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第239話 バイト

 さて、何やら時間をムダに食ってしまったが改めて奄美先輩の部屋の前に着く。

 ひょっとしたら今のやり取りが奄美先輩のいる部屋にも聞こえてきて俺の存在もバレてるかもしれない。

 しかし今回はサプライズというていなので俺はとりあえず黙り込み、葵にドアをノックしてもらう。ノックの調子が俺の見舞いに来たときと同じことに妙なおかしみを覚えた。


「葵?」

 奄美先輩の声がドアの向こうから響いてきた。

「うん。お姉ちゃん、ちょっと話いい?」

「? うん、いいけど」

 葵の言い方ゆえか奄美先輩がちょっと不審がってるような。おいおい下手するとバレるぞ。


「失礼しまーす」

「一体な……く、黒山君⁉」

「突然お邪魔してすみません。お部屋に入ってもよろしいでしょうか」

 と言いつつも、この部屋の状況を見るに気まずさが最初に浮き出てしまう。


 奄美先輩の部屋は以前お邪魔した通りに飾り気のない質素な雰囲気だった。

 ただ以前と違う点を挙げるとしたら2つある。

 一つは、俺が訪ねてきたことに驚天動地な部屋のあるじこと奄美先輩の様子。

 もう一つは、奄美先輩の机の上一杯に広げられている新聞紙と、そこにチョコンと乗っている4色ボールペン。

 机の上にある新聞紙は遠目に見る限り、お馬の競走を見るのが大好きな人達が常に熱心に読み込んでいるような面が開かれていた。

 端的に言うと競馬新聞の出馬表の欄であった。


「奄美先輩、競馬予想が趣味だったんですか?」

 まずは気になったことを確認する。

 奄美先輩の付き合いは長いが、そのなかで競馬が話題に出たことなどこれっぽっちもなかった。

 競馬が趣味と疑うような素振りも全く見られなかった。

 それだけに普通の女子高生にはあまり縁のなさそうな趣味をお持ちだったのが意外で仕方なかった。

 まあ初対面のときから変わった人だなとは思っていたけど。


「違う。これは『バイト』なの」

 バイト? 何か俺の認識しているバイトと随分齟齬があるような。

 葵はククク、と笑いをこらえていた。さっきの鼻毛の件はもう忘れ去ったかのような機嫌の治りっぷりだな。

 葵の方は置いておくとして、説明を続ける先輩の発言を要約すると次の通りらしい。



 元々奄美姉妹の父親は競馬が好きらしいが馬券の成績はイマイチらしい。

 あるとき、奄美先輩が競馬予想にハマっている父親を見て、どういうものなのか実際にやってみようと適当に出馬表を見て10レースぐらい勘を頼りに予想してみたところ、6レースが的中。

 長女の成績を目の当たりにした奄美父がもしやと思い翌週のレースも予想させたら今度は8レースが的中。奄美先輩もよくわかっていなかったようだが後から父に聞いた話では配当が小さいところから大きいところまで幅広く当てていたとか。


 そして奄美先輩は父からこう頼まれたのだそうだ。

 毎週土日に競馬予想をして父に提出してくれ、と。

 最初は奄美先輩も断ったらしい。

 しかし、奄美先輩の予想をもとに奄美父が購入した馬券の収支が一日分で合計してプラスだったなら、報酬として利益の一割を渡すという取引で奄美先輩も了承したようだ。


 ちなみにその成績は良好。

 予想自体は奄美先輩が行い、購入する馬券の組合せは奄美父が決めている結果ほぼ毎回収支は黒字になっているらしい。

 たまに赤字にもなっており、その不安から奄美父は大金を賭けることに二の足を踏んでいるため奄美先輩へ払われる報酬も一般のバイト代を遥かに逸脱したものとはなっていないようだ。

 しかし、普通にバイトするよりは割がいいことも事実のようで。


 余談ながら本日の奄美父が土曜出勤の際は予想をメッセージで送り、それを受けて奄美父がスマホのアプリより馬券購入しているとのこと。ネット社会万歳。



「……わかってくれたかしら?」

 事情の説明を終えた奄美先輩は心なしか疲れているように見えた。

「ええ、とりあえず趣味ではなく営利目的で競馬予想をしてるってことですね」

「わかってくれたようね」

「受験勉強の真っ只中でもこのようなバイトを?」

「……ちょっとした気分転換よ」

 完全にお金だけが目的というわけでもないな、やっぱり。

 いや一番はお金なんだろうけど、多少なりとも面白味がなければいちいち勉強のクソ忙しいなかでやろうとはしないと思うんだ、俺。


「お姉ちゃん、このことも胡星先輩に話してなかったんだね」

 葵がさっきの不機嫌を吹き飛ばしたようにクスクスと笑っていた。

「うるさい。いちいち自分から話す必要ないでしょ、こんなこと」

 対して今度は奄美先輩が不機嫌そう。大丈夫か、この雰囲気での誕生日祝いって。


「それと黒山君、このことは他の人には内緒でお願いできないかしら」

「あ、そうなんですか?」

 他の人、例えば奄美先輩の御友人にはもうてっきり話してるものかと。

「知ったらそこのバカ妹みたいにからかうのが出てきそうでね」

 奄美先輩が葵を睨む。葵は「う」と笑顔を引っ込め居心地悪そうな表情になっていた。今日の葵、笑ったり驚いたり不機嫌になったりまた笑ったり怖がったりとコロコロ情緒が変わってるな。

「わかりました。と言っても自分にはそんな話し相手そうそういませんが」

 俺がそう返答すると、奄美先輩が「どうだかね」と呟いた。


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