「
「えっ、どうしたの?」
近所にある人気のない公園で、街灯の柱にもたれかかる、ベージュのシャツワンピ姿の
いつもとは裏腹に、熱い想いの怒鳴り声をあげた彼女は、両腕を組んだまま、今度は冷めた目つきでこちらを睨んでいる。
なるほど、これが秋星の素の顔というわけか。
でも僕、女の子から怒られるほど、変な
公園の神に誓って、そんなことはないですと言いたい気分だけど……。
「何か、私に言うことがあるでしょ?」
「いや、特になんにも」
正直、何もないし、女性と付き合った経験もないし、女の子と面と向かって話すのも苦手だからね。
だから言い合いにまで発展もせず、思ったことをガンガンと言う、大人の余裕すらもないよ。
「もうどんだけ鈍いのよ。時計を見てよ。今、何時だと思ってるのよ!!」
「朝の11時だけど?」
お天道様は、僕らの真正面の位置に健在し、僕が身につけたアナログ腕時計の針も、ゼロに近い場所を刻んでいる。
それに比べて、秋星の方はすこぶる機嫌が悪い。
すこぶると酢こんぶは、響きが似てるとか呟いたら、思いっきり、平手で張り飛ばされそうだけど……。
「私、昨日言ったよね。9時にここで待ち合わせって!」
「9時も11時もそんなに変わらないって」
「大ありよ!」
秋星、餌を切らしたアリなのか、いつにもなくキレてるね。
このキレ具合だと、ファミリーサイズのジャンボケーキも、7
同じ発音の糖分だけに……。
「志貴野くん、私との約束を堂々と破って、遅刻した上に、そんな態度じゃ、一生彼女なんてできないわよ!!」
「うぐぐ……すみません、秋星お姫様」
本当、秋星には頭が上がらないよね。
ヤバい返しだけど、毎度ながら、正統派な返しだから余計にだよ。
「もういいわよ。さっさと行くわよ。今日は、そっちがエスコートしてくれるんでしょ?」
「ああ、僕に任せとき!」
「不安要素しか、浮かばないんだけど……」
胸を拳で大きく叩いて、自慢げになる僕。
だけどこのまま
肋骨は案外、脆いものであり、胸骨マッサージでも折れることもあるんだ。
誰しも、ゴリラの厚い胸板みたいに、丈夫だとは言えない。
「まあ、騙されたと思ってついてきてよ。今日は最高のデートにするから」
「デートねえ……」
そうさ、ヤベエくらいに、頭の中でスケジュールを思い浮かべ、最高のデートプランを考えてきたんだ。
でも相手はそんな様子も見せないで、複雑そうに表情を曇らす。
……女の子に耐性がなく、愛想笑いでも戸惑うチキンだけど、これはこれで色々とヤベエな。
「えっ、今日のこれってデートじゃないの?」
「敵情視察というものよ」
「テキーラジーザス?」
「違うわよ、どういう耳してるのよ!!」
繊細そうに見えて、僕の耳は都合がいいんだ。
こんな緊張感にも関わらず、冗談として笑い飛ばせるから……。
****
「──ヘイ、いらっしゃい!」
黄ばんだのれんをくぐると響き渡る、白いタオルを頭に巻いた、青い作務衣な年配のおじさんの声。
油で汚れて、黄金色になった壁のクロスに、べとついた天井と床。
その周辺から鼻に漂うのは、香ばしい肉らしき匂い。
木造建築プラス経年劣化で、あちこちが傷んだカウンターが主な、狭い店内。
僕らは、そんなレトロな情景を前にし、見事に溶け込んでいた。
「……志貴野くん」
「何かな?」
秋星が僕の服の袖をつまんで、店内を突き進み、突き当たりにあるトイレのドアの前で、周囲を見渡す。
そして、僕の目の前で大きく深呼吸し……これでもかと、小さな口を開いた。
「何で、夢と希望が溢れたテーマパークが、ラーメン屋なのよ?」
「老舗というところがポイントで」
「ポイントで、じゃないわよ。普通、こんな店をデートに選んだりする?」
「うーん。僕なら、迷いもせずに選ぶけどなあ」
「はあ……。これは彼女を作る以前の問題だね」
秋星が諦めた顔つきでカウンターに座り、メニュー表を見ながら、ため息を吐き出す。
ああ、女の子にとって、こってり麺かたラーメンは天敵だったみたい。
「大将、いつもの持ってきてよ。女心を鷲掴みにする野菜たっぷりのやつ」
「ヘイ、お兄さん。いきなりの爆破テロ的なメニューですかい」
僕はここ最近、野菜の価格が高いのを理由に、赤字覚悟の350グラム超えの野菜が入ったラーメンを注文する。
彼女だけでなく、僕も同じのにしたせいか、不思議と気分は高揚してる。
とりあえず女の子にどれを食べても、悪循環なラーメンを選ばせるなんて酷だ。
ヘルシィィーな麺料理で腹を満たして、彼女を落ち着かせようか。
「それにしても、女を取っ替え引っ替えしてモテモテなお兄さんですな。今回も本気の恋なんですねえ」
「あのさ、それじゃ僕が見境なく、女の子と遊ぶチャラい男だと思われてるよね?」
「えっ、違うんですか?」
「違うよ!!」
僕が女の子を連れてきたのは初めてなのに、おじさんときたら、口元に手を寄せて、ニタニタと笑っているんだよ。
いくらニートでお金がなくても、そんな男にだけはなりたくない。
と言うか、僕のこの性分じゃ、女のヒモにもなりたくないし、学生の身分じゃなかったら、バリバリ働いてるよ。
「何、大の男通しが声を荒げて、喧嘩してるのよ。みっともないわね」
「そう思うなら助けてくだせえ。このお兄さん、お客さんの常連だからって、ラーメンを半額にしろとか言ってくるんですよ」
「何だよ、それじゃあ、僕が悪者みたいで……あれ?」
何か変な感じな会話だよね。
これが噂のオレオレオレんち詐欺かな?
「フフフッ、やっと自分から悪いことを認める気になったようね」
「そのようですな」
「いや、大将、ちょっと言ってることがおかしいような?」
「おかしいのは罪を認めない志貴野くんよ!」
「そうそう、お兄さんでっせ」
何か納得がいかないよね。
言葉の罠にハメられた僕は、カウンターのテーブルに顔を埋める。
「ううっ、僕は一方的に弄られる存在なのか」
「まあまあ、半分に切ったチャーシューをひと切れサービスしますので」
「やることがセコイな!」
僕はそう言いながらも、半切れの肉が追加された、熱々のラーメンを受け取る。
「ほおほお。何だかんだ言っても、贈賄には勝てないようですね、志貴野の旦那」
「
「フフフッ、この俺に分からない鯉料理などない」
確かに、賢司は鯉こく好きそうだよね。
「大将、俺にも彼と同じものを。
賢司が白い歯を輝かせて、僕の隣の席につく。
だけど僕は情を捨てて、極めて冷静な判断を下す。
「……言っとくけど、賢司には奢らないからね」
「ひっ、ひでえや! 今日は朝から公園で、お前らの張り込みしてて腹ペコなのに!」
「さりげなく、ストーカーかよっ!」
秋星が長い茶髪を片手で押さえ、器用にラーメンをすする音を耳にしながら、僕ものびないうちに麺を食べる。
賢司は涙目で指をくわえて、僕をじっと見てるから、お陰で食べづらい。
「あー、もう分かったよ。僕の少しあげるから」
観念して、おじさんからもらった小皿に麺をより分ける僕。
全く、僕の優しさに感謝してよね。
「いや、少しじゃなくて半分くれ」
「図々しいよ!」
この御方は自分の立場というのを、ちょっとはわきまえてるのかな。
ああ、秋星は状況を察したのか、白々しい顔をしてるし、これじゃ、彼女とのデートも台無しだよ……。