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第48話 女の子は弱い身だし、どうせ新しい恋でも見つけるんだろうね

****


「ほら、親父。早くしないとデートに遅れるよ」

「ああ、ちょっと待ってくれ。ネクタイが曲がってる」

「全く、母さんが相手なんだから、別に素でもいいじゃん」 


 今日は親父と三重咲みえさきの母さんによる、二人きりのデート。

 柄にもなく、タキシードを着込んだ親父が、全身鏡の前でネクタイを整える。


 久々に日本に帰国したかと思ったら、これだもんね。

 正月でもないのに、家で過ごすのは気が引けるってさ。


 こんなにも女たらしの親父がベタ惚れするなんて、さぞかし素敵な女性なんだろうな。

 いつになったら、新しい母さんは僕に顔を見せてくれるんだろう。

 理由は定かじゃないけど、僕だけがまだ顔を知らないままだから……。


「フフッ、志貴野しきのは本当に女心が分かってないなあ。その分じゃ、大方、姉妹にさえも、相手にされていない感じかな?」

「うん。秋星あきほによく言われるよ。そんなんじゃ、一生彼女なんてできないって」

「はははっ、そいつは傑作だ。えらい言われようだな」

「……もう、他人事だと思って」


 親父が豪快に笑いながら、僕の背中を叩く。

 少し痛いけど、上機嫌みたいだし、同じように笑って誤魔化そう。

 前の母さんと別れた直後は、見るに耐えない落ち込んだ様子だったから。


「でもな、そんな志貴野にも恋人がいた時期があったのさ」

「えっ、そんなこと知らないよ」


 記憶を探ろうにも、広がるのはセピア色の情景だけで……仲の良い女の子とは夢でよく会うけど、現実では、そんな相手はいないはず……。


 まさか正夢とかで、親父は未来を感知できる能力の持ち主で……。

 僕は阿呆あほか、そんなファンタジー漫画みたいなことがあってたまるか。


「まあ、記憶障害だからな。無理に思い出すこともないだろう。あれは悲惨な事故だった……」


 事故って、親父は急に何を言ってるんだ。

 僕は何ともなく、五体満足で、この部屋に住んでいるのに……。


「……親父」

「どうした、真剣なつらして? 何か質問かな? 父さんが答えられる範囲内でなら……」


 親父が短く刈った白髪に、木のクシを丁寧に当てて、少しだけ浮いていた前髪をとかす。


 喋りながら身だしなみを整えて、器用な親父だね。

 さてと、僕が言いたいのはそこじゃない。


「真剣も何もガチでデートに遅れるよ」

「うほっ、そうだったあああー!」


 ゴリラのような雄叫びを上げながら、キッチンに置いてあった、一房のバナナを一本千切って、口に頬張る親父。

 どうやら落ち着いて、朝食の食パンを食べる時間もないらしい。

 だったら食パンくわえて、家を出ればいいのに……。


「じゃあな、今日の帰りは遅くなる。夕ご飯はみんなで何とかしてな」

「ああ」


 玄関で黒い革靴を履きながら、振り向かずに後ろ姿で僕に声をかける親父。

 きっと久々のデートで顔がほころんでいるのだろう。


「そうだな。手作り料理でもしたら、女の子たちの株も少しは上がるかも知れんぞ」

「はいはい。そっちも母さんの株を下げないようにね」

「ごもっともだな。行ってくるよ」

「いってらー」


 親父がドアを開けたと同時に、爽やかな空気が部屋に流れ込む。

 少し前まで暑かったのに、随分と過ごしやすくなった。


 徐々に秋の気配が段々と近付いてきたし、気がついたら、恋人たちや家族による、熱い冬がやって来るかな。


****


「……さて、僕も支度をするか」


 親父を玄関先で見送った後、再び自室に舞い戻った僕は、手持ちの灰色のバッグに、ハンカチや小柄な水筒、ポケットティッシュなどの必要な物を詰め込んでいた。


「なーにしてるの、志貴野くん?」

「その声と姿は秋星か。この通り、今日の僕は忙しい。朝食ならリビングにある食パンで済ませてくれ」

「志貴野オオミカミ、了解でーすw」

「……僕は男だけどね」


 秋星でも冗談を言うときがあるんだなと内心で呟き、ふと、モノトーンな黒いトレーナーに付いていたものに目がいく。


「んっ、秋星。お前さん」

「えっ、えっと、何かな……?」

「肩にゴミが付いてる」

「あっ、ありがと……」


 僕はいつものように、秋星の肩をはらうと、彼女はちょっと戸惑いながら、僕から視線を外す。

 何だろう、兄妹なのに、今さら照れる必要があるのかな?


「うん、どうかしたの。何か、調子悪そうだけど?」

「そ、そう? 今日はあの日だからね」

「うん? 秋分の日ならまだ先だけど?」

「何言ってるのよ、このバカー!」


 週の半ばであり、一週間後は祝日。

 お赤飯なことは口に出してないし、何もやましいことは言ってないけど?


『ゴツン!』

「ふがっ!?」


 秋星が僕の勉強机にあった、化学の教科書を手で素早く丸め、ダイレクトアタックをする。

 バリアさえも張れない人間の身にとっては、器用に避けない限り、痛いものだよ。


「用が済んだら、さっさと行きなさいよ。折角せっかくのご飯が不味くなるわ」

「くっ、結構いい性格してるな。秋星」

「志貴野くんに言われるまでもないわよ」

「そうだね」


 やけに冷たい秋星の対応に、僕はドアの方に向き直って、思っていたことを漏らす。


「あと、美冬みふゆに伝えてもらえるかな。例のこと、期待に添えられず、申し訳ないと」

「それは本人に直接言いなさいよ」

「ああ、これからも仲の良い友達としてか」

「ええ、きっと喜ぶと思うわよ」


 秋星が僕の背中に、笑顔で答えてるのは分かる。

 そう、選んでしまったからには遅いんだ。

 僕は約束通り、例の公園で三重咲姉妹の一人に告白に行くのだから……。


****


「──バカ、ちょっとは空気読みなさいよね」


 砂糖抜きの、いつものインスタントコーヒーが苦く感じる。

 一人残された私は、リビングで食パンを口にしながら、あの女好きな彼に対する愚痴を溢していた。


「アタシがアンタのことを一番好きだったんだから……」


 秋星だったアタシは、茶色のウィッグを外し、ボサボサになった銀髪を風に晒す。

 先ほど、志貴野と会話していた秋星は、美冬の変装した姿だったのだ。


「恋愛ドラマとは違い、どんなに恋い焦がれても、結局は結ばれない恋って辛いものなのね……」


 美冬は長い髪をサイドテールに結び直しながら、終わってしまった恋の結末をゆっくりと語る。

 誰も聞いていない、涼しげな食卓にて……。


「こんな想いをするなら、恋なんて二度としないわ。アタシはもう一人で生きていく」

「……とも思ったけど、女の子は弱い身だし、どうせ新しい恋でも見つけるんだろうね」


 美冬は心に傷を負ったが、その相手が身近な存在で、いつでも会えることに感謝する。

 もし相手が遠距離恋愛だったり、自害したりしたら、二度とまともに恋なんてできないかも知れないからだ。


「失恋くらいでめげるな。頑張れ、アタシ」


 アタシは湿っぽいまぶたを擦りながら、味気ない食パンをかじる。


 ああ、人間ってこうして何度も恋に破れ、運命の人と出会うまで、このキツい経験を積み重ねていくんだ。

 別にトーストは焦げてはないけど、コーヒーと同じく、ほろ苦い大人の味がした──。



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