「クッ……体が動かない」
「えっ、僕らは何ともないし、それってどういう意味なの?」
ハルの言ってることが飲み込めないが、
身動きがとれない相手からして、どうやら僕とハルは、おじさんの催眠術にはかからなかったようだね。
でもどうしてだろう。
催眠術を信じそうにない
まさか二人とも、誰もがひれ伏す天才肌だったとか。
そんなわけないか……。
「こういうことよ、
「それは手鏡じゃないか」
「うん、いつも持ち歩いてる、化粧用になるけど」
「へっ、ハルはすっぴんでも可愛いのに?」
「えへへ、ありがとう」
僕の疑問をよそに、手元に持った赤い手鏡を光らせる、照れ顔のハル。
外からの光に反して煌めく鏡は、水晶のように美しかった。
「クッ、まさか、鏡の反射を利用して、僕の術から逃れるとは……」
「物は使いようということだよ」
「それもまさかのハルにね……」
まさかハルに助けられるとは思いもしなかったおじさんと、その意見に頷き、お互いに同意する僕。
このおじさんとは気が合わないけど、考えることは一緒なのか。
今ならおじさんが言うことが、手に取るように分かるよ。
いつも僕のことを、お兄ちゃんと甘い声で呟いて慕ってる妹(ちょっと違う)が……だよね?
「何よ、それだとハルが、お馬鹿キャラみたいじゃん」
「違うのかい? さっき、その男の子がおマヌケ姉妹だって」
「余計なことは覚えてるんだね」
余計な不純物は一切含まれない。
それが大は小を兼ねる、コミュニケーションだとしても。
「全く、人聞きが悪いよね、ねえ、お兄様?」
「秋星も僕を睨まないでよ」
「悪の根源が何を言ってんの」
「……あのさあ、僕はゲームの魔王様な設定でもないよ」
僕は子供の漕いだ足こぎ式のフェラーリにぶつかって、ショック死で異世界転生し、冒険者はつまらないし、イベント攻略とか面倒だし、ただ待つだけで、三食昼寝付きで楽に生活できる、怠惰な魔王になってしまったのか。
魔王としてのチート能力は、キッチンの戸棚にしまった、お菓子の量を瞬時に見分けるちから。
別に冒険者などの来客は求めてないし、そんな接待能力とかいらないよ。
「グッ、マジで動こうにも動けん。ハルとやら、僕に何の命令をしたんだ?」
「うん、あの花壇に生えたお花たちがあるよね」
どんなに頑張って力んでも、瞬間接着剤をつけた縄で縛ったように、その場からミリ単位も動けない神楽坂おじさん。
そこでにやけた顔を浮かべるハルが、後ろにそびえる、背高な太陽たちを指さした。
「この廃屋の出入り口に生えていたヒマワリか?」
「そうそう。ちょっと悪知恵を働かせて、あのヒマワリのようにずっと佇んでてと、命令しただけだよ」
「だな。怪しいストーカーという設定で警察も呼んだし、後は大人しく捕まるだけだ」
「うん。念のため、夏希に頼んで、撮影してて良かったね」
「えっへん。夏希大活躍だねw」
今まで建物の奥に潜んでいた夏希が、自分のスマホを構えて、余裕の笑みで近付いてくる。
「クッ。お、お前たち、とんでもないことを!! 決して許さんぞー!」
あーあ、二人の秘密の計画をバラしたのを気に、神楽坂おじさんが逆ギレしたよ。
笑ったり怒ったりと、表情をコロコロと変化させて、お子様みたいで、見ていて飽きないよ。
「……
「おおっ、我が心の息子、
警察に何もかも暴かれることを恐れ、唯一無二の子供、賢司に命乞いをするおじさん。
血の繋がりもない第三者として見てても、憐れで情けないものだね。
「そんなの覚えて、何の役に立つんだよ? サーカスの大道芸人にでもなれと?」
「別にそうは言ってないさ。今は黙って、僕の術を解いて……」
性懲りもなく、おじさんの上から目線な態度に、呆れたように大きく息を吐く賢司。
今度ばかりは、おじさんのねちっこい部分に嫌気がさしたかな。
「秋蘭おじさん、
「ああ。
「その饒舌な喋りで、今まで何人の女を口説いて抱いてきたんだ? 女は性欲の捌け口じゃないぜ?」
「ええっ、賢司君?」
「俺の母さんは、あんたなんかには譲らない」
ここで初めて、おじさんとの友好同盟を破棄した賢司。
そうだよ、どんなに思いを込めて、言い聞かせても、他人の心までは変えられないんだ。
変えたいなら、相手自身じゃなく、自分から変わるしかないんだよ。
「まっ、待つんだ、賢司君。君はそれで良くても、君のお母さんが困るぞ!!」
「安心しろ、これからも真面目に働くし、母さんは俺が守るから」
「クッ……このガキンチョめ」
おじさんの言うことに、聞く耳も持たない賢司。
ようやく、自身の間違いに気付いたのか。
母親を守る立場となり、彼も大人の男になりつつあるんだね。
「賢司君、君とお母さんはきっと後悔するだろう。僕という支えを無くしたことに」
「後悔も何も、おじさんの存在自体が邪魔なんだよ」
「クッ。いい気なものだな、賢司。出所したら覚えとけよ。真っ先に君の家族の存在を壊してやるからな!」
「どうぞ。やれるものなら」
最後の仲間にも見放され、両ひざをついた神楽坂おじさんが、悔しそうに歯を食いしばる。
ギリギリと歯軋りの音が聞こえるのを皮切りに、サイレンを鳴らす二台のパトカーが停まり、車内から飛び出した三人の警察官に取り押さえられた。
「ほらっ、下らんお喋りはいいから、キリキリ歩かんか!」
「クッ。この野郎共めがぁぁぁー!!」
「うるさいぞ。さっさと乗れ!」
白昼堂々、手錠を繋がれたまま、廃屋につけていたパトカーの後部座席に、反抗的なおじさんを押し込む警察官たち。
神楽坂おじさんは消え入りそうな声で何かを言いながら、車内でも前のめりの姿勢で顔を埋めている。
再び、パトカーのけたたましいサイレンが耳に障る中、おじさんを乗せた車は、ゆるやかに町中に向けて走り出した。
「──終わったな。これで彼の企みも」
僕はゲームのラスボスを倒したような優越感に浸っていた。
あの桜色の紐が無かったら、迷宮入りしてたかも知れない。
それくらい、神楽坂おじさんは手強い相手だったんだよ。
「いえ、まだ終わっていませんよ」
「アタシたちへの返事がまだでしょ?」
ハルと、姿形は美冬の秋星が、興奮した様子で、僕の前に責め立てる。
「あー、すっかり忘れてたー!?」
そうだよ、僕は好きな子に告白するために公園に来たんだったね。
ヤベエと思いながら、廃屋の外を見つめると、雲の間から眩しい光が漏れ出し、雨上がりの空にうっすらと虹がかかっていた──。