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第38話 この御方は自分の立場というのを、ちょっとはわきまえてるのかな

志貴野しきのくん、いい加減にしてよね!」

「えっ、どうしたの?」


 近所にある人気のない公園で、街灯の柱にもたれかかる、ベージュのシャツワンピ姿の秋星あきほ


 いつもとは裏腹に、熱い想いの怒鳴り声をあげた彼女は、両腕を組んだまま、今度は冷めた目つきでこちらを睨んでいる。

 なるほど、これが秋星の素の顔というわけか。


 でも僕、女の子から怒られるほど、変なあやまちでも犯したかな。

 公園の神に誓って、そんなことはないですと言いたい気分だけど……。


「何か、私に言うことがあるでしょ?」

「いや、特になんにも」


 正直、何もないし、女性と付き合った経験もないし、女の子と面と向かって話すのも苦手だからね。

 だから言い合いにまで発展もせず、思ったことをガンガンと言う、大人の余裕すらもないよ。


「もうどんだけ鈍いのよ。時計を見てよ。今、何時だと思ってるのよ!!」

「朝の11時だけど?」


 お天道様は、僕らの真正面の位置に健在し、僕が身につけたアナログ腕時計の針も、ゼロに近い場所を刻んでいる。


 それに比べて、秋星の方はすこぶる機嫌が悪い。

 すこぶると酢こんぶは、響きが似てるとか呟いたら、思いっきり、平手で張り飛ばされそうだけど……。


「私、昨日言ったよね。9時にここで待ち合わせって!」

「9時も11時もそんなに変わらないって」

「大ありよ!」


 秋星、餌を切らしたアリなのか、いつにもなくキレてるね。

 このキレ具合だと、ファミリーサイズのジャンボケーキも、7に器用にカットできそう。

 同じ発音の糖分だけに……。


「志貴野くん、私との約束を堂々と破って、遅刻した上に、そんな態度じゃ、一生彼女なんてできないわよ!!」

「うぐぐ……すみません、秋星お姫様」


 本当、秋星には頭が上がらないよね。

 ヤバい返しだけど、毎度ながら、正統派な返しだから余計にだよ。


「もういいわよ。さっさと行くわよ。今日は、そっちがエスコートしてくれるんでしょ?」

「ああ、僕に任せとき!」

「不安要素しか、浮かばないんだけど……」


 胸を拳で大きく叩いて、自慢げになる僕。

 だけどこのままに胸を叩くと、筋力低下ではなく、肋骨がダメージを食らい、大変なことになる。


 肋骨は案外、脆いものであり、胸骨マッサージでも折れることもあるんだ。

 誰しも、ゴリラの厚い胸板みたいに、丈夫だとは言えない。


「まあ、騙されたと思ってついてきてよ。今日は最高のデートにするから」

「デートねえ……」


 そうさ、ヤベエくらいに、頭の中でスケジュールを思い浮かべ、最高のデートプランを考えてきたんだ。

 でも相手はそんな様子も見せないで、複雑そうに表情を曇らす。


 ……女の子に耐性がなく、愛想笑いでも戸惑うチキンだけど、これはこれで色々とヤベエな。


「えっ、今日のこれってデートじゃないの?」

「敵情視察というものよ」

「テキーラジーザス?」

「違うわよ、どういう耳してるのよ!!」


 繊細そうに見えて、僕の耳は都合がいいんだ。

 こんな緊張感にも関わらず、冗談として笑い飛ばせるから……。


****


「──ヘイ、いらっしゃい!」


 黄ばんだのれんをくぐると響き渡る、白いタオルを頭に巻いた、青い作務衣な年配のおじさんの声。

 油で汚れて、黄金色になった壁のクロスに、べとついた天井と床。

 その周辺から鼻に漂うのは、香ばしい肉らしき匂い。


 木造建築プラス経年劣化で、あちこちが傷んだカウンターが主な、狭い店内。

 僕らは、そんなレトロな情景を前にし、見事に溶け込んでいた。


「……志貴野くん」

「何かな?」


 秋星が僕の服の袖をつまんで、店内を突き進み、突き当たりにあるトイレのドアの前で、周囲を見渡す。

 そして、僕の目の前で大きく深呼吸し……これでもかと、小さな口を開いた。


「何で、夢と希望が溢れたテーマパークが、ラーメン屋なのよ?」

「老舗というところがポイントで」

「ポイントで、じゃないわよ。普通、こんな店をデートに選んだりする?」

「うーん。僕なら、迷いもせずに選ぶけどなあ」

「はあ……。これは彼女を作る以前の問題だね」


 秋星が諦めた顔つきでカウンターに座り、メニュー表を見ながら、ため息を吐き出す。

 ああ、女の子にとって、こってり麺かたラーメンは天敵だったみたい。


「大将、いつもの持ってきてよ。女心を鷲掴みにする野菜たっぷりのやつ」

「ヘイ、お兄さん。いきなりの爆破テロ的なメニューですかい」


 僕はここ最近、野菜の価格が高いのを理由に、赤字覚悟の350グラム超えの野菜が入ったラーメンを注文する。

 彼女だけでなく、僕も同じのにしたせいか、不思議と気分は高揚してる。


 とりあえず女の子にどれを食べても、悪循環なラーメンを選ばせるなんて酷だ。

 ヘルシィィーな麺料理で腹を満たして、彼女を落ち着かせようか。


「それにしても、女を取っ替え引っ替えしてモテモテなお兄さんですな。今回も本気の恋なんですねえ」

「あのさ、それじゃ僕が見境なく、女の子と遊ぶチャラい男だと思われてるよね?」

「えっ、違うんですか?」

「違うよ!!」


 僕が女の子を連れてきたのは初めてなのに、おじさんときたら、口元に手を寄せて、ニタニタと笑っているんだよ。


 いくらニートでお金がなくても、そんな男にだけはなりたくない。

 と言うか、僕のこの性分じゃ、女のヒモにもなりたくないし、学生の身分じゃなかったら、バリバリ働いてるよ。


「何、大の男通しが声を荒げて、喧嘩してるのよ。みっともないわね」

「そう思うなら助けてくだせえ。このお兄さん、お客さんの常連だからって、ラーメンを半額にしろとか言ってくるんですよ」

「何だよ、それじゃあ、僕が悪者みたいで……あれ?」


 何か変な感じな会話だよね。

 これが噂のオレオレオレんち詐欺かな?


「フフフッ、やっと自分から悪いことを認める気になったようね」

「そのようですな」

「いや、大将、ちょっと言ってることがおかしいような?」

「おかしいのは罪を認めない志貴野くんよ!」

「そうそう、お兄さんでっせ」


 何か納得がいかないよね。

 言葉の罠にハメられた僕は、カウンターのテーブルに顔を埋める。


「ううっ、僕は一方的に弄られる存在なのか」

「まあまあ、半分に切ったチャーシューをひと切れサービスしますので」

「やることがセコイな!」


 僕はそう言いながらも、半切れの肉が追加された、熱々のラーメンを受け取る。


「ほおほお。何だかんだ言っても、贈賄には勝てないようですね、志貴野の旦那」

賢司けんじ、いつの間に!?」

「フフフッ、この俺に分からない鯉料理などない」


 確かに、賢司は鯉こく好きそうだよね。


「大将、俺にも彼と同じものを。勿論もちろん、会計はこの彼持ちで」 


 賢司が白い歯を輝かせて、僕の隣の席につく。

 だけど僕は情を捨てて、極めて冷静な判断を下す。


「……言っとくけど、賢司には奢らないからね」

「ひっ、ひでえや! 今日は朝から公園で、お前らの張り込みしてて腹ペコなのに!」

「さりげなく、ストーカーかよっ!」


 秋星が長い茶髪を片手で押さえ、器用にラーメンをすする音を耳にしながら、僕ものびないうちに麺を食べる。

 賢司は涙目で指をくわえて、僕をじっと見てるから、お陰で食べづらい。


「あー、もう分かったよ。僕の少しあげるから」


 観念して、おじさんからもらった小皿に麺をより分ける僕。

 全く、僕の優しさに感謝してよね。


「いや、少しじゃなくて半分くれ」

「図々しいよ!」


 この御方は自分の立場というのを、ちょっとはわきまえてるのかな。


 ああ、秋星は状況を察したのか、白々しい顔をしてるし、これじゃ、彼女とのデートも台無しだよ……。

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