目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第50話 だから中々、僕の術にかからなかったのか。心の強い者ほど、かかりにくいし

「……いよいよ本降りになってきたな」

志貴野しきのお兄ちゃん、ちょうどいい廃屋があって良かったね」

「まあ、志貴野は知らないだろうけど、公園ができる前からあった場所よ」


 美冬みふゆの話では、僕らが逃げ込んだ建物は、元はというと工場跡だったらしい。


 ホテル並みの広めなリビングに、均等に並んだ金属部分が錆びきった長テーブル。

 その上に降り積もったすすと、ホコリだらけの卓上ミシンの数からして、衣服でも作っていたのだろうか。

 なお、電灯に関しては全て割られていて、室内は少し薄暗い。


「それは良いとして、問題はアイツよ」

「ああ、分かってるよ」


 美冬の冷静な問いかけに、周りに気を取られていた雑念を振り払う。


 ──そうだった。

 雨宿りは自然な流れでおこなった、口を合わせるための行為。

 真の目的は、こっちの親友の動きを止めることだった。


賢司けんじ、どうしてこんなふざけたことをするんだよ」

「ふっ、ようやくカラクリに気が付いたか」


 賢司が足元に転がっているスプレー缶を蹴り飛ばし、近くのゴミ捨て場にシュートを決める。

 幸い、周囲には燃えやすいゴミもないし、そんなにも散らかってないので、判別もしやすい。


「ああ。僕が昔、一人の女の子と交際し、不慮の事故で、その子との関係を失い、それがきっかけで女性恐怖症になるなんて」

「そうさ、お前さんは両親が離婚する前から、トラウマ持ちの不発弾を抱えていたのさ。その引き金が両親の離婚さ」


 僕は今までの夢で見た視点での、断片的だった記憶を呼び覚ました。

 セピア色で、いつも元気な一人の女の子との別れで、自身の運命が狂わされたと……。


 自分ごとだけど、恐らく、その女の子が誰よりも大好きだったんだろうね。

 だから傷つくのを恐れて、その出会いと別れの記憶を、心の隅に追いやったのだろう。

 表向きには、交際経験がゼロな平凡な男子という形柄にして……。


「そうさ。それで、志貴野に悲しい過去を背負わずに、催眠療法で記憶喪失として扱っていたんだが、まさか、その紐ごときで簡単に術が解けてしまうとはな」

「賢司、それは嘘だな。女好きの賢司が、何の保証も無しに、男を手助けするはずがない」

「いや、俺は両刀使いだからさ」


 思わず声に出した心の呟きを、好機として受け取った賢司が、淡々と犯した行動を認める。


 さらに男も場合によっては、恋愛対象になるとも言い出した。

 僕と仲良くなったのも、そういう関係をキープしたいためなの?


 ──いや、親友だから分かるよ。

 日頃からふざけてる賢司が、実は友達思いで、性癖もノーマルなのは百も承知だよ。


「……好きだったんだよね。賢司はアキちゃんのことが」

「はあ? 何のことだ?」


 彼自身も、この気持ちに正直になれないのか。

 賢司の秘めていた恋心に勘付いた僕が、彼の心の奥に眠っていた引き出しを、ゆっくりと開ける。


「だから、僕と二人の仲を引き裂こうとした。でも結果的には、命までは奪う度胸がなかった」

「当たり前だぜ。俺自らが殺人なんてしでかしたら、日中不味い飯を食わされる、独房行きだからな」

「あっ、賢司。自分がやったって認めたね」


 僕が親友だと心を許したせいか、言葉巧みな話し方に、安易に引っかかる賢司。

 この前、図書室で興味津々にて、正しい接客法の本を読んでいて良かったよ。


「くっ、誘導尋問ってやつか。とても陰キャとは思えない発言だな。成長したな」

「まあ、これも四姉妹の影響なんだけどね」

「でも結果的に手を下して良かったぜ。アキ、いや秋星あきほは、今度こそ俺のものになるんだからな」


 何でここで、夢に出てきたアキという名前と共通点が?

 ラノベのような突然のイベントごとに、頭がついていかない。


「えっ、アキちゃんがあの秋星?」

「ハハハッ。志貴野は何も知らないんだな。向こうから、てっきり伝えていたのかと」

「そんなの初耳だよ」


 秋星とは、そんな話をしたことは一度たりともない。

 もしそうなら、デート中のあの名台詞は、本人目線で喋っていたのかな。


 だとすると、そのことに無自覚だったのか。    

 思い出すほどに、めっちゃハズいな。


「美冬、どういうことだよ?」

「まあ、アンタのことだから、薄々勘付いていたかなあーて」

「ちゃんと言ってくれないと分からないよ」

「はあー、色々と面倒な男ねえ」

「面倒なのは、そっちもだよね?」


 美冬もいつもはズケズケと思ってることを言うのに、こういう他人の色恋関連になると、素知らぬ振り。


 ──あー、付き合うなら好きにしたら。

 別にアタシには関係ないし、恋人にするなら、アンタみたいな冴えない陰キャオタクよりも、陽気で爽やかなイケメンの男を選ぶわみたいな。


 その方が周りからの受けも良いし、ガチで恋人が欲しかったら、アタシみたいな美貌を身に着けて、自由に男を狩れるようになりなさいな……くらいに。


 美冬が理想とするのは、ドラマで出てくる美男美女のカップル像。

 何もかも平凡な僕の身からして、考えるだけで腹が立ってくるよね──。


「さて、痴話喧嘩も見飽きたし、そろそろ本命に来てもらうか」


 賢司が大きく手拍子を叩きながら、彼の後ろの倉庫裏に隠れた影に声をかける。


「お待たせしました。秋蘭あきらおじさん、出番ですよー!」

「ああ、ようやく僕の登場かい。ちょうど、あぐらをかいてた足も痺れてきたところだ」


 影はゆらりと動き、薄暗い空間で土埃を手ではらいながら、僕らの前でピタリと立ち止まる。

 何だろう、足の痺れに追い打ちがかかったのかな?


「国内有数のエリート催眠術士、神楽坂秋蘭かぐらざかあきら、これにて参上!」

「いよぉー、先生、日本一!」

「フフッ、賢司君も盛り上げ方が上手になったねえ」

「先生のご指導の賜物たまものです」

「よせやい、照れるって」


 灰色のスーツ姿な神楽坂おじさんと呼ばれた中年のおじさんが、ボディービルダーのように鍛えられた筋肉を見せつけている。

 そうか、このおじさんが、僕の運命を狂わせた全ての現況か。


「さてさて、格好のカモだらけだな。おじさん、心も体もウズウズしてきたよ」


 神楽坂おじさんがニタニタと黄ばんだ歯を見せ、指と首の関節をコキコキと鳴らす。


 あのそれ、関節に悪い行為ですよね?

 特に首は下手をすれば、神経を痛めますよ。


「秋星は済んだし、あと何人、私の技に引っかかるのかが、見ものだねえ」

「あのさあ、話の腰を折って悪いんだけど、私なら、ここにいるんだけど?」


 美冬がとんでもない真実を話してきて、ここいら周辺の空気が重たくなる。


「えっ、美冬、どういうこと?」

「はあー、相変わらず鈍感ねえ。つまり、こういう意味よ」


 美冬が銀色のウィッグを外すと、頭のてっぺんを桜色に染まった紐で結わえた茶髪があらわになる。


「えー? 美冬が秋星の変装だったのー!?」

「そうよ、今、自宅にいるのは、私の変装をした美冬なのよ」


 美冬のフリを止め、本来の立ち振る舞いとなった秋星が、近くのパイプ椅子の上に、持参したハンカチを敷いて座る。


「あー、だから中々、僕の術にかからなかったのか。心の強い者ほど、かかりにくいし」


 神楽坂おじさんが舌打ちし、机にあった灰皿を手元に寄せて煙草を吸い始め、心底に悔しい顔をする。


「……いつから気づいていた?」

「乙女の勘というものよ」

「だったら目の前で落とすのみだ」

「やれるものならね」


 秋星がファーベストを脱いで、身軽になり、神楽坂おじさんの次なる手に受けて立つ。


「あ、秋星ー!?」

「大丈夫よ、私を信じて、シキちゃん」


 そのあだ名で呼ばれるのも、幾年ぶりだろうか。

 あの時の懐かしい恋心に、胸が切なく疼き出す。


「──くたばれえーい、くああああー!!」


 雨音が一段と激しさを増したのを合図に、神楽坂おじさんは素早い動作で、秋星の眼前に迫った。

 黒い紐で吊るされた、五円玉を揺らしながら……。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?