『パリーン!』
あきらが痛みを想像し、きつく目を瞑るのをよそに、僕の拳は彼の頭上へと当たる。
当たった先に響く、窓ガラスが割れるような音。
そうさ、このからくりが解けた僕は、初めからあきらを殴るつもりはなかったんだ。
案の定、割れた先には、道路に仰向けに倒れてる僕に、懸命に応急処置をしている
近場には電柱にぶつかった大型トラック、道路上にはタイヤがスリップした黒い線の跡。
まるで僕は、どこかで交通事故でも遭ったかのように……。
「わっ!?」
あきらが驚き、頭を抱えて、しゃがみ込む。
ヒビの入ったガラス板は
「ふう、やっぱり思っていた通りだね」
「えっ、よくこの仕組みが分かったね?」
「そりゃ、これだけどんでん返しが起こればね。現実はこんな奇跡なんて、何度も起きないよ」
脊髄損傷になって、これまで歩けない状態で、何も前触れもなく歩けたり、そもそもどうやって、こんな事故にあったのかの記憶もないし、それほど接点もない、秋星との婚約に関しても謎が多い。
しかもあれだけ存在感があった、四女の
「じゃあ、初めから術にかかったフリを?」
「いや、最初は疑問すらもね。あきらって名前が出た所から、おかしいと思ってきてね」
実際、高校生の姿でも、同じ名前と、一度見たら忘れない銀髪は、まさに『僕を見つけて』と言ってるようなもの。
仰々しい態度も、大人の
「フフフ、あははははー!」
「何がおかしいのさ?」
突然、大笑いをするあきらの顔は中年そのもので、的中されたとなると、黙ってはいられないようだね。
「いやいやキミってば、中々のやり手だね。いい催眠術士になれるかもよ」
「冗談じゃないよ。人を騙して、お金儲けなんて」
「だよね。キミ、真面目そうだからね」
催眠術士は資格がなく、催眠術についての勉強をしっかりすれば、誰でも慣れる職だ。
でも、人をいい感じに操って、どうこうするとか、本人の主張はどうなるんだと、心の中で叫ぶ。
元から口下手だし、人前での発言も苦手だし、おまけに肝心なことも口に出せない、ヤベエくらいなコミュ障だから……。
「あれれ、そろそろ時間切れのようだね」
「ようやく現実世界に戻れるのか」
「短い時間だったけど、キミと一緒に過ごした時は忘れないよ」
あきらの体が段々と透き通り、足先から徐々に、光の粒子のように無に帰る。
彼の言う通り、もう残された時間は無さそうだね。
「僕はキミじゃなく、
「うん、そうだったね」
あきらがまだ消えてない腕で頭を掻き、少しばかり穏やかに笑って見える。
「志貴野、僕の
「あきら、お前さん……」
「主は
「……あきら」
例え、重苦しい空気でも、笑って語るあきら。
信頼してる、主のためを思っての行為か、ただのお人好しか。
どっちにしろ、僕には寂しそうに感じ取れた。
「もう、何て辛気臭い顔をしてるのさ、これからが大変なんだからさ」
「そうだね。僕の悪い癖だ」
あらら、逆に励まされたね。
僕は落ち込みモードから立ち直り、あきらの言うように前向きに物事を捉える。
「じゃあね、健闘を祈る」
「待って、まだあきらには聞きたいことが、山ほどあるんだ」
「だったら、その言葉たちは沼に沈めてよ」
面倒だからと、何でも沼に捨てていいもんじゃない。
銀や金のシャチホコよりも聞きたいのは、君からのおじさんへの想いだったからね。
「バイバイ」
「あきらー!!」
全ての空間が割れ、僕の体の感覚が無くなり、僕は床がすっぽりと抜けた、闇の世界へと落ちていった──。
****
「──目が覚めたかい?」
「ここはどこだ?」
「学校の保健室だよ。あれからキミは、朝礼中に突然ぶっ倒れたと聞いて、運ぶのに大変だったんだから……って!?」
僕はベッドから半身を起こし、指をパチンと鳴らすと、二人の警察官が回り込んだ。
一人は正面から動けないように、羽交い締めにし、もう一人が後ろ手に、銀の手錠をかける。
「
「つれないな。キミの親御さんの代わりに呼ばれ、介抱していた彼が目覚めたら、いきなりこれだもんな」
秋蘭が困ったようにコンタクトを取ろうとするが、相手は正義の警察官。
悪を滅する厳しい訓練により、心身共に鍛えぬいた職業だけに、そうやすやすと心が揺れ動くわけがない。
「お前は
「フフフ、術に集中してたら、警官二人に囲まれるなんてね。初めから、かかったフリだったのかい」
「それ、夢に出てきた子供のあきらも言ってたね。子供と言っても高校生だけど」
「そうかい。自ら墓穴を掘ってしまったか」
もう後がないと知ったせいか、秋蘭が観念したように
「さて、僕は大人しくお縄について一安心だろ。これからキミはどうするんだい」
「本当のハルに逢いに行こうと思う」
再び、顔を上げた秋蘭が、吹っ切れた様子で質問してくる。
僕の答えは、変わらなかったけど。
「正気かい。春子は三重咲姉妹とは関係ない、赤の他人だよ?」
「それはお前さんのただの偏見だよ。彼女は血縁関係じゃなくても、大事な四女だし、僕は、あの子と逢って、きちんと話がしたいんだ」
「フフフ、あの陰キャボーイが、よく喋るようになったものだ。志貴野君の嗜好は、本当に狂ってるね」
人の好みを興味本位で遊ぶ暇があったら、自分の罪を償ってよね。
人の好みは想像によりけり。
本人が幸せになれるなら、どんな人を好きになってもいいじゃん。
「さあ、無駄話はいいから、とっとと歩け!!」
「おやおや、そんな横暴な態度でいいんですか、お巡りさん? このまま志貴野君と話を続けさせないと、地獄を見るハメになるかもよ」
警察官から渡り廊下へと押される形になる秋蘭が、少しばかりの脅しをする。
すると、警察官二人が分かったかのように立ち止まる。
大方、言うことを聞かないと、目には見えない催眠術にかかるのではと思ったのかな。
空気感染バッチコーイ。
「くっ、10分だけ時間をやろう。だが、公務執行妨害罪で、そのまま独房行きは決定だ。それでもいいのならな」
「ありがとう、おっちゃん」
警察官の押さえから逃れた秋蘭が僕の前に寄って、何かを伝えようとする。
手錠をかけられて、前のめりの体勢だけどね。
「じゃあ、今から春子が入院してる総合病院の場所を教えるよ。口頭で言うからメモの準備はいいかい?」
「まあ、壁に殴り書きするから問題ないし」
壁に芸術的な墨で描かれたロゴデザイン。
アーティストっぽく言ったつもりに見せかけ、手元にはメモ用紙すらもないんだ。
「……ごめん。何か発想がガキンチョみたいだね」
「いいからノートを準備するんだ」
秋蘭がノートと連呼するけど、さっきはメモってと言ったはずだよね?
紙なら何でもいいのかな?
「捜索作品をかい? 開けて甘栗玉手箱みたいな」
「あのねえ、僕の貴重なフリーな時間を漫才で埋めないでくれるかい?」
「そうだね、創作だし、栗か卵焼きかどっちかにしてよね」
「はああ、食いしん坊バンザイ……」
春子捜索ノートは指で擦ると、甘いスイーツの香りがする。
でも今の僕は、栗入りどら焼きが食べたい気分だった──。