「魔問屋で買ったものはまだ残っているのです。山月外法陰陽術書ともども貞暁様にお預けいたします」
昌家様は静かに告げた。
「そのお心に酬いたいと存じます」
貞暁は昌家の視線が向く方へと体を動かした。文机に置かれた書物の間に小袋が挟んである。
おもむろに小袋を開くと小さな竹筒。そこから漏れる瘴気が鼻を指した。
うわっ!
分かりやすい悪臭だな。
胸がつっかえそうだ。
「どちらの魔問屋で?」
「場末の辺りだ。たしか、蛇の絵が掲げられていた」
むしろ、魔問屋なる現と夢の狭間を売り買いする者が未だ健在な事に驚くよ。
竹筒をよく観察すると護符の印である五芒星が記されていた。
これで瘴気の気配が外に出ないようにしていたのか。
これを売った魔問屋は陰陽術の類の知識がある人間だな。
揺らしてみるが、音はしない。
恐る恐る竹筒の蓋を抜いてみると予想して物がやはり入っていた。
霊力を必ずしも必要としない外法術において必ず用いられる素材。
そして、死体から取れる瘴気の成れの果て。
護符の印が押された竹筒の中に収められているとはいえ、開け放たれた中で漂ってくるのは数多な人の気配。量は少量だが、心臓を打ち鳴らすには事足りる。一体どれほどの人々の遺体を使用したのか想像するのもはばかられるな。おそらく、術の中で見た者達がその犠牲者なのであろう。
このようなものを売り物にするとは…。
久々に煮えくり返るほど腹が立つ。
さらに惨いのは…。
「今、帰りました」
庭先に立つ男性に視線を向けた。
以前会った昌家様の従者。
「旦那様!どこか具合が?」
何も聞かされていなかったのだな。
血相を変える従者の男性は慌てふためいている。
「心配するな。少し疲れただけだ。こちらの方々のおかげで楽になった」
「さようでございましたか。これは失礼いたしました」
従者の男性は何度も頭を下げる。
「少し長居をいたしました。我々はこれで失礼いたします」
「本当にこの度はご迷惑を…」
「いいえ。昌家様のお心に平穏が訪れる事を願っております」
貞暁はゆっくりと頭を下げ、昌家の屋敷を後にしようとした。
だが、少し立ち止まり、昌家様の頭の上で指を小さく滑らせた。
「お邪魔いたしました」
今度こそ、昌家に別れを告げた貞暁に因子は囁いた。
「先ほど、何をされていたのですか?」
「夢の印を結んだのでございます」
「どういったもので?」
「術と呼ぶにはおこがましいですが、良い夢が見られるおまじないと言った所でしょうか」
「まあ、素敵!」
「因子様のおかげでございますよ」
「私の?」
「昌家様の周囲には貴方様の霊力がまだ、少しばかり漂っておりましたから。それを使わせていただきました」
「では、私と貞暁様の共同作業という事でしょうか?」
「そう思ってくださって結構でございます」
そう語れば、なぜだか因子様は童のように飛び跳ねた。
浪子様を思い出されてお辛いはずだろうに、健気な方だ。
「急にどうした?外法術とやらの影響化にまだいるのか?」
心ない一言に因子様は怒り心頭とばかりに檜扇で義宗の背中をつついた。
「友の形見をそんな使い方していいのかよ」
「浪子様なら許してくださいますわ。余計な事をおっしゃった殿方への恨みは忘れないのが公家の姫というものですから」
「どういう意味だよ」
「教えません!」
やれやれ。二人とも懲りないな。
ああ、夢の印か。
夢がどうのとか言っていた朝雅様には悪いが、良い夢を見る方法は俺にとっても懐かしい。
霊力であっても妖力であっても、鬼力でも再現できる。
遠い昔、実の母上と別れ寂しがっていた俺にばあさんがかけてくれた。
見よう見まねであったが、意外と覚えている物だな。
今はその当人に想いを馳せていると知ったら、きっとばあさんは卒倒するか笑い飛ばされるのだろうな。本当に何をしているのやら。まあ、探しに行く気は全くないがな。
実の母上と同じで、ばあさんにも俺は必要ないからな。
「うっ!」
思わず握りしめた指に小さな痛みが走った。
だが、相変わらず義宗と因子様は小競り合いを起こしている。
小さく笑みを浮かべ、二人に気づかれぬように手のひらを法衣の裾の下に隠した。
微量であっても霊力に触れたせいか、肌は真っ赤に腫れ上がっていた。
外法術の中で義宗の霊力にもあてられたのもあり、悪化している。
手当は必要だろうが、鬼力は戻りつつある。
これならば、放っておいてもすぐに治るだろう。
夢の印ごときの気休めで昌家様のお心を癒すのは無理だろうが、少しの時間だけでも安らぎを与えられたなら、俺が痛みを伴ったかいもあるのやもしれぬ。
そう思う事こそ、傲慢であろうがな。
振り返り、昌家様の屋敷に視線を向けた。
始めて訪れた時は瘴気の証たる鬼花が舞っていたが、今は青い空だけが浮かんでいる。
しばらくは瘴気の影響化に置かれる事はないだろう。
昌家様のお心を休めるのに少しは安心となる事実だ。
だからこそ、魔問屋には聞くべき事がある。
この鬼脂はかなり上質だ。
漂ってくる者達だけでも数十人単位。
一人で作れるとは思えない。
集団で売りさばいていると仮定するとかなり危険だ。
どれだけの鬼脂が人の手に渡っているのか?
考えただけで吐き気がする。
下手をしたら平安時代に巻き戻りかねない。
だが、あの頃と違って力のある陰陽師はいないのだ。
それも恐ろしい事だが、俺が許せないのは…。
昌家様にこのような物を売りつけるとは鬼の所業でないとしたなら何だと言うのだ?
鬼脂から漂ってくるひと際強い瘴気。
その持ち主は浪子様を死に追いやった住蘭だと確信できるのだ。