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「──おい、
「えっ? えっと、これから始業式があるんだったね!?」
気が付いた場所は、中高校一貫性である、桐生院筑紫ヶ
登校中だった僕は、その学校の正門前にいて、
どうしてこんな校舎を背に、枯れ葉が目立つ木の下にいるんだろう。
この桜に、何か思い入れでもあるのかな。
当の昔に花びらは散って、見る影もないのに……。
「そうだぜ。まだ中身は夏休み気分か? そんな栄光は過去に捨てろよな」
「栄光って言われても、平凡な夏休みを過ごしただけだけど」
「ハハハッ、そりゃ違いねえな」
賢司が大笑いしながら、足元にあった小石を蹴った。
小石は緩やかにカーブを描き、金網の付いた排水口の隙間に、軽快な音を立てて落ちていく。
確かに夏休みの宿題を手にして、色んな格闘したことは思い出せるけど……。
根がかりした釣り糸のように、何かが心の奥で引っ掛かっているんだよね……。
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「──では、つきまして、二学期の目標となりますが、生徒の皆さんが、お互いに
「毎度ながら長い……」
体育館の教壇に立ち、丁寧にアイロンがけされた灰色のスーツ姿の校長先生が、恒例の話を続けて、かれこれ20分は経過している。
夏休みに孫と一緒に家族水入らずで、海外のビーチリゾートに行った土産話を含め、この分だと、到底、話は終わりそうにない。
あー、立ちっぱなしで、血の気が足りないのか、頭がクラクラしてきたよ。
こりゃヤベエな。
こんなことならプルーン丸かじりして、鉄分を摂っとけば良かったよ。
「どうした志貴野、顔色が悪いぜ?」
「ううっ、ちょっと立ちくらみが……」
「あー、だからあれほど言っただろ。夜ふかししてまで、ハルの夏休みの宿題に取りかかるから」
ここでハルの名前を聞いて、賢司との既視感を抱いたが、何の妄想だと、思いを振り払った。
どうせまた変な夢でも観たんだろう。
怪しまれないよう、誤魔化した会話で繋げよう。
「……何のこと?」
「覚えてないのか? 俺は今日から学校だから、早々に帰宅したんだが?」
昨日のこと、その言い方だと、僕の部屋に賢司が遊びに来たのか。
夏休み最終日なのに余裕だよね。
……ってあれ、宿題と何かしら、関係あるのかな?
「そうなんだ?」
「おいおい、昨日の今日の話だぜ。早速、ボケが始まったか」
「僕は受ける側もツッコミ役も好きだなあ」
「漫才の話じゃねーぞ」
漫才、武道館の広いステージで単独で一人ソロか。
ボケもツッコミも一人でやってね。
ピン芸人だから、ギャラは相方に分けなくていいから、丸儲けだけど。
「センセー、
賢司が真っ直ぐ挙手して、若い女性の教師に大声で問いかける。
周囲が賢司の行動にざわめく中、突然の声かけに、目が点になる二十代くらいの美人さん。
この男、顔に狙いを定めたね。
「……ちょっとそれじゃ、僕が病人みたいで」
「……何をぶつくさと。大方、昨日はほとんど寝てねーんだろ。ここは自分に甘えとけ」
「うん、ありがと」
「それに俺もサボれる対象になれるからな」
賢司が僕を丸太のように軽々と担ぎ、『アラエッザッザー!』と叫びながら、体育館を後にする。
生徒も教師も、いきなりのことにあっけらかんとしていたが、校長先生だけが何も知らずに世間話に華を咲かせていた──。
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「──誰もいないね」
「二学期早々、仮病を使うヤツなんていないからな」
「何だよ、僕は大真面目だよ」
「仮病は真面目君が使う最終兵器でもあるのさ。一応、仮の病だし」
消毒薬と果実の匂いがほのかに香る保健室にて、僕は賢司から強引にベッドに寝かされ、ご丁寧に掛け布団までもかけられる。
「まあ、志貴野は、記憶障害がある病気持ちだから、その点はちょっと違うよな」
「だから立ちくらみがして」
「それは何かの危険信号かもだろ。重い病気だったらどうするんだよ」
「そんな病気なら、救急車で総合病院に運ばれてるよ」
「それは言えてるなw」
耳の奥底から、例の嫌なサイレンの音が鳴り響いて止まらない。
あのサイレンは意図的に消せて、深夜に鳴らすのはご法度らしいとか。
「じゃあな、志貴野、俺はそろそろ戻らないと、色々と怪しまれてしまうからな」
「うん、女の子からBL創作のネタに使われそうだしね」
「ああ。夢見る乙女ほど、恐ろしいものはないしな」
どうして女の子は、男同士でラブな展開になる世界観が好きなんだろう。
野郎が女同士の百合に興味があるのと、同じなのかな。
「……じゃあ、また授業で会おう」
僕を気遣う言葉とは逆に、何かしら機嫌が良くなった賢司が、右腕を直角に曲げて、大急ぎで廊下へと飛び出す。
そういえば、一時限目の現国の教師は、あの体育館でアプローチした美人女性だったね。
少しでも好きな女性と、時を共有したいという気持ちか。
まあ、学生の恋は長続きしないし、ましてや相手が、生徒と教師だと恋愛対象にもならないと聞いたことがあるし、よく女子が言ってる『運命の出会い、キャー!』なんて、生きてる間で1パーセントの確率しかないとか。
恋愛どころか、その辛い恋愛を封印した僕には、生涯分からない感情かな。
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「……あの、志貴野お兄ちゃん?」
二台あるベッドを仕切った、隣のベージュのカーテンがゆっくりと開き、本来なら別の学校にいるはずの
「えっ、ハルがどうしてここに?」
「いや、その夏休みの宿題が終わらなかったから、今日の学校サボって……」
ハルが背中に隠していた、世界史の問題集を見せつけて、いかにも勉強してますモードになる。
世界史って簡単そうに見えて、地名や人名が複雑で覚えにくいんだよね。
おまけに何かの暗号のようなカタカナ言葉が多いし……。
「なるほど。他の姉妹に知られたくないから、ここのベッドでひっそりと宿題をしてたわけか」
「うん、ここの保健医さんにも了承もらったし、ハルも受験生だし、
「まあ、夏休みの宿題は余計にな」
この中高校の制服とは違うせいか、当然だけど目立ってしょうがない。
大方、この分だと電車にも乗り遅れたんだろうね。
堂々と遅刻して後ろ指を指されるくらいなら、病欠した方がマシだと。
どんだけプライド高い学生なんだか……。
「それとお兄ちゃん、お弁当忘れてたよ」
「あー、これが本当の狙いかよ」
ベッドから飛び降りたハルが、背中を起こした僕のひざに、ピンク色の巾着袋をやんわりと置く。
今日の食事当番は彼女だったらしい。
「いくら今日が午前中で終わっても、買い出し日だから、家には何も食べ物ないからね」
「はい。ライフラインの復旧(体力回復)に感謝しやす」
「うんうん。聞き分けが大変良くてよろしい」
なぜか母親目線のハルが、僕の横から離れ、近くのパイプ椅子に腰かける。
「あっ……あのね、お兄ちゃん」
ハルが目線を宙に漂わせながら、たどたどしい口調で何かを伝えようとする。
『キーンコーン、カーンコーンー♪』
一時限目の終わりのチャイムが鳴っても、僕は特に否定はせず、黙ってハルの話を聞くことにした……。