「さあ、ここで地獄に堕ちなよ!」
「ふっ、あきらごときにできるもんならな」
「何だと!」
僕は催眠術を解いて、
術を外したのも、そんなものを使わずとも余裕で屈服できると思っていたからだ。
だが、彼は特に抵抗もせず、薄気味悪い薄ら笑いを続けていた。
僕に罪をなすりつけるため、ハルを誘拐し、ここから徒歩で行ける近辺のアパートに住まわせたのだと……。
「おい、貴様。そこで何をしてる!」
──龍郷との暴行を、駆けつけた近隣の警察官に押さえられ、未遂といえども、数年の独房行きとなった
一方で龍郷は、本人の話により被害者となり、数ヶ月のメンタルケアを受けることになった。
──その後、神楽坂が刑務所から釈放された時には、龍郷と決別してから、数年もの年月が過ぎていた。
彼は誰とも結婚はせずに、この日を迎えた。
あの女性と再び逢うまでは──。
「──あっ、君はもしや、
「えっ、あなたは神楽坂さん?」
白いワンピースの露出を減らすため、チェックの黒いロングスカートという清楚な雰囲気を漂わす女性。
多少、年齢を重ねていてもスタイルはよく、美人に変わりはない。
「お久しぶりですね。高校卒業以来でしょううか」
「君は相変わらず奇麗だね」
「もう、会ったと思いきや、いきなりナンパですか。奥さんがヤキモチを焼きますよ」
烈火が、あの頃を思い出したのか、学生に戻った気分のように、和気あいあいと話を繋げてくる。
ふと、左手のくすり指に光るものが見え、僕のムショ行きも気にせず、無事に幸せになったんだなと安堵した。
「僕に奥さんなんていないさ。ずっとあの子のことだけを……」
「はい? すみません。トラックの音がうるさくて。何でしょう?」
「ああ。じゃあ、近くの喫茶店でお茶でもしようか。積もる話も沢山あるし」
気晴らしに散歩でもしようと、偶然出会ったのが、まっ昼間で街中の交差点。
バイクや車などの通りも多く、世間話に向いてる環境とも言えない。
「えっと、困ります。今は買い物の途中ですし、私には旦那がいますから……同級生の龍郷という方ですが」
「知ってるよ。まあ、細かいことは言わないでさ。別に龍郷なら気にしないと思うし、今日は僕がおごるからさ」
「だったらそこの自販機でいいですよ」
烈火が大通りの片隅にある赤い自販機を指さして、優しく笑ってみせる。
その笑顔は心を惑わす罪だ。
男は単純な生き物だから、本当に好きな人だけに向けてほしい。
「全く、相変わらず烈火ちゃんはつれないね」
「人の目がありますし、下手に誤解されたら、後々面倒ですから」
「やれやれ、君はお固いなあ」
「神楽坂さんの考えが、ちょっと変わってるんですよ」
そうだよな、好きな女一人を巡って、あのような乱闘騒ぎを起こしたんだ。
新聞やTVなどのメディアにも大きく取り上げられたとも言うし、烈火も一人の女として身の危険を感じてるだろう。
「あははっ、僕も変質者扱いか」
「大丈夫ですよ。私の旦那も少し変わってますから」
烈火の言うことにも納得できる。
友人だった僕からしても、龍郷は多少、手を焼く相手だったなと……。
「まあ、そこが付き合うことになった理由ですけどね」
「確かに龍郷は変だよね。考えが凝り固まってるというか」
「そこは一途と言ってもらわないと」
「はあ? 笑わせてくれるよ。別の女と浮気をしていた男なのにな」
龍郷の女癖の悪さは僕の耳にも良く届いていた。
高校を卒業したらデザイナーの専門学校に通うからと勉強がてら、女子の衣服を脱がせて、ファッションデザインの研究をしていたとか、そんな服を片手に白昼堂々、衣装相手に遊び呆けたとか、色んな怪しい説がある。
「結局、春子は助からなかったのにさ……」
あれから春子は救急病院に搬送されたが、想像以上の出血で脳をやられ、意識のない寝たきり状態となり、延命治療で命を繋いでいる。
喋りもせず、感情もなく、食べることも忘れ、胃袋に直接送る栄養チューブや点滴により、栄養補給はしてはいるが、あれはもう人間といえる代物じゃない。
もう何年も意識がない春子は死んだも同然だった……。
「それなのにアイツは今日まで、のうのうと生きて……」
あの時、刺し違えでも、キッチンバサミで龍郷を葬っておけば良かった。
例え、犯罪行為で刑務所に長々と居たとしても、今回のように出所すれば、春子、そう大好きなハルに逢えた。
そうすれば、独り身の君と永遠に結ばれることもできたのに……。
「烈火ちゃん、僕と一緒に駆け落ちしよう。僕なら君を幸せにできる」
「ごめんね。気持ちは嬉しいんだけど、私には小さな子供がいるから」
だったらその償いで、烈火を幸せにすればいい。
どうせ仕事が忙しくて、妻との愛も育んでいないんだろう。
子供の面倒を、こうやって妻に押しつけているからに……。
「
「烈火ちゃん、だったら僕が……」
「なに?」
「いや、何でもないよ。それより時間は大丈夫かい?」
思わず、賢司君の育て親になろうかと言いかけて、僕は缶コーヒーを飲み干す。
無糖のブラックだけに頭がよく冴える。
「あっ、そうでしたね」
あきらの優しい気遣いに時間を気にして、スマホを見る烈火。
「コーヒー。ごちそうさまでした」
烈火がカフェオレの空き缶をごみ捨て場に捨てて、律儀にお礼を述べる。
春子のようにはいかないが、こんないい女、アイツなんかには
「うん、いいってことよ。今度、子供さんも連れておいでよ。美味しいケーキ屋さんがあるんだ」
「はい。お持ち帰りなら喜んで」
「あははっ、ほんとにガードが固いねえ」
「いえ、それが普通の反応かと。それでは」
「ああ、賢司君にもよろしくね」
さり気なく息子とも仲良くなりたいアピールを出し、ケーキという甘い言葉で釣ってみたが、結局はスルー。
でもこれでいいんだ。
僕の計算通りに盤上の駒は動き出したのだから。
「さてと、これで状況証拠は揃った。後は龍郷をハメるだけだ」
僕は北風が冷たい冬空を気にも止めずに、ゆっくりと歩み出す。
行き先は近所のホームセンター。
そのために家からバッグを持参してきた。
計画を実行するための下準備だ。
「今度は僕がお前の家庭環境を壊してやる」
お前が僕から春子を奪ったように、僕が仕返しとばかりに、お前から大事なものを奪ってやる。
思い知らせてやるさ。
真の絶望と孤独というものが何かと──。