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「──ねえ、変わるよ。私たちの未来が」
「えっ、何を言ってるのさ?」
「今は気付かなくても、そのうち分かるよ」
「なっ……体が動かない」
僕は夢でも見ているのか、それともこれは現実なのか。
灰色の空間に体を浮かべたまま、隣から女の子の声がする。
声がした方を振り向くと、愛らしい笑顔で微笑んでいる、白装束の
「そう、シキちゃんは、トラックにはねられそうになった子猫を助けた代わりに、自ら犠牲となった。この意味は理解できるよね」
「何だよ、やっぱり僕にも、
「ううん、シキちゃんは、その事故で脊髄を損傷して、もう歩けないの」
何だって、僕が不自由な体だって。
だったら、今までの経験は幻とでもいうのかい?
「おいおい、そんなことないだろ。現に学校にも通ってるし、親父も海外で大活躍してる。母さんとの離婚で傷付いたけど、今ではきっぱりと乗り越えて……あれ?」
「その離婚のきっかけが、例の事故からだったとしたら?」
「なっ、だとすると僕が編入したのも、親父が新しい奥さんを作ったのも……」
「うん、事故を
あの子猫を助けた際に、受け持った出来事。
たがが子猫で、ここまで人生を狂わせられるなんて。
これが俗に言う、トラウマを抱えたということか。
トラウマは、どう足掻いても治療できない心の病気で、トラウマになった情景、雰囲気、立場などのきっかけがある限り、死ぬまで苦しむ病気だと言うし……。
「あははっ。よく練り込まれた設定だね。もう、冗談も大概にしてよ」
「だったら現実で、その身を持って知りなよ」
身って、魚の切り身の表現じゃあるまいし、もっと人間味のある、優しい言い方にならないかね。
「ああ。でも今さらドッキリでした、嘘でしたって、僕の前で獅子舞のように踊るんだよね」
「何か嬉しそうだね。変なスイッチでも入った?」
「やる気スイッチなら、とっくにね」
「だったら問題ないかな」
電気系統じゃあるまいし、そのスイッチ一つで気分を変えられるような器用な人間に、生まれたわけじゃない。
こう見えて、簡単に気持ちの切り替えが出来ない、不器用な性格なんだよ。
「それじゃあね、シキちゃん。いい夢を」
「ああ、アキちゃんも待っていてくれ。夢から醒めたら、真っ先に君を迎えにいくから」
「ありがとう。でも私……」
秋星の姿をした女の子に、ちゃん付けをする僕。
ああ、頭の中にあったモヤが晴れてきた。
謎に包まれていたアキちゃん……秋星の正体がようやく分かったよ。
「──この世界には……もういないから」
「えっ?」
僕は秋星の突拍子な告白に、ただ呆然としていた。
ヤベエ、タコ焼きにタコが入っていないとかいう、生易しいものじゃないよ──。
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──固い床の感触で目が覚める。
頭上にはベッドがあり、どうやら寝てる時に誤って落ちたようだ。
「全く、どんだけ寝相が悪いんだか」
私は床からすっと立ち上がり、乱れた髪を木クシでときながら、冬の学生服を着込み、化粧鏡の前に立つ。
目の下にはクマが出ていて、酷い表情だ。
昨日、ほとんど寝れなかったからなあ。
シキちゃん、持病が悪化したと聞いたけど、大丈夫かな。
「秋星、起きてる? もしまだだったら、
「ちょっと、私は起きてるわよ。だからって、扉を蹴破るのだけは、絶対に駄目だからね!!」
ドタバタと騒がしい足音が消えたと思いきや、扉の前で大きな声で、毎度のようにワーワーと叫んでる、同じく制服姿の夏希。
いつものお得意の飛び蹴りをして、扉の爆破予告以外に何があるのよ。
「ちぇっ、つまんないの」
「露骨にがっかりしないでよ。扉を壊したら弁償できるの?」
「いや、教育ローンを切り崩したら何とか」
「そんなことしたら信用が無くなるよ、というか、まだ未成年でしょ」
ローンを組んでも、逆に借金を作ってしまっては意味がない。
あれはお得なプランでもあるけど、ローン会社が上手く都合をつけて、お金を前払いしているのだから。
それを結局は払えませんでしたとなると、都合がいいのにも程があるわ。
自分でできた借金を、働き盛りの子供になすりつけるのもよ。
「そうだな、田んぼとかも作れなくなるもんね」
「それを言うなら担保よね」
「うむ。歴代の農民たちは、いつ来るか分からない年貢納めに怯え……」
「あのねえ、私、江戸時代にタイムリープしてないから」
「それは誠に残念」
「そんなに落ち込まないでよ」
江戸時代の百姓になっても、損をするばかりで、昔の日本人も酷かったよね。
納得がいかず、一揆も起きるはずよね。
「こうして農民たちは生きる希望を無くし……」
「どんだけメンタル低いのよ」
ちょっと作物がやられたとしても、今度は来年に活かそうという柔軟な発想。
どう育てようと、最終的には天候に左右されるため、メンタルが図太くないとやっていけない職業、それが農業でもあるのよ。
「さあ、二人とも、じゃれてないで、さっさと病院に行くわよ。今日は彼の退院日なんだから」
「
「何よ、外の世界を見せてあげたいと決めたのは秋星じゃない?」
上半身が長袖のブラウスで、制服を腰に巻いた美冬の言いたいことも分かるけど、彼の意思とは無関係な行動に、気持ちが揺らいでいた。
「でも私は……」
「はいはい、ウジウジしたって、彼は喜んでくれないわよ」
「でも……」
それでも迷いを振り切れず、美冬の前で答えが出せない。
「でもも、ヘチマもないわよ。一生に一度の晴れ舞台なんだから」
「秋星に暗い顔は似合わない」
「そうそう、
美冬だけじゃなく、夏希も励ましてくれるのに関して、私は伏せていた顔を上げる。
「あっ、はい!」
もし、この場にハルが居たとしても、同じような励ましで元気づけてくれたことだろう。
私たち三重咲姉妹の絆と縁は、誰よりも深く繋がってるのだから──。