うっわ!
頭がぐるぐる回転する!
結局二度目の妖車は一度目よりもさらに荒い旅であった。
しばらくは乗りたくない。
いや、もう二度とごめんだ。
因子様もどうして、こんな物を魔問屋から買ったのか?
はあ…。頭が痛い。
「超絶、気持ちよかったな!」
まさに爽快感を味わい、表情の明るい義宗とは対照的に貞暁はその場にしゃがみ込んだ。
「貞暁様!ご気分が?」
「大丈夫ですよ。急に地上に降りたものですから、慣れていないだけです」
覗きこむ因子様の様子からすると、彼女は元気そうだ。
酔っているのは俺だけなの?
冗談だろ!
荒波に直面した船乗りのごとく揺れまくっていたのに、平気とかどういう体の仕組みをしているのだ?むしろ、もしかして俺がひ弱なだけ?
そんな…嘘だと言ってくれ!
いや、待て!
思えば、義宗も因子様も霊力を秘める者。
平安の世であれば、異能の者として重宝されたかもしれない。
つまり、非凡な方々なのだ。
そうとも…。俺のような凡人とはそもそも体のつくりが違うと言う事だ。
「そっか。そっか…」
なぜだか、頬が緩んでいく。
「どうしたんだ?頭でもぶつけたか?」
「ええっ!まあ、どうしましょう。おじさんがまともに妖車を扱わないからですわ。あんな右に行ったり、左に行ったり、かと思えば急浮上する。おまけに一回転まで披露するなんて!」
「姫さんも案外楽しんでたよな。ちゃっかり、武丸様に抱き着いて!いやあ、他の公家の姫さん達もそれぐらい積極的なのか?」
「私と貞暁様の友情を下世話な恋物語の枠にはめないで頂きたいわ」
「和歌好きの姫さんがそれ言う?大体が恋がらみだろ?」
「投げやりに歌を語らないでよ。まともに詠んだこともないくせに!」
義宗と因子様はいつものごとく言いあっているが正直、ほとんど耳に入ってこない。
「お二人は特別でございます」
俺のような悪鬼に近い人間と二人を比べるなどそもそもが間違いなのだ。
ああ、心が楽になっていく。
これが悟りを開いたと言う事なのだろうな。
貞暁は話を中断して、不思議そうに見つめてくる義宗と因子に手を合わせた。
「やっぱり、頭おかしくなったんじゃねえか?」
「いいえ。私はとても気持ちがいいのです。さあ、もう夜も更けてまいりました。早く帰らねば、定家様が心配されますよ」
幸い、妖車は定家様の屋敷のすぐ近くに降りられた。
この角を曲がったら見えてくるはず。
貞暁は未だ立ち止まったままの二人をおいて、軽い足取りで歩みを進めた。
だが、高ぶる気持ちはすぐに成りをひそめる。
うっ!
思わず鼻をおさえた。
角を曲がった瞬間、通りを占拠していたのは瘴気であったからだ。
「急に立ち止まってどうした?うん?」
鼻を動かす義宗は首を傾げた。
霊力が強くても瘴気を認識する力は弱いのか?
いや、負を纏った義経にほとんどの力を使い果たしているせいもあるのだろうな。
因子様はまあ…目覚めたばかりだから仕方がない。
生ぬるい瘴気の風が足をピリつかせる。
全くなんて日だ。
外法術から始まり、鬼脂。死体の消失と妖の痕跡に加えて、今度は何だと言うのだ?
思わず鼻で笑いそうになったが、急に引っ込んだ。
瘴気の中心点がどこなのかに気づいたからだ。
定家様の屋敷が一番強い!
今朝、出てきた時は薄い瘴気すら感じられなかったというのに!
跳ね上がる心臓の音と息を認識する前に走り出た。
定家様…どうかご無事で…。
勢いよく屋敷の門を開け、中に滑り込んだ。
慌てすぎて砂の上に転がり、膝が痛いがどうだっていい!
「貞暁様?一体どうされた…はっ!お父上様!!」
大の字で庭の上で砂まみれになっている貞暁を心配する因子の声が切迫した物へと変わっていく。
それを追うように貞暁も寝殿に視線を向けた。
そこにいたのは倒れた定家様と通具様であった。
「どうされたのですか?お父上様!」
「やめろ!」
慌てて、定家様に駆け寄ろうとする因子様の腕を乱暴に引っ張り制しする義宗。
「何をなさるの?」
「疱瘡だ」
義宗は一言囁いた。いつもの彼にしては珍しく低く、心の内が読めない。
確かに通具様の顔にはいくつもの発疹が出ている。
定家様の首も同様だ。
「そんなはずありません。だって、朝はなんとも…」
困惑する因子様の横を通り抜けて、定家様と通具様の間に腰を下ろした。
「何をしているんだ?早く離れなければ、うつるぞ」
「慌てないでください」
緊張感がこもる俺の声に義宗は思わず動きを止めた。
だが、コイツの相手をしている暇はない。
「定家様!定家様!」
揺さぶっても定家様に反応はない。
最悪の予想が頭をよぎって、体温が下がっていく。
ただ、一筋の願いを込めて、その直衣の裾をめくり、脈を取った。
乱れているはいるが、小さな脈音が流れてきた。
よかった。息はある。
「ううっ!」
意識のないまま、唸る通具様に二人ともまだ生きている事を確認した。
見たところ、通具様の方が症状が重そうだ。
しかし、二人とも疱瘡の症状が出ているのは確実だ。
昼間、霊屋に運ばれた者もいた。
疱瘡の流行りはここまで来ているという事か?
だが、定家様が?
その兆しも見られなかったのに?
いや、俺が気づかなかっただけか?
クソッ!
ずっと、お屋敷でお世話になっていたのに。
不甲斐ない自分に腹が立つ。
今はよせ。少なくとも己を責めている場合ではない。
これが疱瘡なら、義宗の言う通りここにいるのは危険だ。
しかし、定家様をこのままにするというのも…。
とにかく、布団に寝かせるのが先決だな。
「おじさん、因子様を…」
外に連れだせと言おうとしたその時、定家様の体から妙な香りが漂ってきて、意識がそれた。
なぜだ?
嫌な汗が背中を伝い、唯々困惑する。
今日、何度となく嗅いだ住蘭の鬼力が肌を通り抜けていく。
正確には昌家様が持っていた鬼脂と同じ気配が屋敷を取り囲んでいるのだ。