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第31話 悲しみの先

お心を痛めておられる昌家様にこれ以上、負担はかけたくはないが…。

これを逃せば、次はいつお会いできるか分からぬしな。


「姫さん。ほら…」

「なんですか?これは?」


汚れが目立ち、破れかかっている布を因子に手渡す義宗に思わず呆れる。


慰めるにしても他に何かあるだろう!

せめて、綺麗な手ぬぐいを渡せ!


女性心とは無縁の俺でもそれだけは分かるぞ。


「どうぞ、こちらで涙をおぬぐいください」


貞暁は懐から緑の手ぬぐいを取り出し、因子様に手渡した。


「ありがとうございます」

「麻布で申し訳ございません」


因子様なら絹の方が馴染み深いだろう。


「とんでもない。お心づかいだけで嬉しい限りでございます。それに比べて、おじさんはなんです?女性を慰めた事すらないのですか?」

「ある。これでも鎌倉では引く手あまただったんだぞ!」


むきになっている辺り、多分嘘だな。


「武士の女性達は変わった趣味をなさっているのですね」

「うわっ!武士の女を全員、敵に回したな。姫さん、やっぱ、恐ろしい!」

「平気でその謎の真っ黒な布を手渡す貴方だけには言われたくはないです!貞暁様の爪でも煎じて飲めば、少しはまともになるのでしょうか?」

「俺を武丸様と同列に扱うなよ。この方は本来、雲の上のお方なんだぞ」

「そんなの当たり前でしょう?貞暁様は私達などとは次元の違う方…」

「分かってんじゃねえか」


意気投合するな!

頼むから、因子様、義宗に同意しないでくれ!

絶対、調子乗るから。


「はははっ!愉快な方だな」


昌家様が笑っておられる。

それに因子様の涙も引いている。

まさか、場を和ませるためにあえて無骨なふりをしたのか。


「そういう男なのですよ。申し遅れました。私は貞暁とお申します。まだ修行の身ではありますが。そちらは私の叔父にあたる男でして…」

「義宗だ」


なぜ、笑われているのか分からない様子の義宗にさらに頬が緩んでいく。

考えすぎか。だが、素であったとしても、安らぎをもたらしたのはこの男だ。

たまには俺も肩の力を抜くべきかもな。


「ご丁寧にありがとうございます。この度はご迷惑をおかけしたようでして」

「いいえ。昌家様のお心を思えば、致し方のない事」


昌家様の表情はさっきよりも明るい。

今なら聞いても平気かもしれぬ。


「恐れながら、山月外法陰陽術書をどこで手に入れたのでございますか?」

「やはり、聞かれますかな」

「あのように瘴気を振りまく場に居合わせた者といたしまして」

「友人の屋敷にあったものをこっそりと拝借したのです」

「ご友人でございますか?それはどちらの?」

「それは悪しからず。迷惑をおかけしたくないのです。私とて公家に身を置く身。それがどのようなものであるかぐらい耳に入っております」

「さようでございますか」


珍しいな。平安の時代に比べれば、希薄となった外法術を行った者がどのような処遇を受けるのか知っている者は少なくなりつつあるのに…。

100年前なら、陰陽師たちに始末されていただろう。

知る者が減ったのは主な外法書が根こそぎ焼かれたからである。

まさか、まだ原本が残っていたとは驚きだ。


「それに貞暁様が心配する事はないかと…」

「どういう意味でございましょう」

「友人は自分に屋敷にその手の書があると知らなかったでしょうから。屋敷の前の主が残していった書の中に含まれていたのです。きっと、そう言った類が好きな者が過去にいたのでしょう。見つけたのはその一冊だけでございました」


よほど、その友人を庇いたいのか?

だが、確かに書物の感じからすると長らく開かれていなかったようだ。

ならば、昌家様の友人が把握してなかったというのも頷ける。

もし、知っていれば、この方が手にする前に外法術が施されていてもおかしくはなかったはずだ。

つまり、昌家様は友人が自分と同じように外法術を施す事はないと訴えているのだ。


「貴方様のお言葉を信じましょう」

「ありがとうございます」

「されど、外法術をかける材料をよく集められたものでございますね」

魔問屋まといやを訪ねたのです」

「魔問屋でございますか?昌家様がですか?」


どんなものでも売り買いする闇市。

大体が公家の方は通りもしない寂れた場所に構えている。


「その気になれば、何でもできるのだと知りました。あれを見つけた時は奇跡だと思いましたよ。正直、外法術であの子に会えるかどうかも半信半疑でしたが…」

「それでも、止まれなかったのですね」

「はい。その選択がどのような結果をもたらすのか分かっていたというのに。お恥ずかしい限りです」

「昌家様は外法術にお詳しいのですね」

「私の先祖には陰陽師と懇意の者がおりましてね。その者の日記を子供の頃慣れ親しんだものです」

「そうだったのですね」

「覚悟はできております。外法術に手を出し、悪鬼を生みだした者は処刑されるのが当然」

「昌家様!」


声を上げたのは因子様だ。


昌家様は静かに目を閉じている。

確かに娘に会いたいというこの方の願いは叶うのかもしれない。


だが…。


「外法術は陰陽師の領分。さらに言えば、監督するべき陰陽寮は現在機能しているとも言えません。残念ながら、貴方の処刑を決める立場に私はいないのです」

「それは残念な事だ」

「貴方様にとってはそうでしょうが、外法術に手を出した事は大罪でございます。その罪を背負って与えられた生を全うするのが罰と存じます」

「生きることが罰か。なるほど。そう考えれば、私は生きるしかないな。もし、その償いが終わった時、娘は迎えにきてくれるだろうか」

「浪子様ならきっと…」

「永らへば またこの頃や しのばれむ憂しと見し世ぞ 今は恋しき…」


この先もっと長く生きていれば、辛いと思っている今この時もまた懐かしく思い出されてくるのだろうか?辛く苦しいと思っていた昔の日々も、今となっては恋しく思い出されるのだから。


「昌家様のお心次第かと存じます」


昌家様は因子様に微笑み、こちらに向き直った。

まるで、何かを決意したような眼差しで…。

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