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第62話 恋愛は旬が命だって聞いたことあるし、あれこれ調べて労力を奪われるより、本人に聞いてみた方が早い

『コンコンコン……』


 市内の大通りにある、八階建ての総合病院の六階。

 その個室部屋の扉をノックする僕。

 二回ノックはトイレで行う回数であり、部屋のドアは三回ノックが正しいやり方だ。


「はい、入っていいですよ」

「失礼します」


 中からあどけない女の子の返事が返り、僕は静かにドアを開ける。

 六畳ほどの窓際に黒い電動ベッドが置かれ、有料TVを観ていた一人の女の子がベッドごと体を起こす。


「あっ、志貴野しきのお兄ちゃん。どうしてこんな所に?」

「ハル、どうして黙ってた?」

「やだなー、ちょっと風邪を拗らしてね。ここで治療受けてるんだけど」

「風邪で長期入院ねえ……」


 重い病気なら、必ずある点滴のコードの束などは吊らされてなく、かといって人工呼吸器すらも付けてない。

 ひょっとしたら、僕を欺くための仮病かと思い、元からない脳みそをフル回転させる。


「もうマジで怖い顔しないでよ。折角のイケメンが勿体無もったいないよって、まあ、そんなにイケメンでもないか」

「何かどさくさに紛れて、失礼なこと言ってない?」

「お兄ちゃんの気のせいじゃないって、きゃあ!?」


 僕は腹いせにハルの寝ていた布団を剥ぎ取り、彼女のスレンダーな足元のジャージのズボンを触った。


 細くて長いカモシカのハルの足を、ひとさし指でそっとなぞる。

 その仕草に、まだ性感帯が未熟なハルがくすぐったく笑う。


「お兄ちゃん、こんな所でそんなの駄目だよ。看護師さんに見つかったら、何て言われるか。それに病院で初体験だなんて、ムードの欠片も……」

「──ハル、この足は何のつもりだ?」


 これは夜這いじゃないんだ、落ち着け、僕。

 まだ昼下りにも関わらず、窓際に視線を逸らして、大きく深呼吸した僕は、ハルの言葉を無視して本題に入る。

 ひざから下がない、ダボダボなハルのズボンを、上から軽くポンポンと優しく叩きながら……。


「えっー、お兄ちゃん、義足も知らないの。今どきの若者にしては遅れてるーw」

「それは見れば分かる。でもどうして両足が無いんだよ?」


 ハルのズボンの足をめくると出てくるのは、無機質な骨格でできた木製の義足。

 義足にしては、結構お洒落なデザインで、何やら英語の文字が彫ってるけど、どういう意味だろう。


「あの日、ハルはお兄ちゃんとアキちゃんの関係を妬んだの」


 顔を赤らめたハルが、ズボンの裾を元に戻して、とある昔話をしてくる。

 アキちゃんって、秋星あきほのことだろうけど、その時からハルは……。


「ハルがいつものように二人の姿を追って、横断歩道を渡る時に猛スピードの大型トラックが停まらずに迫ってきて……怖くて足がすくんで動けなかった……」


 なっ?

 ということはあの時、道路に飛び出したのは子猫じゃなかったのか?

 秋星が胸に抱いていたのも、足を怪我をした春子を支えるための行為であって……。

 恐ろしいね、これが神楽坂かぐらざかの記憶操作なんだね。


「そこでハルの人生、終わったんだなと思ってた」


 そりゃ、トラックが眼前に突っ込んできたら、誰でも覚悟を決めるよね。

 重さ何トンの鉄の固まりだからね。


「そしたらそこに、お兄ちゃんが前に飛び出てきて、こう言ったの」


 ここでヒーロー登場というわけか。

 危機的状況の恋愛は、燃えやすいというし。


「──人を救うために、自分の命をかけるのも、案外悪くないなって」


 ハルが両手を頬に当てながら、僕の目をまじまじと見つめてくる。

 女子中学生が潤んだ瞳で色気を使っても、僕にとっては、子供のイタズラのような感じで……いや、もう恋する女のまなざしだよ。


「何だよ、そんなの記憶にないよ。どんだけカッコいいんだよ、僕ってば」

「うん。志貴野お兄ちゃんは、昔から素敵だった」


 赤面したハルが両手で顔を覆い、首を左右に振る。

 僕って、そんなキラキラ星ルーレットなナルシストキャラだったかな。

 神楽坂の妄想劇にも困ったものだね。


「幸いにもハルは両足を失うだけという怪我で、命に別状はなかった。お兄ちゃんが命をかけて、救ってくれた命なんだよ」


 なるほどな、事の真相はハルを助けたということか。

 その時の記憶が曖昧なのは、解離性健忘かいりせいけんぼうという、事故の精神的な後遺症もあったからとハルが語ってくれた。


「だからアキちゃんが、長女でもある三重咲みえさき姉妹に、義妹として認められたことが、とても嬉しかった。それが神楽坂おじさんの企みでもね」


 三重咲姉妹はハルを本当の姉妹として迎え入れ、今に至るんだね。


「それでリハビリを重ね、義足で不自由なく歩けるようになり、しばらくして、賢司けんじお兄ちゃんと一緒に、志貴野お兄ちゃんが常連客として通う、アカサカファミコンショップに潜り込んだの」


 ここでようやく、ハルの兄である賢司が絡んでくるのか。

 アイツって色々と頑張っていたけど、結局、色恋も報われなかったよね。


「神楽坂おじさんはハルをダシに、色々と利用したかったのは分かるの」

「でもおじさんは純粋に、三重咲家のことが大好きだった」


 手当たり次第に、女に目をつけても、平等に愛情をか。

 日本では浮気問題になるから、海外で暮らす方が向いてそうだね。


「だから神楽坂おじさんを、あまり責めないで……」


 責めるも何も、女の子が目の前で涙を流したら、上手い対応ができないよ。

 恋愛どころか、女の子とガチで付き合ったことないし、彼女いない暦=高校三年生の年齢(18)だし。


 こういう時は優しくハンカチを差し出して、女の子の涙を拭いてあげて……ってそんなレベルが高い陽キャなことできるかー!!


「泣かないでハル、その神楽坂おじさんの口頭のメモによって、ここの総合病院に来れたんだ。本当に悪いヤツが、こんな真似なんてしないよ」

「じゃあ、これまでのハルたちが犯した過ちを許してくれるの?」


 おずおずと白いハンカチをハルに渡し、僕は神楽坂おじさんの内なる人間性を知ることになる。


 この分じゃ、また早いうちにおじさんも出所かな。

 妹の笑顔が見たいなら、もう悪さなんてしないで、真面目に働けよ。


「許すも何も憎かったら、わざわざここまで逢いに来ないよ」

「お兄ちゃん、それって」

「ほら、本当は体調なんて悪くないんだよね。僕らから距離を置いて、うつの真似事して、こんな所で、不味いご飯なんか食べてもしょうがないでしょ」


 味気のない薄い病院食なんて、胃腸や内臓の弱った病人が食べるものであって、元気バリバリで、ただ塞ぎ込む女の子に与えるものじゃない。

 家で作った手作り料理の方が、心も体も満たされるのは、百も承知だ。


「外泊の手続きを済ませて帰ろうよ。僕たち、家族の家にね」

「……お兄ちゃん、ありがとう」


 僕がハルの手を引っ張って、ベッドから下ろすと、ハルがポツリと呟いたみたいだけど、ちゃんと聞き取れなかった。


「うん、何か言った?」

「お兄ちゃんは、鈍感なうえに耳も悪い」


 ハルが機嫌を損ねて、べーと可愛く小さな舌を出すけど、そんなに僕は女の子の気持ちに疎いのかな。

 えっと、女心と秋の空だっけ、それを題材にした恋愛バイブルでも、図書室で探してみようか。


 でも恋愛は旬が命だって聞いたことあるし、あれこれ調べて労力を奪われるより、本人に聞いてみた方が早いよね。


「だから何て言ったんだよー?」

「知らないバカ。たまには自分で考えてよね」

「ねえー、ハル様ってばー!?」


 ハルが病院の廊下を早足で歩く中、僕は後ろ姿をついていくだけで必死だ。

 義足って慣れたら、本当の足のように、飛んだり跳ねたりもできるらしいけど、いざ、目の当たりにすると尊敬の二文字しか湧き出てこない。


 周囲の患者さんや、看護師さんに笑われるのを背に、恥ずかしげな僕は、受付に行くハルの姿を見失わないよう、同じく早足となり、急いで追いかけたのだった……。

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