皿のある外に出ていった。
夏希、何か変なこと言ったかなあ?