目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第61話 春子捜索ノートは指で擦ると、甘いスイーツの香りがする

『パリーン!』


 あきらが痛みを想像し、きつく目を瞑るのをよそに、僕の拳は彼の頭上へと当たる。

 当たった先に響く、窓ガラスが割れるような音。


 そうさ、このからくりが解けた僕は、初めからあきらを殴るつもりはなかったんだ。

 案の定、割れた先には、道路に仰向けに倒れてる僕に、懸命に応急処置をしている秋星あきほの姿が映っている。


 近場には電柱にぶつかった大型トラック、道路上にはタイヤがスリップした黒い線の跡。      

 まるで僕は、どこかで交通事故でも遭ったかのように……。


「わっ!?」


 あきらが驚き、頭を抱えて、しゃがみ込む。

 ヒビの入ったガラス板は最早もはや、囲いの存在すらも無くし、広々とした無の空間だよね。


「ふう、やっぱり思っていた通りだね」

「えっ、よくこの仕組みが分かったね?」

「そりゃ、これだけどんでん返しが起こればね。現実はこんな奇跡なんて、何度も起きないよ」


 脊髄損傷になって、これまで歩けない状態で、何も前触れもなく歩けたり、そもそもどうやって、こんな事故にあったのかの記憶もないし、それほど接点もない、秋星との婚約に関しても謎が多い。

 しかもあれだけ存在感があった、四女の春子はるこ……ハルが、突然いなくなったりするなんて……。


「じゃあ、初めから術にかかったフリを?」

「いや、最初は疑問すらもね。あきらって名前が出た所から、おかしいと思ってきてね」


 実際、高校生の姿でも、同じ名前と、一度見たら忘れない銀髪は、まさに『僕を見つけて』と言ってるようなもの。

 仰々しい態度も、大人の秋蘭あきらと、ピタリと当てはまるし。


「フフフ、あははははー!」

「何がおかしいのさ?」


 突然、大笑いをするあきらの顔は中年そのもので、的中されたとなると、黙ってはいられないようだね。


「いやいやキミってば、中々のやり手だね。いい催眠術士になれるかもよ」

「冗談じゃないよ。人を騙して、お金儲けなんて」

「だよね。キミ、真面目そうだからね」


 催眠術士は資格がなく、催眠術についての勉強をしっかりすれば、誰でも慣れる職だ。

 でも、人をいい感じに操って、どうこうするとか、本人の主張はどうなるんだと、心の中で叫ぶ。

 元から口下手だし、人前での発言も苦手だし、おまけに肝心なことも口に出せない、ヤベエくらいなコミュ障だから……。


「あれれ、そろそろ時間切れのようだね」

「ようやく現実世界に戻れるのか」

「短い時間だったけど、キミと一緒に過ごした時は忘れないよ」


 あきらの体が段々と透き通り、足先から徐々に、光の粒子のように無に帰る。

 彼の言う通り、もう残された時間は無さそうだね。


「僕はキミじゃなく、志貴野しきのという名前があるんだけどね」

「うん、そうだったね」


 あきらがまだ消えてない腕で頭を掻き、少しばかり穏やかに笑って見える。


「志貴野、僕のあるじを救ってやってくれよ」

「あきら、お前さん……」

「主は三重咲みえさき姉妹のことが大好きだった。偽名を使い、秋蘭と名乗ったからに、本当のお兄ちゃんになりたかったのかもね」

「……あきら」


 例え、重苦しい空気でも、笑って語るあきら。

 信頼してる、主のためを思っての行為か、ただのお人好しか。

 どっちにしろ、僕には寂しそうに感じ取れた。


「もう、何て辛気臭い顔をしてるのさ、これからが大変なんだからさ」

「そうだね。僕の悪い癖だ」


 あらら、逆に励まされたね。

 僕は落ち込みモードから立ち直り、あきらの言うように前向きに物事を捉える。


「じゃあね、健闘を祈る」

「待って、まだあきらには聞きたいことが、山ほどあるんだ」

「だったら、その言葉たちは沼に沈めてよ」


 面倒だからと、何でも沼に捨てていいもんじゃない。

 銀や金のシャチホコよりも聞きたいのは、君からのおじさんへの想いだったからね。


「バイバイ」

「あきらー!!」


 全ての空間が割れ、僕の体の感覚が無くなり、僕は床がすっぽりと抜けた、闇の世界へと落ちていった──。


****


「──目が覚めたかい?」

「ここはどこだ?」

「学校の保健室だよ。あれからキミは、朝礼中に突然ぶっ倒れたと聞いて、運ぶのに大変だったんだから……って!?」


 僕はベッドから半身を起こし、指をパチンと鳴らすと、二人の警察官が回り込んだ。

 一人は正面から動けないように、羽交い締めにし、もう一人が後ろ手に、銀の手錠をかける。


神楽坂秋蘭かぐらざかあきら、お前を催眠商法による、詐欺の容疑で現行犯逮捕する」

「つれないな。キミの親御さんの代わりに呼ばれ、介抱していた彼が目覚めたら、いきなりこれだもんな」


 秋蘭が困ったようにコンタクトを取ろうとするが、相手は正義の警察官。

 悪を滅する厳しい訓練により、心身共に鍛えぬいた職業だけに、そうやすやすと心が揺れ動くわけがない。


「お前は沢山たくさんの人の心を踏みにじったんだ。当然の報いだよ」

「フフフ、術に集中してたら、警官二人に囲まれるなんてね。初めから、かかったフリだったのかい」

「それ、夢に出てきた子供のあきらも言ってたね。子供と言っても高校生だけど」

「そうかい。自ら墓穴を掘ってしまったか」


 もう後がないと知ったせいか、秋蘭が観念したようにこうべを垂れる。


「さて、僕は大人しくお縄について一安心だろ。これからキミはどうするんだい」

「本当のハルに逢いに行こうと思う」


 再び、顔を上げた秋蘭が、吹っ切れた様子で質問してくる。

 僕の答えは、変わらなかったけど。


「正気かい。春子は三重咲姉妹とは関係ない、赤の他人だよ?」

「それはお前さんのただの偏見だよ。彼女は血縁関係じゃなくても、大事な四女だし、僕は、あの子と逢って、きちんと話がしたいんだ」

「フフフ、あの陰キャボーイが、よく喋るようになったものだ。志貴野君の嗜好は、本当に狂ってるね」


 人の好みを興味本位で遊ぶ暇があったら、自分の罪を償ってよね。


 人の好みは想像によりけり。

 本人が幸せになれるなら、どんな人を好きになってもいいじゃん。


「さあ、無駄話はいいから、とっとと歩け!!」

「おやおや、そんな横暴な態度でいいんですか、お巡りさん? このまま志貴野君と話を続けさせないと、地獄を見るハメになるかもよ」


 警察官から渡り廊下へと押される形になる秋蘭が、少しばかりの脅しをする。

 すると、警察官二人が分かったかのように立ち止まる。

 大方、言うことを聞かないと、目には見えない催眠術にかかるのではと思ったのかな。

 空気感染バッチコーイ。


「くっ、10分だけ時間をやろう。だが、公務執行妨害罪で、そのまま独房行きは決定だ。それでもいいのならな」

「ありがとう、おっちゃん」


 警察官の押さえから逃れた秋蘭が僕の前に寄って、何かを伝えようとする。

 手錠をかけられて、前のめりの体勢だけどね。


「じゃあ、今から春子が入院してる総合病院の場所を教えるよ。口頭で言うからメモの準備はいいかい?」

「まあ、壁に殴り書きするから問題ないし」


 壁に芸術的な墨で描かれたロゴデザイン。

 アーティストっぽく言ったつもりに見せかけ、手元にはメモ用紙すらもないんだ。


「……ごめん。何か発想がガキンチョみたいだね」

「いいからノートを準備するんだ」


 秋蘭がノートと連呼するけど、さっきはメモってと言ったはずだよね?

 紙なら何でもいいのかな?


「捜索作品をかい? 開けて甘栗玉手箱みたいな」

「あのねえ、僕の貴重なフリーな時間を漫才で埋めないでくれるかい?」

「そうだね、創作だし、栗か卵焼きかどっちかにしてよね」

「はああ、食いしん坊バンザイ……」


 春子捜索ノートは指で擦ると、甘いスイーツの香りがする。

 でも今の僕は、栗入りどら焼きが食べたい気分だった──。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?