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第252話 先生

 始業式の翌日、普段通りの時間割で授業が行われるようになる。

 当然業間休みもあるわけで、そのときに奴はやって来た。


「こんにちはー」

 ノックもせず当たり前のように先輩の教室にずかずか踏み込むのは言わずと知れた一年生、奄美葵である。

 周囲のクラスメイトは葵を特に咎めることもなく、興味を持ったのが何人か遠巻きに見ているのみ。まあ俺も同じ立場ならまずそうしたけど。


「葵ちゃん元気だね」

 春野がまず返事をする。

「ちょっと分けてほしいぐらい」

 やめろ加賀見、お前に葵の元気が加わったら消滅しちゃうだろ。俺が。

 春野とともに安達と日高も葵に笑顔を見せ、女子四人は歓迎の意思を示していた。

 俺はこちらに近付いてくる葵のことをどこか遠い世界の出来事のように眺めていた。


「胡星先輩、こんにちは!」

 なんてモノローグも露知らず、葵は俺を御指名の上で挨拶してきた。

「いや挨拶はさっき聞いた」

「ああ、そうなんですね。先輩、私のことをどこか遠い世界の出来事のように眺めているように見えたのでつい」

 俺の思っていたことを一言一句違わず当ててくれた。何この子怖い。あ、今更か。


「今この子怖いって思いましたよね」

「いやそのようなことは断じて」

「ならこの子可愛いって思ってくれましたか?」

 おお、自信満々だね。この前加賀見に可愛いって言われたときに謙遜してたのはやっぱ社交辞令だったんだろうか。


「ああ、可愛いな」

「え⁉」

「ウェルシュコーギーが」

「何がどうなったら私の評価からウェルシュコーギーのことへ話が飛躍するんですか」

「正確にはウェルシュ・コーギー・ペンブロークと呼ぶらしいぞ」

「どうでもいい雑学どうも」

「どうでもいいとは何だ。ウェルシュに失礼な」

「ウェルシュコーギーのウェルシュの部分を切り取って呼ぶ人初めて見ました」

 そうか。実は俺も初めてウェルシュと呼称したよ。


「葵、コイツの悪ふざけに律儀に乗るのエラい」

 女子四人のうちの一人――名前は加賀見だったと記憶している――がようやく話に割り込む。もっと早く割り込んでよ。そしたら俺楽できるじゃん。

「あ、あはは、悪ふざけというか、黒山君はいつも話の切り口が新鮮だよね」

 春野が俺のフォローに回ってくれる。いやフォロー……なのか……?

「まあ、これでも先輩ですから」

「そうか、気を遣わせて悪かった。これからは言葉を慎むようにするよ」

「あんまヘタに指摘するとこうやってチャンスとばかりに会話を拒絶しようとするから付き合わざるを得ないんです」

「うん、わかるわかる」

 ハッキリと共感の意を示した安達の他にも加賀見や日高がうんうん頷く。ここで曖昧に微笑む春野が一番優しいまであるね。


「いや俺は奄美い……」

 奄美妹、とつい呼びそうになるのを途中で止めた。

 俺の言葉を聞いた奄美妹こと葵が突然俺を睨み付けてきたからだ。

 コイツ、奄美妹と呼ばれると怒るんだよな。でもそれを瞬時に察するや睨むとかどんだけ嫌がってんだよ。


「……奄美葵のことを思ってだな」

「なぜフルネーム呼び?」

「いや普通のことだろ」

「いや、私らいつも葵や葵ちゃんって呼んでるよね」

「黒山も葵って呼んでるじゃん」

「……まあ、とっさに言い直したのは見え見えですね」

 葵にはバレてたみたいだが、何とか激昂は免れたらしい。

 ホントに面倒な後輩だが、諸事平和に過ごすにはやむを得まい。



 その後の葵と女子四人のやり取りは順調だった。

 元々一緒に行動する機会が何度かあったのもあり、葵も女子四人への対応に困るような事態は起きず、話に花を咲かせていた。

「ところで先輩、聞きましたか」

「何も」

「予想通りの返答で安心しました」

 そうかよかったな。何が安心なのかさっぱりだが。


「昨日、一年に転校生が入ってきたらしいんですよ」

「ほう」

 二学期の始まりからなら、そんなおかしいこともあるまい。

「私とは別クラスの一年二組だそうですが、それがまた双子の可愛い女子ってことで噂になってました」

「そうなのか」

 お前も校内で有名になるぐらい可愛い子だしお似合いだな。

「仲良くなれるといいな」

「別のクラスだから接点ないと思いますよ」

 まあ、同じ部活に所属するわけでもなければ厳しいか。葵が帰宅部となればなおさら。


「へー、そんなことがあったんだ」

「リンやサツキはそういう噂、友達から聞いてないの?」

「うん、初めて聞いた。二年の方にはまだ広まってないのかもねー」

「ここの教室でもそういう話をしてる人いないっぽいよ」

「ミユ、何でそんなこと……ああ、そうだった」

「え、安達先輩がどうしたんですか。気になります」

 女子四人も噂についてあれこれ話しだす。そう言えば安達は地獄耳だった。

 事態が変わったのは、そんなときだった。


「黒山先生、ここにいたんですね」


 ガラスのごとく透き通った、しかしこちらに響いてくるぐらいしっかりとした声が教室の出入り口から発せられた。

 黒山、という俺の苗字が聞こえてきたのではさすがに無視できず、俺は教室の出入り口へ振り向いた。

 そこには、どこかで見覚えのある女子が立っていた。

 誰だったかと記憶を掘り起こすと、少しして思い出した。


 岸深央きしみおという、中学時代の後輩だ。


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