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第33話 鬼脂

「どうしたんだ?険しい表情なんか浮かべて…」


義宗の不思議そうな言葉にドキリとした。


そんなに表情に出ていたか?


「いえ、不愉快な物を見たせいでございますよ」

「昌家様からお預かりした外法術の素材とやらのせいでございますか?」


無意識のうちに鬼脂をしまった懐に手を置いてしまっている事に気づいた。

思っている以上に煮えくりかえっていようだな。


「そうですね。まだ、日は早いですが、屋敷に戻られてはいかがでしょう?私は一度、寺の方に…」

「そうか。なら、俺も寺に行こう」

「いえいえ、結構ですよ」

「何を言うか。また、刺客に狙われるかもしれないんだぞ」

「ですが、ここ数日は特に変わりはないでしょう?幕府側も諦めたのやもしれませぬ」


本当に静かなんだよな。

おじい様からの文さえなければ、謀反という事実すら本当か怪しくなってくる。

だから、頼むからそうであってくれ!


「甘い!あの北条がそう簡単にあきらめるか!」


いやいや。大体、お前のせいだからな?


「どの北条でしょう?」

「執権北条義時よしときもあり得るし、その姉政子もあり得る。その他諸々の北条も…」

「はいはい。つまり、北条一族ですね」

「そう言うこった」


なんとなく義宗の話に乗っかった俺が悪かった。

だが、北条家同士でも争っていた過去を見ると、同じ一族だからといって一枚岩ではないのだろう。伊達家と同様に他の家も虎視眈々と幕府内の勢力闘争の渦中にある。

はあ…。誰に狙われててもおかしくはないんだよな。


考えただけで胃が痛くなってきた。

そもそも、俺の後ろ盾が逃走中の伊達家だけっていうのも問題なんだよ。

現状、このまま諦めてくれる事を祈るしかないのか?


問題はおじい様はやる気満々って雰囲気な事だよ。

何度も言うが、刺客の対処よりもこっちを優先するべきだ!


う~ん!心配事が多すぎて、もう、やだ!

泣きわめきてえっ!

逃げたい!

穴掘って隠れるか?


「思い詰めないでくださいませ。私だって貞暁様の盾ぐらいになりますから」

「因子様、それだけはおやめください。貴方様に何かあったら定家様に顔向けが…」

「貞暁様は私よりお父上様の方が大切なのですか?」

「いえいえ。けして、そのような事は…」


なんで、恋仲の男女みたいな会話をこの方をしてるんだよ。俺!


「やめとけよ。姫さんじゃあ、足手まといだ」

「ご自分が貞暁様の一番みたいにおっしゃらないで」

「俺が守らなきゃ、誰が武丸様を守るって言うんだ」


だから、頼んでいねえよ!

はあ…。らちが明かない。


「昌家様のお屋敷もまだ、近い。とりあえず、離れましょう」


貞暁は逃げるように早歩きで足を踏み出した。


「で、本当はどこに行くつもりだったんだ?」

「何の話でしょう?」

「ご自分で思っている以上に嘘下手だぜ」


因子様は珍しく義宗に同意するように頷いた。


やれやれ。見ていないようでいて、観察眼あるのかよ。

全く、喜ばしくないが、後で行先を知られて、責められるのも嫌だ。


「魔問屋に行こうかと思いまして」

「昌家様が訪れたという?」

「そうです。気になる事がありましてね」

「魔問屋なら解決できるのですか?」


貞暁は自身の懐から竹筒を取り出し、中に入っている液体を数滴垂らした。


「なんですか?黒い水あめ?」

「いいえ、鬼脂です」

「鬼脂?」


粘り気のある炭をとかしたような鬼脂は地面に打ち付けられ、焼き印でも押すように土を焦がした。立ち込めるのは瘴気。


「なっ!」


因子様は裾で口をおさえて、後ろに下がった。


「どうなってんだ?」


義宗は不思議そうにしゃがみ込む。


「触らぬのが身のためですよ。亡くなられた方の体から発せられる瘴気に熱を加える事で作られる代物でございますから」


貞暁は鬼脂を打ち消すように足で砂をかけた。


「それはつまり、死体という事ですか?」

「死者の放つ瘴気は生者の物より強く濃いのです。それ故なのか、悪疫に繋がる事象も起こしやすくもあるのです」


義宗は因子と貞暁の間にわって入り、鬼脂の匂いを嗅いだ。


「念仏会を開いていた僧の匂いがする」


鼻が良すぎるな。

お前は犬か!


「えっ!それはどういう…」


しかも、因子様の前で余計な事を…。

折角、空気読んだ意味がねえっ!

彼女の鋭い視線に背中が伸びあがる。

これは下手に嘘は付けないな。


「どうやら、この鬼脂には住蘭の瘴気も使われているようなのです」

「そのような事がどうして?」

「分かりませぬ。ですから、事情を魔問屋に訪ねたいと思いましてね」


鬼力を操る僧、厳密には偽物だったが…。

奴のような特異な者から作られた鬼脂は効力を増すとも聞く。


「つまり、今からその魔問屋を叱りに行くのでございますね?」

「えっ!いやあ…」


そのつもりはないですが?


「もう!ひどいではありませんの。そんな大切な事をお一人でなんて…」


因子様にしがみつかれて、貞暁は両手を上げた。


「申し訳ありません」


顔を上げた因子様は予想に反して、笑顔である。


「さあ、では参りましょう」

「因子様も行かれるおつもりで?」

「当然ですわ」

「ですが、場末はかなり危険な場所」

「何をおっしゃっていますの。それを言ったらあの男が念仏会を開いていた廃寺も似たようなものでした」

「まあ、そうでしょうね」

「それに、彼がいるから平気でしょう」


因子様は顎で指さすように義宗に視線を向けた。

義宗はそれに答えるように鍛え上げられた腕を折り曲げ、笑みを浮かべる。


まるで、俺に任せろと言わんばかりである。

なぜだか目が輝いているのも怖い。

よし。もう、反論するのは諦めよう。


「おじさん。因子様から離れないでください」

「俺の優先事項は武丸様だ!」


いくら、将軍にしたいからって、女性の前でそれはないだろ。


「構いませんわ。私は貞暁様から離れませんから」


因子様が思いっきり抱き着いてくる。


この方、腕回すの好きだよな。


「では、行きましょう。こうしている間に日が沈んでしまいます」


貞暁の腕を引っ張る因子様の後ろで義宗は動かない。


「待て」

「なんです?」

「その前にだな」


やけに真剣な義宗の視線とぶつかった。


「まずは何か食わせてくれ!」


はあ?


「だって、買ってくれるんだろ!」


純真無垢な瞳を向けられて、貞暁は絶句したのであった。

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