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第200話 一度だけ

 葵が俺の家を訪ねた翌日の空き教室で、

「こんにちはー」

「おう」

 俺が最初に着いて奄美先輩の到着を待っていたところに葵がやってきた。

「昨日はお世話になりました」

「いやそんなお世話ってほどでは」

「……何か胡星先輩が謙遜するの珍しいですね」

「なら尊大に『おう、大変だったぜ』ぐらい言えばよかったのか」

「そっちの方がらしい気がします」

 葵の口からクスクスと笑いが漏れている。コイツの方が俺なんかよりよっぽど尊大だろ。将来一国の首脳相手でもタメ口を利くレベルになっても俺は驚かないぞ。


「先輩、それで次のお出掛けですけど」

「待て待て。前提から全く理解できないんだが」

「え、先輩何でわからないんですか?」

「え、これ俺がおかしいのか?」

 信じらんない、とばかりに確認してくる葵を見ているとマジで俺のオツムが足りないのかと錯覚させられるが、いやいやそんなわけあるか。


「お出掛けって一体何の話なんだよ」

「私の友人として遊びに付き合ってくれるって話ですよ。当然私と先輩で遊びに行くこともあります」

 またか。もう何度諭したか覚えてないぞ。

「それはお前が野郎にしつこく絡まれたら、だろ。そんな話も最近は特に聞いてないぞ」

 そう、葵が男に遊びに誘われたというのは聞いていない。

 葵という校内有数の美少女の噂については4月の間広まっていたので葵がモテていないとも思いがたいが、しかし葵が男に絡まれて困った話をこの空き教室で聞いたのはサクライ君(仮)以降ついぞない。


「まあ、確かにこの学校に入ってからしつこいナンパはなぜか校内だとなくなったんですよねー。ありがたいことではあるんですけど」

 ほう。それは意外だな。葵が以前してくれたモテる自慢話(本人に自慢のつもりはなかったのかもしれないが)によれば全く面識のない男からも告白されるほど人を惹き付ける美貌を持ってるのにな。

 ちなみに俺の目からしてもその話を信用してしまうぐらいには葵は美少女だ。誇張が多少あったとしても真っ赤な嘘とは思いがたい。

「お前以上にモテる女子でもこの学校にいるのかもな」

 俺は春野以外特に知らないが。

「うーん、春野先輩以外ではそういう女の子の噂は聞かないですけど」

 葵も俺と同じ感想だった。どうも妙なところで意気投合するなコイツとは。

 でもそうなるとマジで春野が葵が惹き付けていた分も担ってくれているのだろうか。その分を日高が払いのけてでもいるのだろうか。お疲れ様です。


「しかしまあ、それなら俺はお役御免だな」

 元々の目的は葵の男避けになることだった。

 その葵に男が寄り付かなくなった以上、俺が葵の友人役になる意義はあるまい。

「いやちょっと、まだどうなるかわからないでしょ。またしつこい人が因縁付けてくるかもしれませんし」

「考えすぎじゃないのか。あんなのそうそういるとは思わんぞ」

 あんなのとはもちろんサクライ君(仮)のことである。

「あんな体験したら、そうは思えませんよ……」

 そうか。葵にしてみれば一度ああいう手合いに襲われかけた以上、経験則として同じような奴とまた出くわす恐れを抱いているわけか。

 ということは葵もあのときのことはそれなりに恐怖だったんだな。

 考えてみれば当たり前のことなのだがあの当時や以降の葵の様子を見てもそういう男に対するトラウマじみた素振りが特に見られなかったからあんまり考えていなかった。こりゃさすがに俺が無神経だったか。


「……で、さっきの話に戻るが、遊びに出掛けるのはそういうのに実際に会ってからにしてくれないか」

 葵には気の毒だが、そうしてもらわないとキリがなくなる。

 いくら何でも俺の負担が不要に増える事態だけは避けたい。俺にだって都合があるのだ。

「私としてはシミュレーションするのも必要だと思うんです」

「シミュレーション?」

 何それ。新しいゲームのジャンル?

「そうするのが必要な状況になってから初めて行動したってどっかで失敗すると思うんですよ。演劇だってぶっつけ本番にせず必ず練習はするもんでしょ」

 いやそんな大袈裟な。

「別に遊んでいるシーンを誰かに見せるわけでもないだろ」

「私の別の友達とお外でバッタリ出会うかもしれないんですよ? そういうときヤラセがバレたらメンド臭いじゃないですか」

「そんなマンガやラノベの世界じゃあるまいし、そんな可能性を気にしててもしょうがないぞ」

「私としては、練習したいんです」

 葵が譲らない。


「……一度だけな」

「一度だけかは、状況見てから決めましょう」


 俺が葵の練習を引き受けて数分ぐらい経ってから、奄美先輩が訪ねてきた。

 クラスの教室でお友達との話に夢中になって遅くなったとのことだった。


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