「……いよいよ本降りになってきたな」
「
「まあ、志貴野は知らないだろうけど、公園ができる前からあった場所よ」
ホテル並みの広めなリビングに、均等に並んだ金属部分が錆びきった長テーブル。
その上に降り積もったすすと、ホコリだらけの卓上ミシンの数からして、衣服でも作っていたのだろうか。
なお、電灯に関しては全て割られていて、室内は少し薄暗い。
「それは良いとして、問題はアイツよ」
「ああ、分かってるよ」
美冬の冷静な問いかけに、周りに気を取られていた雑念を振り払う。
──そうだった。
雨宿りは自然な流れで
真の目的は、こっちの親友の動きを止めることだった。
「
「ふっ、ようやくカラクリに気が付いたか」
賢司が足元に転がっているスプレー缶を蹴り飛ばし、近くのゴミ捨て場にシュートを決める。
幸い、周囲には燃えやすいゴミもないし、そんなにも散らかってないので、判別もしやすい。
「ああ。僕が昔、一人の女の子と交際し、不慮の事故で、その子との関係を失い、それがきっかけで女性恐怖症になるなんて」
「そうさ、お前さんは両親が離婚する前から、トラウマ持ちの不発弾を抱えていたのさ。その引き金が両親の離婚さ」
僕は今までの夢で見た視点での、断片的だった記憶を呼び覚ました。
セピア色で、いつも元気な一人の女の子との別れで、自身の運命が狂わされたと……。
自分ごとだけど、恐らく、その女の子が誰よりも大好きだったんだろうね。
だから傷つくのを恐れて、その出会いと別れの記憶を、心の隅に追いやったのだろう。
表向きには、交際経験がゼロな平凡な男子という形柄にして……。
「そうさ。それで、志貴野に悲しい過去を背負わずに、催眠療法で記憶喪失として扱っていたんだが、まさか、その紐ごときで簡単に術が解けてしまうとはな」
「賢司、それは嘘だな。女好きの賢司が、何の保証も無しに、男を手助けするはずがない」
「いや、俺は両刀使いだからさ」
思わず声に出した心の呟きを、好機として受け取った賢司が、淡々と犯した行動を認める。
さらに男も場合によっては、恋愛対象になるとも言い出した。
僕と仲良くなったのも、そういう関係をキープしたいためなの?
──いや、親友だから分かるよ。
日頃からふざけてる賢司が、実は友達思いで、性癖もノーマルなのは百も承知だよ。
「……好きだったんだよね。賢司はアキちゃんのことが」
「はあ? 何のことだ?」
彼自身も、この気持ちに正直になれないのか。
賢司の秘めていた恋心に勘付いた僕が、彼の心の奥に眠っていた引き出しを、ゆっくりと開ける。
「だから、僕と二人の仲を引き裂こうとした。でも結果的には、命までは奪う度胸がなかった」
「当たり前だぜ。俺自らが殺人なんてしでかしたら、日中不味い飯を食わされる、独房行きだからな」
「あっ、賢司。自分がやったって認めたね」
僕が親友だと心を許したせいか、言葉巧みな話し方に、安易に引っかかる賢司。
この前、図書室で興味津々にて、正しい接客法の本を読んでいて良かったよ。
「くっ、誘導尋問ってやつか。とても陰キャとは思えない発言だな。成長したな」
「まあ、これも四姉妹の影響なんだけどね」
「でも結果的に手を下して良かったぜ。アキ、いや
何でここで、夢に出てきたアキという名前と共通点が?
ラノベのような突然のイベントごとに、頭がついていかない。
「えっ、アキちゃんがあの秋星?」
「ハハハッ。志貴野は何も知らないんだな。向こうから、てっきり伝えていたのかと」
「そんなの初耳だよ」
秋星とは、そんな話をしたことは一度たりともない。
もしそうなら、デート中のあの名台詞は、本人目線で喋っていたのかな。
だとすると、そのことに無自覚だったのか。
思い出すほどに、めっちゃハズいな。
「美冬、どういうことだよ?」
「まあ、アンタのことだから、薄々勘付いていたかなあーて」
「ちゃんと言ってくれないと分からないよ」
「はあー、色々と面倒な男ねえ」
「面倒なのは、そっちもだよね?」
美冬もいつもはズケズケと思ってることを言うのに、こういう他人の色恋関連になると、素知らぬ振り。
──あー、付き合うなら好きにしたら。
別にアタシには関係ないし、恋人にするなら、アンタみたいな冴えない陰キャオタクよりも、陽気で爽やかなイケメンの男を選ぶわみたいな。
その方が周りからの受けも良いし、ガチで恋人が欲しかったら、アタシみたいな美貌を身に着けて、自由に男を狩れるようになりなさいな……くらいに。
美冬が理想とするのは、ドラマで出てくる美男美女のカップル像。
何もかも平凡な僕の身からして、考えるだけで腹が立ってくるよね──。
「さて、痴話喧嘩も見飽きたし、そろそろ本命に来てもらうか」
賢司が大きく手拍子を叩きながら、彼の後ろの倉庫裏に隠れた影に声をかける。
「お待たせしました。
「ああ、ようやく僕の登場かい。ちょうど、あぐらをかいてた足も痺れてきたところだ」
影はゆらりと動き、薄暗い空間で土埃を手ではらいながら、僕らの前でピタリと立ち止まる。
何だろう、足の痺れに追い打ちがかかったのかな?
「国内有数のエリート催眠術士、
「いよぉー、先生、日本一!」
「フフッ、賢司君も盛り上げ方が上手になったねえ」
「先生のご指導の
「よせやい、照れるって」
灰色のスーツ姿な神楽坂おじさんと呼ばれた中年のおじさんが、ボディービルダーのように鍛えられた筋肉を見せつけている。
そうか、このおじさんが、僕の運命を狂わせた全ての現況か。
「さてさて、格好のカモだらけだな。おじさん、心も体もウズウズしてきたよ」
神楽坂おじさんがニタニタと黄ばんだ歯を見せ、指と首の関節をコキコキと鳴らす。
あのそれ、関節に悪い行為ですよね?
特に首は下手をすれば、神経を痛めますよ。
「秋星は済んだし、あと何人、私の技に引っかかるのかが、見ものだねえ」
「あのさあ、話の腰を折って悪いんだけど、私なら、ここにいるんだけど?」
美冬がとんでもない真実を話してきて、ここいら周辺の空気が重たくなる。
「えっ、美冬、どういうこと?」
「はあー、相変わらず鈍感ねえ。つまり、こういう意味よ」
美冬が銀色のウィッグを外すと、頭のてっぺんを桜色に染まった紐で結わえた茶髪があらわになる。
「えー? 美冬が秋星の変装だったのー!?」
「そうよ、今、自宅にいるのは、私の変装をした美冬なのよ」
美冬のフリを止め、本来の立ち振る舞いとなった秋星が、近くのパイプ椅子の上に、持参したハンカチを敷いて座る。
「あー、だから中々、僕の術にかからなかったのか。心の強い者ほど、かかりにくいし」
神楽坂おじさんが舌打ちし、机にあった灰皿を手元に寄せて煙草を吸い始め、心底に悔しい顔をする。
「……いつから気づいていた?」
「乙女の勘というものよ」
「だったら目の前で落とすのみだ」
「やれるものならね」
秋星がファーベストを脱いで、身軽になり、神楽坂おじさんの次なる手に受けて立つ。
「あ、秋星ー!?」
「大丈夫よ、私を信じて、シキちゃん」
そのあだ名で呼ばれるのも、幾年ぶりだろうか。
あの時の懐かしい恋心に、胸が切なく疼き出す。
「──くたばれえーい、くああああー!!」
雨音が一段と激しさを増したのを合図に、神楽坂おじさんは素早い動作で、秋星の眼前に迫った。
黒い紐で吊るされた、五円玉を揺らしながら……。